六節 狂化
「よし、これで手当てはおしまい」
ユララが包帯を切った。不思議と包帯の奥で少しだけ痛みが静まったように感じる。
「ありがとな……皆は無事か?」
「みんなもう元気いっぱいよ」
ユララは救急箱に包帯をしまう。
「……ユララ」
「なあに?」
「……大丈夫か? さっきの……傷は」
ユララが顔を上げる。一筋の血の痕跡すらないが、頬に薄っすらと傷跡が残っていた。
魔物に襲われていた商人を助け、ユララが商人達に回復魔法をかけようとしたあの時。
「魔人が近付くんじゃねえ!」
叫び声と共に投げつけられた剣が、彼女の頬を掠めたのだ。
一瞬だけユララは呆然と目を見開いていたが、すぐにユーシャを呼び、回復魔法をかけるよう頼んでいた。
ユララは微笑んでいたが、唇の端が歪んでいた。
「……私は、平気だよ」
彼女は一瞬目を伏せ、彼女は怒ったように少しだけ唇を尖らせた。
「それよりもカナトくんだよ。さっきの戦いでも前に出て……また怪我が増えちゃったじゃない」
ユララはバッグから液体の入った瓶を取り出して、こちらに渡してきた。
「回復薬、あれから改良したの」
「いつも悪い――」
「カナトくん?」
「――ありがとう。ユララ」
「よくできました」
くすくすと笑う彼女から回復薬を受け取り、一気に飲み干す。
「どうかな?」
「……うん、凄い飲みやすい」
「よかったぁ……前回は酷い味だったもんね」
「効果は抜群だったけどな」
視線を合わせて、二人揃って笑った。
「さて。ご飯の用意しようかな。みんな頑張ったから、たくさん食べて元気になってもらわないとね」
「俺も手伝うよ」
立ち上がろうとする俺の肩を「だめだよ」と優しく押した。
「怪我人は休むのがお仕事なんだから」
優しく肩を叩かれてユララが背を向ける。
――身体が動かない。声も出ない。
ユララの背中が遠ざかっていく。そうして俺は、これが過去の記憶だったことを思い出した。
□■
目蓋を開ける。
見たことのない石の天井。ベッドに寝かされているようだ。
身を起こし、周囲を見渡す。カーテンが閉まり、明かりもついていないので部屋は薄暗い。壁沿いには薬品が並ぶ棚があった。
壁越しに足音がして、ドアが開く。入ってきたのは見知らぬ若い男だった。
ベッドの中で身を固くする。
男は俺の姿を見ると、少しだけ眉を上げ、魔法で明かりをつけた。男の外見は普通の人間にしか見えなかった。
「意識が戻ったか」
男はベッドに近付いてくる。咄嗟に胸元のナイフを握りしめた。
「……誰だ」
「レフタル・スフィス。このスフィス領――通称研究特領の領主を任されている。レフタルと呼んでくれ」
男はナイフをちらりと見ると足を止めた。
「ベルロードからキミの手当てをするように言われた。些細な点でも良い。何か問題はないか?」
ベルロードの名前が出て少しだけ思考が回り出し、スフィス領が向かっていた場所の名だと気付く。
「……ベルロードはどこだ?」
「今は魔力研究者達と会話中だ。それで、身体に不調は」
レフタルは腕を組むと冷えた目をこちらに向けてきた。視線は冷たかったが、敵意はなさそうだ。
ナイフを下ろす。
「……不調はない。すまなかった、疑って」
「構わない」とレフタルは頷き、横にあった丸椅子に座った。
「キミに聞きたいことがいくつかある。会話はできそうか?」
「ああ……なんだ?」
「キミが戦った狂化した魔物について。
……狂化した魔物が神殿から離れることは稀だ。今回の事例のように集団で町を襲うなどは、前例がなかった」
つらつらと言葉を紡いでいたレフタルがピタリと止まる。
「ここまでで何か質問は?」
「……そもそも、狂化ってなんだ?」
レフタルは「ふむ」と頷くと、棚からコップを一つ取り出し、魔法で側面に穴を空けて、机に置いた。
「このコップを身体、水を魔力だとしよう」
彼は指先から水を流し、コップのなかに入れはじめた。
「人によってコップの量や穴の大きさ……つまり、魔力を溜められる量や放出できる魔力の量は人によって違う」
透明な水がコップの中に溜まりはじめ、ちょろちょろと側面の穴から出ている。
「我々は自然に空気中から魔力を取込み、排出している。では、魔法による攻撃を受けた時はどうなるか」
レフタルの手から出る水の量が増え、コップから水が溢れ始めた。
「許容魔力量を超えた場合は、身体にダメージが入る」
レフタルが出す水の勢いが増す。水はコップに当たり、辺りに飛び散り始めた。
「ではこのように、強い魔力を浴び続けたらどうなると思う?」
「……割れる?」
そう答えたのと同時にコップが勢いよく割れる。
破片が宙を舞ったが、魔法によって机の端に集められた。
「正解。魔力により身体そのものが壊れた状態を、狂化と呼ぶ」
町で戦った魔物たちも急に身体が弾けたようだった。無意識に、ナイフを握りしめる。
「狂化は動植物、ヒト、魔物関係なく起こりうる。その多くが神殿に引き寄せられ死ぬ。それが現在有力な説だ」
神殿。またその言葉だ。
俺の反応に気付いたのかレフタルは続けた。
「各地に設置された神殿の中には魔力を溜める機構があり、それが狂化したものたちを引き寄せていると考えられている」
レフタルは足を組むと、こちらを向いた。
「以上。何か質問は?」
首を振る。
その時、ドアが開いてベルロードが入ってきた。レフタルは立ち上がり、壁際に立った。
「確認だ。神殿の魔力量は?」
「ほとんど残っていなかった。六割くらい補充しておいたわ」
「……やはりか。協力に感謝する」
神殿の魔力量が減ったから町に魔物が現れた、ということか。
道具屋の店主の言葉をふと思い出す。確か神殿に魔力を捧げるのが数ヶ月遅れた……とか。
「……魔王が死んだから、魔物が町を襲った……?」
俺の呟きに二人の視線が動く。
頭の中では町の惨状が蘇っていた。噎せ返るようなあの匂いを思い出して生唾を飲み込んだ。
「間接的にはそう言えるかもしれないが、断言はできない。神殿と狂化の関係もまだ仮説段階だからな」
レフタルは俺を見下ろす。
「何か言いたげだな。どうした」
彼の真っ直ぐな視線から目を逸らした。
「……責めないのか」
「私はしない。まだ断定できないことだからな」
「もしも、そうだと判明したら?」
「私は責めない。その上で事実が判明したことを喜ぶだろう。しかし、責める人々を止めることもないだろうな」
「――そうか」
腹の辺りがズキズキと痛み出す。
――俺は、何かを守れたのだろうか。
不備や誤字脱字等ありましたら、お手数ですが、コメント欄、報告機能でお伝えください。
また、感想や評価をいただけると執筆の励みになりますので、押していただけると嬉しいです




