12話
双樹が通された部屋に入ると、長い廊下が横に広がっていた。
少し立ち止まっていれば、左から走ってくる音が近づいてくる。
「お待たせしました夏宮様‼ まず更衣室までご案内しますね!」
現れたのは息を切らした三十代くらいの女性職員だった。
焦るように双樹らを誘導する。
「更衣室?」
「搭乗時はパイロットの身体状況を常に把握するために特殊なスーツを着ていただいているんです。ただ今回は急だったので、双樹さんと体格の近い第三パイロットの予備スーツをお持ちしました」
確かに彼女の手には透明な袋に入った白い衣服や靴などが握られている。
「こちらです。歩きながらこの後の流れについてご説明させていただきますね」
そう言う職員の先導で双樹らも言われるがまま歩みを進めた。
「今作業員の方たちが花柩の点検と細かな調整を行っているので、その間に双樹さんには着替えていただきます。それから我々がカイを花柩の体内に送り込み、定着したのを確認した後花柩に乗っていただきます。次に操縦についてですが、特にこちらからのご説明はありません」
「え?ないって……」
「コックピット内の設備についてはまた現場の者から紹介があると思いますが、花柩の操作についてはマニュアルがないのです。ただ、パイロットがカイと意思を通わせることでどのようにも動く。花柩は戦うための箱に過ぎないんです」
そこまで真剣に言葉を紡いでから、女性職員はパッと後ろの双樹を見て笑顔で続けた。
「なので! 好きにやっちゃってください。双樹さんが話しかければ、カイもきっと応えてくれます」
それは、双樹を励ましているようだった。
彼女も当然、このカイでは花柩が動かないことを分かったうえでそう言ってくれている。
無駄だと馬鹿にせず前向きに語ってくれる彼女の言葉が双樹にとっては温かく感じられた。
「着きました。双樹さんはこちらに着替えて、終わったらこのまま真っ直ぐ進んでください。すぐ花柩が見えるので入り口は分かりやすいと思います」
双樹はスーツの入った袋を手渡される。
「蕾蔵さんは、私と一緒に空いている会議室へ向かいましょう。簡易的な契約書にサインをお願いします。その後、また双樹さんと合流いたします」
「分かりました。……双樹」
父は双樹の肩を両手で包み込んで、その目を一度力強く覗き込む。
「お前は、一人じゃないからな」
その真剣な声色が双樹の中に重く響いた。
それから互いに小さく頷いて、父は女性職員に連れられて行ってしまった。
「……よし」
双樹はその背を見届けてから更衣室に入る。
中は一般的な造りでたくさんのロッカーが立ち並んでいた。
双樹はその一つに立ち止まって、がさがさと手元の袋を漁る。
出てきたのは伸縮性の高い真っ白なボディースーツ。広げてみれば、身体の左右に紺色のラインが真っ直ぐ引かれていた。
私服を脱いで、知らない匂いのするそれに腕を通す。隙間を逃さない衣服はどこか息苦しく感じられた。
それから黒のスラックスを履き、対照的な純白を持つ丈の短いケープを羽織る。
左胸には金のブローチが輝き、花に模られた中央には紺の宝石が埋め込まれていた。
首元にはおぼつかない手つきではめたチョーカー。
少しヒールのあるブーツに足を通して、紐を結ぶために双樹はゆっくりとしゃがみ込んだ。
「……っ、」
双樹の目から涙が溢れる。
真っ白な靴がキラキラと水滴を滑らせた。
頭のどこかでは冷静なのに、心はずっとぐちゃぐちゃだった。
ようやく一人になって、ずっとせき止めていた濁った感情が、濾過されて流れていく。
受け入れなければならない現実を理解しながら、まだ手放せない儚い幸せを追いかけて迷い込んでしまった。
双樹はただ光を求めていた。息をするために。生きるために。