三節 魔国の町
路地から出ようとした俺を、クラルハイトがそっと止めた。
「少々お待ちを」
差し出された腕の中には、フード付きの大きなマントがあった。
「ベルロード様からこちらを預かっております。念のため、とのことですが……いかがいたしましょう?」
胸の底が冷えた。
魔王征伐の道中でも、何度も罵声を浴びせられた。
――お前のせいでオレは死ぬ。
――アンタのせいでこんな目に!
――ヒトが! 近付くなよ!
記憶の中の声が蘇る。無意識に、拳を握っていた。
「……貰っておく。ありがとな」
「お礼はベルロード様に」
「ああ。帰ったら伝えるよ」
フードをなるべく深く被る。正面からでも顔はよく見えないだろう。
「それでは行きましょう。まずは服です」
クラルハイトは迷いなく歩き始めた。歩きながら店を覗く。このあたりは建物の中に店があるタイプらしい。奇妙な道具や、魔導書、アクセサリーなどが売っていた。
一軒の店に入る。落ち着いた内装の店内には、いくつかトルソーが並んでいた。肩甲骨の辺りに穴のあいたシャツ、尻尾のためか切り込みの入ったジャケット。
魔国の住民の身体に合わせた服だろう。どれも上質で、明らかに高価そうだ。場違いな雰囲気に身を縮めた。
クラルハイトは早速店員に近付いて何やら話している。
所在なくトルソーを眺めていると、「カナト様」と呼ばれたので、店員の居るカウンターに近付く。カウンターには白いシャツと仕立ての良いズボンが幾つか並んでいた。
「こちらの服でよろしいでしょうか」
こんなのまるで貴族が着るような服で、俺が着るようなものじゃない。そう思ったが、何か意図があるかもしれないと頷いた。
「お直しはいかがいたしましょう」
「必要ありません」
一瞬、店員の目が品定めするように全身に向けられる。無意識にローブをより合わせた。
「彼、ボクの親戚なんです」
店員の視線に気付いたようで、隣でクラルハイトが穏やかに笑う。いつも通りの胡散臭い笑顔だ。
「そうでしたか。失礼いたしました」
店員は頭を下げ、すぐに会計に移った。店を出てから一度大きく息を吸う。体中にじっとりとした汗をかいていることにようやく気付いた。
「お疲れ様でした」
クラルハイトが小さな声で言ってくる。それに頷くと、クラルハイトは歩き出した。
「次はカナト様の生活道具です」
「道具なら隣の店にもありそうだったぞ」
「あの辺りは富裕層向けの店ですから。魔法が使えないと使用できない道具ばかりです」
「……なるほどな」
道を二本ほど渡ると、先ほどの静けさとは打って変わって、にわかに騒がしくなった。そこは商店街のような場所で、店が両手に並び、客寄せの声がそこかしこから聞こえてくる。
クラルハイトはその中の一つに入る。そこにいたのはガタイの良い、大きな牙の付いた男だった。
男は俺達に気付くと巨体を揺らしながら近付いてきて、クラルハイトの背中をバシバシと叩いた。
クラルハイトはわずかに揺れながらも笑顔だった。
「クラルハイト! 久しぶりだな!」
「お久しぶりです。店長」
店長と呼ばれた男は豪快な笑顔を浮かべた。
「今日はなんだか、町が賑やかですね」
「捧魔祭が近いからなぁ」
「捧魔祭?」
俺の呟きが聞こえたのか、店主がこちらを向いた。
「町中の人が神殿に魔力を捧げるんだよ。魔王様が死んだとかで、いつもより二月も遅れちまった」
「そうでしたか」とクラルハイトが頷く横で、俺はフードの縁を引っ張った。
この町には初めて来たはずだから仮に顔を見られても問題はないはず。そうだとしても、少しだけ怯えが勝った。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「買い物に来たんです。彼、魔法が一切使えなくて」
