シラクスの老爺
名作「走れメロス」の二次創作です。
中学の時書いたものの修正版ですがよかったら見ていってください。
ピチュピチュチチチ…
教会の窓から差し込む光に照らされた孫娘の顔を見たとき、その顔は、長年祈りを捧げてきたこの教会よりも、ずっと神聖に思えた。儂の隣で静かに祈っていたその子を、思わず顔を上げて見つめてしまった。その気配を感じ取ったのか、孫娘はパチリと目を開け、儂のほうを見て、ふふっと笑った。
「アウストリウスおじいさま、お祈りが済んだなら早く工房へ帰りますよ。おじいさまの作る装飾品を待ちわびている方はたくさんいらっしゃるのですから。」
そうであった。儂はこの子の肉親から、一人の宝石職人へと顔を変えた。
早朝の城下町のなか、小さな宝石工房で孫一人、儂一人で装飾品を作っている。娘夫婦を病で亡くしてから、孫を娘同然で育ててきた。孫に幸せに暮らしてほしい、その一心で装飾品を作り続けて、気がつけば王族御用達の宝石工房になっていた。毎朝教会に二人そろって足を運ぶのも、この子に一生幸せに生きてほしい、そんな願いを神に届けるためだった。
しかしそんな幸せな日々も、長くは続かなかった。
若き国王ディオニス様はこのところ、なにかに取り憑かれているようだった。儂は国王が赤子の頃から知っているが、ちょうど18歳になられた時、国王のお母上が亡くなった時からあまりお姿をお見せにならなくなった。国民は後で知ることとなったが、そのときからお父上との関係がうまくいかないことが多くなったらしい。
しかし、実のところそれは単なる不仲では済まされなかった。ある日、王宮内にて密かに国王のお父上が急逝された。公式には病による突然の死とされたが、実情を知る幹部たちの間では、若きディオニス様自らがその手で命を奪ったと囁かれていたのだ。王室内でその真実を知る者は少なく、真相を闇に葬ることで国の混乱を防ごうとした宮廷幹部たちの判断によって、彼は新たな国王として即位された。
それが、この国の不幸の始まりだった。
即位後、国王は次々と王族や近臣に手をかけていった。理由はただ一つ、「誰も信じられぬ」という心の叫びだった。お母上を失い、お父上との確執、そしてその死の重みを背負ったディオニス様は、人の心に怯えるようになられてしまったのだ。
「国民はすべて平等に、人質を差し出せ。応じなければ、国王への反逆として処刑する。」突如として、ディオニス様はそんな布告を国民へ出された。その布告は瞬く間に城下へと伝えられ、宝石職人である儂にも知らせが届いた。
知らせから程なくして、工房に重々しい使者が現れた。漆黒の外套に身を包み、その目は一切笑っていなかった。
「王命により、この工房からも人質を預かる。ただし人質は女だ。」
押し黙っていた儂に対し、横にいた孫娘は震えながらも前へ出て声を発した。
「女はこの店で私一人しか居りません。どうぞ連れて行ってください。」
儂は己の無力さに絶望した。使者に必死で懇願したが、一人の老人の必死の抵抗は王の強大な権力の前では巨石の前の小石のように無力だった。
孫娘を失った翌日、重い足取りで教会に向かった。祭壇の前へひざまずき
「神よ…なぜ、あの娘を…。」
そこまで祈って気がついた。異常なほどに教会が静寂に包まれていた。神父もシスターも誰の姿もなかった。皆、国王の横暴に耐えきれずに逃げ出したのだった。儂はそこでも、神に見放されたのだという事実に打ちのめされた。
絶望を抱えたまま、教会を後にした儂は大通りでふらふらと歩いていた。よほど注意散漫だったのか、歩いていた誰かと衝突した。儂は尻餅をついて倒れたが、ぶつかってきたその人物に助け起こされた。
目の前には青年が立っていた。褐色の瞳と髪の、精悍な青年だった。青年は儂に話しかけてきたが、儂は混乱のあまり何を話したか忘れてしまった。ただ、その青年の真っ直ぐで力強いまなざしにひどく心を動かされた。
せっかく孫娘が守ってくれた儂の店を、儂の手で壊すわけにいかない。儂はほとんど惰性で歩き出し、日常へと帰った。
孫娘を失ってから、三日が経った。それは儂にとって、人生で一番長い三日間だった。今日は王城に赴いてディオニス様に装飾品を届ける日だ。ああ、孫娘に会いたい。孫娘に会うことを、王は許してくれないだろうか。
ディオニス様は落ち着き無く玉座の前を行ったり来たりしていた。
「ディオニス様、宝石屋でございます。」
