四節 五日後
鳥の声が耳に入ってきた。
瞼を開け、枕元の時計を見る。時計の針は七を指していた。
ベッドから起き上がり、机の上のタオルを取りながら部屋の隅に置いてあった水瓶の傍にしゃがむ。
この間買った魔道具だ。ツマミをひねると、水瓶の中に水が満ちていく。顔を洗って、ふかふかのタオルで拭く。
時計はまだ少ししか進んでいない。
無意識に口角が上がった。俺は二冊の聖典を開き、ペンを持った。
時計の針が八を指すのと同時に、軽いノックが部屋に響いた。
「おはようございます、カナト様」
クラルハイトの声がして、俺は開いていた聖典を閉じ、ドアを開けた。
「おや……本日も準備を終えていられるのですね」
「この間買った道具のお陰だ。慣れると凄い便利だな」
後ろ手でドアを閉め、クラルハイトの後に続いて歩き始める。
「……今日は背が大きいな」
「はい。急ぎの仕事がありませんでしたので」
「……ここ数日は急ぎの仕事があったのか。大変だな」
「おや。覚えていてくださっていたのですか。嬉しいですね」
食堂に入ると、今日はベルロードが座っていた。
相変わらず側には書類の山ができていて、彼女の手にはペンが握られていた。
「おはようカナト。調子はどう?」
「傷は塞がったみたいだ。もう五日も経ったからな」
ベルロードの向かいに座ると、クラルハイトがお茶を注いでくれた。
「それじゃあ、次の仕事の話をしようかしら」
ティーカップに口をつける。いつもと同じ、ノッツ茶だ。
「タルアシオの領主と交渉よ」
「……聞いたことないな」
「そうでしょうね。魔国の辺境にあるし、正式な領地でもないから」
ベルロードは隣に積まれていた書類から一枚引き抜いた。
手書きの地図の側には文字がびっしり書き込まれている。
「とある女が聖国や魔国から人を誘拐して、勝手に町を作っているの」
「は……!?」
「女の名はタシオ。聖国からも相当拐っているらしいけれど、聞いたことあるかしら」
「ない。そんな被害が出てることも……」
町を作れる程に人々を拐っているのなら聖国でも大問題になっていそうなものだ。
しかしそんなこと、一切聞いたことがない。
……いや、だけど、聖国にも魔物は蔓延っているし、突然帰ってこなくなるなんて珍しくないのかもしれない。
「聖国の王たちは気付き始めている。奪還を理由に魔国に攻め入ることも可能だわ」
ベルロードは手元の紙に視線を落とした。
「タシオを早く何とかしないと、共生なんて言っていられない」
彼女の白い手が卓上でぎゅっと握られた。
俺達は、神の声に従って魔王を倒すことを目的としていた。だけど聖国の人達にとって、その先に魔国を滅ぼすことがあると――察していなかったわけではない。
クラルハイトが俺達の前に皿を置く。立ち上る湯気を見ながら口を開いた。
「魔国からも拐われてるなら、どうして魔王は止めなかったんだ?」
「彼女――タシオが魔力の使い方に長けていて、魔国でもトップレベルに魔力の許容量を持っているから」
「……それだけ?」
「ええ。それだけよ」
「念のため聞くが、魔国でも誘拐は罪になるよな?」
「なるわ。……本来は、きちんと裁きを受けるべきなの」
悔しそうにそう言って、彼女は思い出したかのように拳を解いた。
魔国では魔力が立場になると言っていたが、罪すら見過ごされるというのか。
……だとしても、身勝手に攫われてそのまま、なんて駄目だ。
「それで、今からタルアシオに行くのか?」
「……いいえ。恐らく交渉だけでは済まないでしょうし、少し問題もある」
ベルロードは隣の書類からもう一枚引き抜く。
花のスケッチとショッキングピンクの魔法陣。確かこの魔法陣の色とハートのような紋様は――。
「魅了……?」
俺の呟きにベルロードが頷き、花を指差した。
「タシオはこの花を媒介にして、町中を魅了魔法で満たすことで人々を町に縛っている」
顔を上げる。この間の戦闘で見た限り、ベルロードとクラルハイトの魔力は相当高い。
俺の視線に気付いたのか、クラルハイトが肩を竦めた。
「ボクではタシオの魅了を完全に防ぐことは不可能です」
「防ぐだけなら、短時間は可能よ。けれど、タシオは単に交渉だけでは終わらないと思っているの」
ベルロードは一度言葉を切り、居住まいを正した。
「……従わなければ、殺すことも視野に入れているわ」
誘拐して、町を作るくらいする奴だ。
単に処罰したり捕まえたりしたとて、何らかの再犯を行う可能性が高いのかもしれない。
「……戦闘で魔法を使うと、魅了を防ぐリソースが減るのか」
「そういうこと。タシオを止めるには、貴方が必要なの」
戦闘しないにしろ、俺は対策無しで使える駒……ということだろう。
「わかった。だけど、俺一人でタシオを倒せるかは……正直わからないぞ」
「もちろん私も戦う。貴方一人に任せるつもりはないわ」
ベルロードは息を吐くと、背もたれに体を預けた。
「魅了を防ぐ衣服も用意したけれど、欲を言えば、あと一手欲しいの。何かアイディアはないかしら」
ノッツ茶を一口飲む。
つまり、その場で魔法を使わず魅了を解除、もしくは緩和できるもの。
「……これ、使えないか?」
俺は懐から四つの袋を取り出し、中のものをテーブルに並べた。赤、青、黄色と緑色の丸い玉が並ぶ。
クラルハイトが机を覗く。
「それは、先日使っていた……」
「ああ。魔力玉、って俺たちは呼んでた」
クラルハイトの言葉に頷く。
「中に魔法を閉じこめてあるんだ。この緑のやつが回復で、あとは攻撃系だ」
俺は緑色の魔力玉を手に取った。二人の視線が集まる。
「魅了解除の魔法を入れた魔法玉を作れば良い、ということね?」
「ああ。できるかは分からないが、試してみないか」
顔を上げると、クラルハイトの背が小さくなっていた。それに言及する前にベルロードが口を開く。
「これの材料は何かしら」
「フォボン草ってやつの花、だけど……」
そう言った瞬間、テーブルの上にドン、と分厚い本が置かれた。
机の傍には小さなクラルハイトがいる。しかし、先程と変わらずベルロードの隣にもいた。
「魔国ではムーフェ草と呼ばれており、比較的魔力濃度が低い地域に咲くそうです」
「……ユララに聞いたときは魔力濃度が高いところって言ってたぞ」
「聖国の魔力濃度は魔国と比べて相当低いですから。魔国基準での魔力濃度が低い場所が、聖国では魔力濃度が高いと言われるのですよ」
クラルハイト達は目を離した一瞬で一人に戻っていたようで、元の長身になっていた。
「咲いている場所の検討はついたわ。早速採りに行きましょう」
「俺も行く。人手は多い方がいいだろ?」




