六節 魔国
数十分ほど経った頃ベルロードがキャビンのドアを開けた。彼女に続いて外へ降りる。
まず目に入ったのは、よく手入れされた庭。複雑な形の生け垣には所々に花が咲いている。
庭の奥には屋敷が建っていた。外見は聖国と同じような雰囲気で、元の世界の西洋風に近い。特別大きい訳ではないが、遠目でも分かる意匠の細かさから、丁寧に作られたのだろうなと感じられた。
俺が周囲を見渡していると、突然ベルロードが振り向いた。その瞬間背後から「おかえりなさい、ベルロード様」と声がして、俺は慌てて飛び退いた。
「客人よ。驚かせないでちょうだい」
ベルロードは呆れたようにため息を吐く。背後に現れたのは、燕尾服のようなものを着た長身の人で、半透明にも見える髪を緩く一括りにしている。
「すみません。ボク、あまりに嬉しかったものですから」
その人は怪しげな笑みを浮かべたまま、小さく頭を下げた。ベルロードは少しだけ眉をしかめると「紹介するわね」と俺の方を向いた。
「クラルハイトよ。ここの執事で、貴方の世話も任しているわ」
「よろしくお願いします、カナト様……お話はかねがね、ベルロード様から聞いております」
クラルハイトはにこ、と笑う。その笑顔からは怪しさが拭いきれず、俺は小さく頭を下げた。
「ベルロード、世話って、どういうことだ?」
「さっきも言った通り、魔国では魔力を使う生活が一般的になっているの。この屋敷もそうだから、貴方一人じゃ明かりも点けられないし、用を足した後水を流すこともできないのよ」
「……え」
つまり俺は、真っ暗な部屋で立ち尽くすことしかできないし、用を足した後、処理をすることすらできず途方に暮れるしかない…………。
クラルハイトを見上げると微笑みを向けられた。どうやらこの執事は受け入れているようだ。
「だからクラルハイトに側付してもらうことにしたのよ。貴方に不便な生活を送らせるわけにはいかないもの」
どうやら俺を捕虜などではなく、ちゃんとした「協力者」として扱うつもりらしい。だけど、俺はもう一九歳だ。四六時中世話されっぱなしの生活なんて嫌だ。
「それなら俺、別の場所で生活するよ。野宿だって慣れてるから構わないし」
「駄目よ。この国でまともに生活できる場所は大抵魔法必須だし……それに、私に関わっていると知れたら、狙われるでしょうから」
ベルロードの言葉に閉口する。クラルハイトが少し頭を下げながら話し始めた。
「ベルロード様には敵が多いのです。貴方が最も安全に過ごせるのはこの屋敷……ええ、もちろん、カナト様がお一人でも絶対に生き残れると仰るのであればボクは止めませんよ」
「……私が止めるわ。貴方は必要不可欠な協力者だもの」
確かに、魔国の人たちがベルロードのように、聖国との共存を望んでいるとは考えにくい。それに、魔国では強大な魔力を持った魔獣がそこら中に蔓延っている。俺が一人で生きていくのは現実的じゃない。
しかし、俺はどこまで世話をされるのだろう? あの言い方だと入浴も一人では不可能だと思う。
「一つだけ確認させてくれ。クラルハイトは…………男か?」
その言葉にクラルハイトは、にっこりと、それはもう面白そうに笑った。
「どちらでもありません」
「え……」
「ボクの家系はスライムに近しい魔力を持っていたようで。性別を持たない身体に変化していったのですよ」
この世界で魔力を多く扱える人間は、外見的変化が現れる者が多い。どのように変化するかは血で決まるとされており、魔王もベルロードのような、山羊に似たツノを持っていたなと今更思い出した。
聖国には、性別不明の人なんていなかった。
――俺は、遠くに来たのだ。
にこにこと笑うクラルハイトを見ながら、俺は改めてそう思った。




