二節 魔人
朝食後、俺とクラルハイトは空飛ぶ馬車に乗っていた。クラルハイトはまだ小さいままで、ベルロードは別件だと言って何処かへ行ってしまった。
「やっぱり、空飛ぶと速いな」
「たまに魔物とぶつかるのだけ、難点ですがね」
「……落ちたら死ぬよな」
「大丈夫です。魔法で助けますよ」
……俺には魔法が効かないんだがな。慣れたはずの疎外感が胸を刺す。にこにこと笑うクラルハイトに曖昧な笑顔を返した。
窓から見えるのは雲ばかりで、ここから落ちたらなんて想像もしたくない。
この世界に来てから危ない瞬間は何度もあったが、あの頃とは違う。今はクラルハイトと二人きり。受け止めてくれると信じられる存在が、今はいない。
クラルハイトが小さく笑った。
「冗談です」
「……どこから」
「魔物とぶつかる、というところです。魔物を感知したら避けるよう調教していますから」
「……本当か?」
「ええ。それに……」
クラルハイトが僅かに目を開ける。
「ベルロード様から貴方を守るようにと申しつかっておりますので」
少しの振動がして、馬車が止まったようだった。クラルハイトは手早く扉を空け、手で外を示す。
キャビンから出た途端、息を呑んだ。
辺りを囲む建物は石レンガを基調としており、高くても三階建て程度。聖国とあまり変わらない街並みだが、歩く人たちが随分と違っている。
獣の耳と尻尾が生えた者。大きな翼を持つ者。緑色の屈強な身体を持つ者に、全身を鱗で覆われた者。
聖国では魔人と呼ばれていた者たちが、普通に歩いていた。
「やはり驚きますか」
「……魔国に魔人が多いことはわかってた、けど……」
こんなに普通に生活しているなんて思わなかった。
その言葉は、何とか飲み込んだ。
聖国において、魔人は堂々と町を歩けないほどに虐げられている。少しでも外見に変化があれば蔑むような目に晒されていたというのに。
「……魔人、ですか」
低い声に口を噤む。
――魔人はいわば蔑称だ、と気付いてひやりと腹の底が冷える。
クラルハイトを見ると、いつもと変わらない笑みを浮かべていた。
「貴方たちが魔人と呼ぶ生き物も、聖国で生きる“人”も同じ生き物なのですよ」
クラルハイトが路地へ向かって歩き出す。数歩遅れて後に続くと、執事は声を落とした。
「貴方達のパーティーにいたユララという女性も、そうでしたでしょう?」
目を見開く。全身が強張った。半歩、距離を取る。
「……どこかで見ていたのか」
「貴方達の旅路は、ばっちりと」
「会ったことは、ないよな?」
「いつも陰から見ておりました」
クラルハイトは笑っている。
「数え切れないほど巻き添えも喰らいましたよ。何度死んでしまったことか……」
笑顔のまま目尻を押さえるクラルハイト。俺は生唾を飲み込んだ。
「……分裂か」
「ええ。分裂して死んでしまったボクも、取り込めばボクの一部に還りますから」
クラルハイトがこちらを向いた。その顔には、いつもの怪しげな笑みしか浮かんでいない。
その表情に、じわりと恐怖心が思考を支配した。
ベルロードは、聖国と魔国を共生させると言っていた。もしも、こいつレベルの性質を持つ者が普通なのだとしたら、それは叶うのだろうか。
「ですが……」
コン、と音が響く。クラルハイトが床石を踵で叩いた音だった。僅かに開かれた目が、こちらを向いている。
「ボクも人です。弱点もありますし、終わりもあります」
クラルハイトの表情も、声色も変わらない。
「貴方も同じでしょう?」
足が止まった。
「ベルロード様の協力者なのでしたら、目を逸らさないでください」
風が吹く。俺の前髪が揺れる。その奥でクラルハイトの半透明の髪だけが、少しもなびいていなかった。
「都合の良い線引きも、中途半端な諦めも、決して許されない」
クラルハイトは一歩近付いてきた。息を詰める。俺を見上げる瞳が、煌めいた。
「最後まで、逃げないでください」
そう言うと、クラルハイトはくるりと正面を向いた。ざわめきがすぐそこまで迫っていることに、ようやく気付く。クラルハイトの後ろで、人々が行き交っていた。
「着きましたね」
「……クラルハイト」
一拍、息が詰まってから声が出た。
「はい」
「後で、お前の好きな店でも教えてくれよ」
「喜んで。昼食はボクのお薦めの店を紹介します」
俺達は視線を交わし、クラルハイトの怪しげな笑みに小さく笑い返した。




