四節 取引
「……魔王に、娘なんていたのか」
手に持ったナイフを握りしめながら、俺は震えを隠すように背筋を伸ばした。
俺が知る限り、魔王の子供は一人の息子がいるのみだった。隠し子ということだろうか。
もし魔王レベルの魔法が使えるのならば、文字通り命懸けで、ユーシャ達に伝える必要がある。
「父とは折り合いが悪くてね。まあ……他国の貴方達が知らないのも無理ないわよ」
ベルロードは小さく笑うと倒木に腰を下ろす。足を組み、こちらを見あげた。
「作戦が失敗したから端的に言うわ。貴方に、私の計画に協力して欲しい」
「協力? 俺は…………一応、魔王を殺した一員だぞ」
「知っているわよ。父を殺したとか、私にとってはそこまで重要じゃない。貴方の特異性にしか興味がないわ」
分かるでしょう、とでも言いたげに視線をよこす。
「魔法無効、か」
俺の言葉に彼女は「その通り」と頷き、にっこりと笑った。
「私は新しい魔族の王になる」
「……目的は何だ」
「聖国と魔国の共生よ」
そしてベルロードはこの世界の歴史を語り出す。
曰く、千年以上前。ここには一つの国しかなかった。
当時は王位に特定の一族以外は就けない世襲制だった。しかし、その一族を皆殺しにして、王位を簒奪しようとした者が二人いた。魔力をほとんど扱えない者と、莫大な魔力を操れる者の二人だった。
新しく王位を決めるにあたって、二人は自分の正統性を求めた。そうして互いに「魔力を全く持たない自分が選ばれた」「莫大な魔力を持つ自分こそが選ばれた」と主張した。そして二人はそれぞれで国を立ち上げ、相手の国を憎むように仕向けた。
「――それが今の魔国と聖国になった、というわけね」
彼女の語った歴史は、概ね俺の知っている歴史と一緒だった。
聖国側に伝わっているのは「悪しき血筋の王を倒した聖なる者が建国王である」といったような内容で、彼女の語りを信じるならば「正統性の主張」のための脚色というところだろう。
「元々一つの国だったから仲良くしようって?」
「……そう主張することはあるかもしれないけれど、目的は違う。物益よ」
ベルロードは人差し指を立てる。
「魔国では年々魔力が少ない者への差別が酷くなってきていて、高い魔力が前提の生活が成り立ちつつあるわ。
例えばキッチン。魔国では炎魔法が使えないと火すら起こせないし、安全な飲水は魔法で出すのが主流になってる。だけど、聖国では違うでしょう?」
ベルロードの言う通りだ。
聖国では年々上下水道の整備が進み始めており、庶民は魔法に頼らず、井戸などを掘ったり、簡易ではあるが上下水道を整備したり。元の世界の科学……とは少し違うが、魔力に頼らない生活を送れるように様々な日々技術が開発されている。
「私は魔力を使わなくても生活できるような道具や知恵がほしい。代わりに、魔力を使って生活を便利にする物をそちらに与えるわ。要は貿易ね。
……今まで私たちは敵国同士で貿易なんて望めなかった。だけど、こちら側の王が倒れた今が好機なの」
そう語るベルロードの目からは強い意思が感じられる。けれど、二ヶ国を見てきた俺にとって、そして、つい数十日前に魔王を殺した一員として、手放しに称賛できるものではなかった。
「……そんなに上手くいくかよ」
「上手くいかせるわ。だって――」
ベルロードが立ち上がる。怒らせたかと身構えるが、彼女は今までで一番優雅に微笑んだ。
「私は、魔国の王になる者なんだから」
俺は彼女から視線を背けた。
「……協力なんて、しない」
「あら、どうして? 聖国を滅ぼしたり、隷属化させたりして共生だなんて宣う気は無いわよ」
心底不思議そうな声を出すベルロードに首を振る。
「そもそも、信じられるわけないだろ。お前は魔国の人で……俺、は……」
聖国の人間だ。なんて言えなかった。俺はそもそも、この世界の人間ですらない。
とある冬の日、トラックに轢かれたと思ったらこの世界に来ていた。いわゆる異世界転生、というやつだったのだろう。
「貴方は異世界人よね。なら、聖国に義理立てする必要はあるのかしら?」
「…………勇者、たちの……」
「勇者パーティーからは追放されたじゃない。だから貴方はもう、誰にも縛られる必要はないのよ」
ゆっくりと首を振る。
俺は、勇者パーティーであったことを不都合に思ったことはない。縛られているというよりは、俺の拠り所で、唯一安心できる場所の……はずだった。
「……貴方、勇者パーティーの追放はどう思っているの?」
「……え?」
いつの間にか顔を覗き込まれていた。ベルロードは不思議そうな表情を浮かべている。
「悔しいとか、恨んでやる、とか。思わない?」
「全く。……むしろ、今まで、あいつらに嘘吐かせてた、ことが……全部……嘘だった、ことが……」
途中で唇を噛んで俯く。昼間向けられた、冷たい視線と言葉。俺にとってあいつらだけが、この世界で心から信じられる存在だった。それなのに、あんな風に罵られて。はじめから全部嘘、だなんて。
「……まだ、信じられないんだ…………みんなが、あんなこと、するなんて。操られてるんじゃないかって……俺は……」
ベルロードは少しだけ目を伏せると、もう一度視線を合わせてきた。
「貴方が追放されたのは、勇者達が誰かに操られていたからだって考えているのね?」
「…………ああ」
「それじゃあ、取引しましょう。
私は勇者達が本当に操られているのか、操っているのが誰なのかを探る。その代わりに、貴方は私に協力する。どう?」
名案だとでも言いたげな顔を呆然と見上げる。
彼女がそこまでする理由が俺には分からない。俺は〈魔力無効〉なんていう性質しか持っていない、ただの非力な凡人だ。
だけど、理由がわからなくとも「俺」が取引材料になるならばと、口を開く。
「それなら解呪もしてほしい。魔王の娘なら、できるんじゃないか」
「それは貴方の働き次第ね」
ベルロードは頬に指を当て、悪戯っぽく微笑む。
正直破格の取引だ。国外追放を言い渡された俺一人では、勇者達に近付くことも、真実を探ることもできない。
だけど、どうしても希望は消えてくれなかった。
もしも操られているのだとしたら。
もしもあの言葉が本心でないのなら。
俺だけ何も知らないまま、守られているんじゃないかという思考が、ずっと、消えない。
「…………本当にお前の目的は共生で……取引も守るんだな?」
「魔国の王になる者だもの。約束は守るわ」
――俺は、ずっと守られてばかりだった。
それでも俺は、ユーシャ達の仲間だった。最後まで、そうありたかった。
一度だけ息を吐いて、ナイフを下ろす。
このまま淡い希望を抱いたまま死ぬこともできる。だけど、それじゃ駄目だ。
あの言葉が本心ならば受け入れる。たとえ、この世界に居場所がなくなっても、俺は――。
「……計画に協力する。俺は、真実が知りたい」
ベルロードはぱっと笑顔を浮かべ、手を差し出した。
「ふふっ。それじゃあ、よろしくね。カナト」
「ああ、よろしく――」
違和感に言い淀む。俺は、名前をこいつに伝えていただろうか。
まあ……どうせ調べたのだろう。俺が勇者パーティーの一員で、異世界人であることも、〈魔力無効〉のことも知っていたのだから。
満面の笑みの彼女の手を握る。
パチ、と隣で焚き木の爆ぜる音がした。




