三節 『聖典』
しゃくり上げた瞬間、足音が耳に入ってきてベルロードが現れる。
手には分厚い本を二冊抱えていた。
「待たせたわ」
彼女はちら、と皿に視線を向ける。
「美味しかった?」
「ああ。美味かったよ」
「そう」と頷き、ベルロードは隣に座ってきた。
そうして、二冊を机に並べる。白と黒の表紙で、どちらも凝った装飾がされている。
ふと、白い表紙の本のタイトルで目が留まった。知っている文字だと思い、記憶を辿る。
「聖……典……」
「魔国文字で書かれた聖典と、聖典文字で書かれた聖典よ」
ベルロードは満足気に頷いた。俺は眉を顰める。
「聖典って……神についてとか、規則が載っている……」
「ええ。……魔国と聖国が争っている理由はこの聖典の解釈の違いによるものよね」
確認事項のような口ぶりに「そうなのか?」という驚いた声が漏れた。
「知らなかったの?」
「……価値観の違いだ、としか……」
二国が戦争を続けていた理由は……確かどこかの演説で聞いただけだった気がする。
転生してユーシャについて行くと決めてからは何の疑問も持たずに魔王を倒そうとしていた。
まだ、知らないことばかりだ。
「……一旦その話は置いておきましょう。この二冊、内容はほとんど同じなの」
ベルロードが数ページめくって、聖国文字で書かれた方を指差した。
「ここ、読めるかしら?」
「創造記」と記された、冒頭の一行だ。
「はじめに、神だけが……在った」
「正解よ。次はこっち。聖国文字と比べてみて」
魔国文字の本を目の前に置かれる。
聖国文字と見比べていると、いくつか似たような字を見つけた。
それを並び替えて、何とか文章にする。
「……はじめに、神が……存在した……?」
「大体あってるわ。魔国文字と聖国文字はほとんど同じ形で、少し語順が変わるのよね」
次の文に目を向ける。
――「神は魔力を用いて大地を創造し、生きるものを創造した」
二冊とも、同じようなことが書いてある。その次も、さらに次もそうだった。
「…………魔国の聖典にも、〈規則〉って載ってるか?」
「あるわよ。……ここからね」
ベルロードは真ん中あたりまでページを繰った。
――第一条「罪の無い者を殺さないこと」
いつか聞いた言葉を頼りに目を走らせる。そうして、見つけた。
――第十三条「異世界人は凶兆の証である。その者により、災厄が起こされる」
この規則は道徳規範を示したもの。
この世界では規則を信じ、守ることが正しいとされている。
唇が歪む。
「……聖典にあるのなら、他の異世界人が歴史上にいたことになるのよね」
ベルロードの言葉に顔を上げる。
彼女は顎に指を当て、考え込むように聖典を見ていた。
「どの歴史書にも、異世界人が居たという内容が残っていない……これは、レフタルの受け売りなのだけれど」
「異世界人なら、一目でわかりそうなものだけどな」
「そうなのよ。現に、貴方が現れた時にはすぐに魔国まで情報が広まっていた」
「……殺されたんじゃないか」
ベルロードが顔を上げる。俺は目を逸らし、肩を竦めた。
「異世界人だから、魔力管がない。
だから俺の周りだけ魔力から隔絶されている……こんなことあり得なくて、だからおかしいんだろ?」
流れるようにそこまで言って、口を閉じた。
ベルロードがじっとこちらを見ている。
赤い瞳は何の感情もなくて、彼女の大きな瞳には、歪んだ俺の顔が映っているばかりだった。
「……そうかもしれないわね」
ベルロードは立ち上がった。皿を持って、俺に背を向ける。
「それは貸すわ。分からないところがあったら聞いてちょうだい」
歩き出そうとした瞬間、ベルロードが足を止めた。
「……それと」
振り向きざま、ベルロードの長髪が靡く。
何かを宣言するかのように、彼女は背筋を伸ばした。
「貴方が何であれ、今は私の協力者なのよ。その自覚と自身を持ちなさい」
それだけ言って、ベルロードはガゼボを出ていってしまった。
辺りには、ムロフィーの甘い香りだけが残っていた。
俺は頬を叩いた。
乾いた音が、やけに大きく響く。
今はベルロードの協力者なんだ。世界から嫌われようが、俺にできることがあるならやるしかない。
勢いよく立ち上がった瞬間、腹の傷が鋭く痛んで座り直す。
息を吸うだけでズキズキと痛みが主張しだす。
「……とにかく……怪我を治さないと……だな」
震えた声が、ガゼボの中で反響した。
■□
ヒールの音が空っぽの廊下に響く。
ムロフィーはすっかり冷めてしまったようだったが、かすかに甘い匂いが残っていた。
――「貴方が何であれ、今は私の協力者なのよ」
去り際に放った己の言葉を、鼻で笑う。
なんて、空々しい。
神なんて信じてない。聖典なんてただの本。だけど。
――「異世界人は凶兆の証」
――「だから、あり得なくておかしいんだろ?」
カナトは大切な協力者。
私に残る、唯一の頼みの綱。
それなのに、本能がおかしいと警鐘を鳴らす。
得体のしれないナニカと向き合っているような感覚。
姿形は同じでも、あれが同じ人だと受け入れきれない無意識。
窓に映った自分の姿に自嘲する。
魔国と聖国の共生なんて大それた思いを掲げようが。
彼を忌み、利用している時点で私も他の人と同じだった。
……それでも目の前で彼は怯え、苦しんでいた。
だから手を離すつもりなんてない、なんて。
「……馬鹿ね」
皿が震えてムロフィーが転がる。
窓から視線を外し、私は歩き始めた。
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【次回更新:2月21日(土)】




