二節 焼き菓子
朝食を食べ終え、俺は屋敷を歩いていた。
窓から燦々と日の光が差している。相変わらず屋敷の中は静かだった。
クラルハイトの話では大体が空き部屋だという。
鍵が掛かっていなければどこに入っても構わないそうだ。
少しだけ屋敷内を探索することも考えたが、結局アテもなく歩いていた。
一階の端の部屋まで辿り着いて、その前で立ち止まる。
今までの部屋よりも大きく重たそうな扉だ。
ドアノブに手をかける。鍵は、かかっていない。
そっと扉を開けると中は真っ暗だった。
少しだけ興味が湧いて、昨日買ったランタンを点けて部屋に踏み入る。
壁を照らすと、一面に本が並んでいた。どうやらここは書庫のようだ。
ランタンを本棚に近付けて背表紙を眺めるが、何と書いてあるかは読めなかった。この世界に転生してから覚えたはずの聖国の文字とも少し違う。
……魔国の文字も覚えないといけないかもしれない。
部屋の中を進んで、なるべく薄くて、簡単そうな内容の本を探す。
天井まで届くほどの本棚に、隙間なく本が並んでいる。
この世界では本は貴重だ。ここまで集めたとなると、相当な時間と金が必要だったに違いない。
ふと下の方を照らすと本棚の一角に横向きに積まれている本が見えた。
腹の傷を庇いながらしゃがみ、一冊開く。
それは数ページの薄い本で、水彩画のような柔らかな絵と、丸い文字が添えられている。
「……絵本?」
文字の勉強に使えるかもしれない。俺はいくつか手に取って部屋を出た。
部屋の明かりをつけるにはクラルハイトを呼ぶ必要があるが、わざわざ呼ぶのは悪い。
歩きながら窓の外を見ると庭に小さなガゼボの屋根が見えた。
周りは生け垣が囲んでおり、薔薇に似た花が咲いている。
陽に照らされており、本を読むのにちょうど良さそうだった。
■□
「う~ん……?」
俺は唸って絵本から顔を上げ、ぐっと伸びをした。
聖国の文字と似ている気がするが、文形が違うのか、内容が掴めない。
そもそも聖国の文字だってよく理解していないのだった。
ただ、絵や文字から推測するに、姫か貴族の少女が主人公の、日常の話に見える。
絵本を閉じ、ガゼボの天井を見上げる。
風が吹き抜けて青臭い空気を運んできた。
この屋敷自体が街から離れた森の中にあるせいか、こうして庭に出ても鳥の囀りや森の木擦れしか聞こえない。
今頃みんなはどうしているだろうか。
せめてこんな、平和な時間を送れているのだろうか。
浮かぶのはそんな思いばかりで、腹の傷がズキズキと痛みを主張しだした。
風に乗って甘い香りが漂ってきて、俺は辺りを見渡した。
花というより、お菓子のような香りだ。
「……あら、カナト」
ガゼボの入り口に見えたのはベルロードだった。
手には大皿を持っており、その上には何かが乗っている。それが甘い香りの正体のようだ。
「ここ、使うか?」
手早く絵本をまとめて立ち上がろうとする俺をベルロードが制した。
「使っていていいわよ。私は休憩しに来ただけだから」
彼女は俺が脇に抱えた絵本に気付いたようで、じっと見ていた。
「……貴方、それ」
「書庫で見つけたんだ。……悪い、もしかして、持ち出したらまずかったか?」
誰かの大切な本だったのかもしれない。
それとも、呪物的な類いだろうか。とにかく勝手に持ち出すんじゃなかった。
「そういうわけでは、ないのだけれど」
ベルロードがガゼボに入ってくる。皿を中央のテーブルに置いて、隣に座ってきた。
「……どうしてこれに、興味を持ったの?」
「魔国の文字を勉強しようと思ったんだ。……無理だったけど」
「……そう」
ベルロードはこくりと頷いた。
ただ、顔は上げず、絵本に視線が注がれている。その顔には何の表情も浮かんでいない。
「……少し待っていてくれる?」
ベルロードが顔を上げ、髪を払った。ふわりと花のような香りが漂う。
「聖国の字は読めるのよね?」
「多少はな」
「勉強、手伝うわ。その本もついでに書庫へ戻すから……」
「それなら俺も行くよ」
「いいの。貴方は待っていて。……そこのムロフィーは食べても良いから」
ベルロードは立ち上がり、絵本を持つとガゼボを出ていった。俺は卓上の「ムロフィー」に目を向ける。
見た目はマフィンやカップケーキに近い。キツネ色をした、小さな焼き菓子だ。
いくつかにはドライフルーツらしきカラフルな欠片が入っている。
一つ手に取り、齧ってみた。
焼き立てなのかほのかに温かい。優しい甘さと鼻を抜ける香ばしさ。ふかふかした食感は食べているだけで幸福を感じる。
「おいしいな……」
そう呟いた瞬間、目尻が熱くなったのを誤魔化すように残りを頬張った。
初めてクロンが作ったお菓子も、これに似たものだった。
ユララとラディーヌが手伝いながら、三人で一緒に作っていたのを俺とユーシャで眺めていた。「二人は待っていてください」と、クロンが言うから。
皿に手を伸ばし、もう一口齧る。
まだ魔力の調節に慣れていなかったクロンを、ユララ達がサポートして。次第に漂ってくる甘い香りを感じながら、ユーシャに「お茶でも淹れるか」って立ち上がって。
胸に詰まる何かを飲み込もうとして、口を動かす。
焼き上がったお菓子は少し焦げているのもあって。クロンは少しだけ恥ずかしそうに、だけど少し自慢げにそれを並べていた。
「っ……」
耳元に、あの時の笑い声が蘇る。
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【次回更新:2月18日(水)】