ぎょっとしてクラルハイトを見る。
「そうかぁ……」
一気に神妙な声を出した店主は、俺の方へ近付いてきた。一歩身を引こうとしたが、背後には何か物があって動けない。
「それは災難だったな」
優しく肩を叩かれ、おそるおそる顔を上げる。
「怪我とか病気とかで、魔法が使えなくなっちまうことはたまにあるんだ。まったく使えなくなっちまうのは、稀だがな」
店主は机に手を伸ばすと、俺に何かを渡してきた。それはランタンのような物だったが、中には何も入っていない。
「ここ、押してみろ」
店主の言う通りに、側面にあったスイッチを押すと、中心に柔らかな光が生まれた。
「次はこれだ。ツマミを回してみな」
からっぽの壺を渡され、言葉通りにツマミを回すと、中から水が湧き出てきた。もう一度ツマミを回すと水が止まる。
店主は自慢げに笑い、俺の肩を叩いた。
「こうやって魔法が使えなくたって生きていく方法はあるんだ。だから、大丈夫だぞ」
バンと力強く背中を叩かれ、思わず机に手を付く。俺は、顔を上げられなかった。
「なんで……」
「オレは道具屋だ。人が生きるための道具を作るのが仕事なんだ」
店主はグッと拳を握る。
「今じゃ、魔法が使えないことを隠そうとしたり、生活の為に無理に魔法を使って死ぬヤツもいる。オレはそれが許せねえ。
だからよ、困ったらオレの店――ヴェルク工務店に来な!」
生唾を飲み込んだ。魔法が使えないことを肯定されたのは、ユーシャ達以外だと初めてだった。
「……ありがとう、ございます」
――だけど、異世界人だとバレたら。
頭の中の声に唇を噛む。この状況でこんなことを考える脳に辟易した。
絞り出した声に「おう!」と店主が笑う。
「道具は好きに見て良いからな! 魔法が使えないヤツ向けのは、そこの箱の中にあるぞ」
店主はそう言って、店先でモノを見始めた客に話しかけに行った。隣に来たクラルハイトは、変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
「……優しい人だな」
「ええ。彼は数少ない、私達の理解者でもありますから」
俺達は色々試しながら、小さなランタンと水の出る大壺を買うことにした。
「もし不調が出たりしたらすぐに来いよ!」
会計中、店主はそう言いながら俺の肩を叩いていた。
小さく会釈をしながら店を出る。心地の良い風が吹いて、俺は小さく息を吐いた。
「良い買い物ができましたね」
「これで風呂の時クラルハイトに世話をかけなくて済むな」
「ええ」
くすくすと笑うクラルハイトに俺も口角を上げる。
柔らかい風が吹いて、空が晴れ渡っていることに、ようやく気付いた。
その、瞬間だった。
「逃げろ!」
遠くの方で、誰かが叫んだ。通りの騒がしさが少しだけ静まり、群衆の視線が動く。
「逃げろ! 魔物が出た!」
その声を皮切りに、一斉に人々は動き出す。
「魔物が町の中に!」
「自警団は!?」
「逃げろ! 戦えねえ奴は建物の中に入れ!」
俺はクラルハイトを見る。
身体が勝手に動いていた。あの旅の中で何度もこうやって戦ってきたのだ。もう恐怖には慣れてしまって、理性が先行していく。
「クラルハイト、戦えるか?」
「ええ……ですが、今は全力を出せませんし、ボクは戦闘向きでないです」
クラルハイトは少しだけ眉を下げた。
「わかった……向かうぞ」
「……少々お待ちください」
クラルハイトの手のひらに魔法陣が浮かび、光が生まれる。その中から半透明な蝙蝠が出てきて、次の瞬間には蝙蝠は消えていた。
「ベルロード様へ伝令を送りました。……魔獣の気配がやけに濃いです」
クラルハイトの声色がいつもより低い。
――俺達だけでどれだけ持ち堪えられるか。
両手で頬を叩いて気合を入れる。
「行こう!」




