1.祈りの地
静かな朝だった。始まりの教会を囲む森は、朝露に濡れ、青葉の匂いを深くたたえていた。
石畳を照らす陽光はまだ柔らかく、鳥たちのさえずりが淡く空に溶けていく。
セラは教会裏の井戸の前で、洗い物の桶を抱えていた。
長く伸びた髪を後ろでゆるく編み、白と青の野花で飾った髪飾りがゆらゆらと揺れる。
その横で、アシュルが無言で薪を割っている。
いつものように、黙って、正確な動きで。
「……そんなに力、込めなくてもいいのに」
セラが小さく笑うと、アシュルは斧を置き、ちらりとこちらを見る。
「割れてるだろ、問題ない」
「ふふ、そうだけど……顔がちょっと怖いよ?」
アシュルは何も言わず、また一本の薪を手に取った。
けれど、口元がかすかに緩んでいた。
二人は、兄妹のように育った。
けれど血の繋がりはない。セラはこの村の出ではなく、しかもノクスの民でもない。
それでもこの村は、セラを家族として迎えてくれた。
見上げれば、村の小高い丘に、結界を見守る塔がそびえている。
ノクスの民は代々、そこから王国全土を守ってきた。
子供たちは小さな結界術を学び、大人たちは畑を耕し、魔を封じる印を描きながら日々を紡ぐ。
ノクスの民にとって、結界を守るという行為は信仰ではない。
それは祖から継がれた教えであり、誓いの継承であり、自らの尊厳そのものだった。
「ねえ、アシュル……結界って、本当に“世界を守ってる”んだよね?」
セラの問いに、アシュルは薪割りの手を止めた。
「……ああ。あれがなければ、瘴気は王都にも届く」
「そっか……」
セラは小さく頷いた。
自分には、祓う力がない。
生まれた理由も、よくわからない。
けれど、この村で与えられた名前と日々だけは、本物だった。
やがて、鐘が鳴った。
教会の朝祈の時間だった。
セラとアシュルは顔を見合わせ、小さく笑って並んで歩き出した。
この平和が、ずっと続きますようにと、セラは祈った。