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キド  作者: 野乃
第1章
3/33

3話

 「はぁ~疲れた……久しぶりに走ったもんな」


 双樹は片手に牛乳パックを抱えて帰路に着く。

 日頃の運動不足がたたってあと少しの距離で限界が来てしまった。

 暖かい風が頬を撫でる。

 ボーっとしてまだらの桃色を視界に映しながら、履きなれたスニーカーで踏み込んだ。

 葵はきっと今ごろ、家事をしている母親の周りをついて回っているところだろう。好奇心旺盛な十一も離れた弟は、双樹の退屈な毎日をなんだかんだと彩ってくれている。


 「……ん?」


また一歩踏み出そうとして、双樹は異変を感じ取った。


 「な、なんだ……?」


 地面が揺れている。


 「地震?」


 ドンッッ‼‼‼


 「なっ⁉ う、うわっ⁉」


 その瞬間、突如として先ほどとは比べ物にならない揺れが襲い、後方で爆音が鳴り響いた。双樹は理解も追いつかぬまま地面に手をつく。

 重い紙パックがぼとりと転がった。

 すぐに音の方向を垣間見れば、はるか遠くの山から烏が飛んでいくのが分かる。そして、その頂きから、ゆっくりと緑色の巨大な頭が覗いた。


 「は……なんだよあれっ」


 双樹の声が震える。

 あの生き物が何なのか、分かってはいる。それでも本物を目の前にすると、信じられなかった。


 「……セルファだ」


 町のあちこちからサイレンが鳴り響く。遠くの空から戦闘機やヘリが飛んできている。

 双樹はそれから目を逸らせないでいた。

 すると、ギョロリとした気持ち悪い目がこちらを向いた。


 「ひっ……!」


 巨大生物と、目が合った気がした。

 その衝撃で双樹は我に返って、家にいる母と弟のことを思い出した。もしかしたら先ほどの揺れで家のどこかが崩れたかもしれない。

 近隣の家も騒ぎに気付いて人が出てきている。

 早く家族を連れて避難しなければ、と双樹はまた走り出した。さっきのあの瞬間が後を引いて、まだ心臓がドクドクと脈打っている。

 けたたましい警報に、人々の怒号、遠くの爆発音が日常を切り離す。


 桜の木が、見えた。


 我が家が、見えた。


 ヒュンッ、と大きな影が、双樹の頭上を通り過ぎた。


 「……え?」


 慣れ親しんだ日本家屋が、目の前で巨大な岩に押しつぶされた。


 「…………ありえない」


 足は地面から離れず、全身から血の気が引いていく。

 時間が止まった。

 思考が止まった。

 双樹は震える手で顔を押さえる。

 その間にも大きな音を立てて何かが周囲に降ってきている。


 「だってあそこには、母さんと、葵が……っ!」


 そんなはずはない。双樹は最悪を否定するために駆け出した。


 「違う…………っ‼」


 ――さっきまで一緒だったんだ。


 「違う……っ‼」


 ――二人が、


 「違うっ‼」


 ――おかえりって、


 「違うっ‼‼‼」


 ――言ってくれるはず。


 「……違うんだ、これは、夢だ」


 壊れたドア。暗い廊下。家の中だけが、静か。

 行き先を阻む岩先の奥、崩れた家具の山に投げかける。


 「か、かあさん……あおい……」


 震える声で双樹は二人を呼ぶ。

 だが音にならなかった呼吸が喉を詰まらせた。

 大きく見開かれた目が、ある一点を見つめる。


 「あ、……ああああっ‼‼」


 真っ赤な血が、瓦礫の下からじわりと溢れ出した。

 双樹の肺は押しつぶされ、喉は焼かれる。

 血だまりが、双樹に擦り寄る。


 「っ、い、いやだ……っきっと生きてる、死んでない、まだ、助かる……っ」


 ふらつきながら廊下を進み、冷たい石に手をかける。

 液体が足元を濡らす。


 「ふっ……‼ う、ごけぇっ‼ 動けよ……っ‼ 動けよ‼‼」


 双樹が全身の力を込めて押しても、ビクともしない。それどころか、血で足を滑らせ、ガクンと膝が崩れる。

 ドンッ‼とまた近くで大きな音がして、遠くに悲鳴が聞こえる。


 「っ、くそっ‼ なんでだよ‼ なんでっ……‼」


 叩いても、叩いても、拳から鮮血が流れ落ちるだけ。


 「っおい‼ 双樹のにいちゃん何してるっ‼」


 その時、開いたままだった玄関から、近所の男性が双樹を見つけた。

 緊迫した状況にも関わらず、少しも動こうとしない双樹にもう一度声をかけようとして、男はハッとした。潰れた家内に、血に濡れて座り込む双樹を見て、全てを理解したようだった。


 「っ双樹‼‼ お前だけでも逃げるんだっ‼ ここに居たらお前も死ぬ‼」


 それでも、双樹はへたりと座り込んだまま。


 「家族を、置いて行けない……だったら、俺も、ここで……」

 「何馬鹿な事言ってるんだっ‼‼ ほら立てっ‼ 逃げるぞ‼」

 「い、いやだ、離してっ‼‼ 母さんっ……‼ 葵っ……‼」


 男はすぐさま、無理やりにでも双樹の脇を抱きかかえて家から引きずり出した。

 必死に抵抗する双樹を停めていた車に押し込んで、自身も運転席に乗り込む。

 アクセルが踏み込まれた瞬間、車窓から見える双樹の家がガラガラと崩れて、二人のいる入口は無惨にも閉ざされた。


 「っ、ふっ、うう……ずっ……っ」

 

 車は火の上がる町を駆け抜けていく。

 男は双樹が泣き止むまで一言も発さず、避難所に着いてからは身寄りのない双樹を側で見守っていた。



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