儂に目を向けることもなく、ご自分のつま先をにらみつけながら仰せになった。
「宝石屋よ、私はこのところ、人の心を信ずることができん。私が信じられるのは宝石の輝きだけである。おまえもそう思うかね。」
「おっしゃるとおりでございます。宝石の輝きは嘘をつかないものでございます。」
並べられた瑠璃色の宝石をディオニス様が手に取られたとき、騒々しい音が王城に響き渡った。それは、何人かの乱暴な足音だとわかった瞬間、その足音の主によって玉座の重い扉が勢いよく開かれた。そこには血だらけの山賊たちがお互いに支え合って立っていた。
「どうした!その有様は…小僧は、あの小僧は殺せたか?」
「小僧は取り逃がしちまった。」
それを聞いて、ディオニス様の顔はみるみるうちに紅潮していった。
「何だと?」
「だが!…その後を追っていったらあの野郎、もうどうでもいい!なんて言って小川のほとりでひっくり返ってやがった。ありゃもうだめですぜ、俺たちには馬があったが、あいつはもう間に合うまい。」
ふふふ、という不敵な笑みが玉座に響く。王は「それみたことか!」と怒りと悲哀に満ちた悲鳴を上げられた。
「ディオニス様、どうか、お静まりください。儂のような者が事情を知るのは大変おこがましいのは承知しています。しかし、どうか、ことの次第をお話しいただけないでしょうか。」
ディオニス様は、よかろう、と儂にある青年について話し出した。青年はディオニス様に人を信じられぬことの罪深さを説教したにもかかわらず、山賊の話によると友人を裏切ったのだという。なんということだ。そんなことをしたら、疑心暗鬼になっているディオニス様は本当に人間の心を信じることができなくなってしまうではないか。
孫娘の顔が浮かんだ。孫娘の幸せだけを願って生きてきたのに、その孫娘を幸せにするどころか、儂のそばにさえ居させてやることができていない。真っ直ぐで力強いまなざしの青年を思い出した。彼らには、儂のような老いぼれとは違って、明るい未来を生きる権利がある。老爺の脳裏にそんな思いがよぎった。
「ディオニス様。人間とは大変多面的な生き物でございます。」
「何だと?」
「ディオニス様の愛する宝石と同じにございます。宝石は多様な面を持ち合わせることによって、その美しさが際立つのでございます。人間も、ただ潔白な部分だけを持ち合わせている者など居ないのです。醜い部分があるからこそ、その人間性は輝くのでございます。」
ディオニス様は儂に真っ直ぐと向き直ったかと思うと。儂に冷たく言い放った。
「おまえの作る装飾品だけが俺の心を潤してくれたが」
儂はつばを飲んだ。この一言がこの老爺にできる精一杯の反逆だ。
「まさかおまえにまでも裏切られるとはな…。失望した。まず、おまえから処刑することにする。」
孫娘よ、最期までおまえのためを思って生きてきたつもりだったが、そろそろ限界のようだ。おまえの生きる未来に儂も生きたがったが、きっとディオニス様は自身の過ちに気づく日が来るはずだ。ディオニス様は真っ直ぐなお方だからな。
儂は首に当てられた刃を感じながら、そう覚悟を決めた。その時。
処刑台の方角から、喧噪が聞こえてきた。それは無視できないほどに大きくなっていき、儂を斬首しようとしていた兵の手が止まった。
「何事だ。暴動ならただちに鎮めて参れ!」
「め、メロスが帰ってきたようです。い、今そこの処刑場に…。」
「な、なんだと!?」
玉座で処刑寸前だった儂はそのメロスという者に命を救われた。王は信じられぬといった顔で玉座を飛び出していく。刃をつきつけている兵の力がほんの一瞬緩んだ隙に拘束から逃れ、儂は呼び寄せられるように喧噪の方へと走った。城の処刑場に国中の人々が集まっており、その群衆に囲まれるように磔にかけられた青年とそれにしがみつく見覚えのある青年がいた。しがみつく青年は全裸で、一目で疲労困憊とわかる見た目だったが、あのときの精悍な青年だ。メロスという青年とはほんの少し話しただけであったが、彼の中からはあふれんばかりの真っ直ぐさと強さを感じた。その天性の性質を示すかのようについた全身の傷は、国王ディオニスの心を揺さぶったようだった。
メロスへの賞賛の歓声をかき分けるように現れたのは地下牢に捕らえられていた我が孫娘であった。その腕には王宮の窓を飾る緋色のカーテンが抱えられていた。メロスは今初めて自身が全裸であったことに気づいたように顔をそのカーテンと同じように染め、孫娘から受け取ったそれで自身と孫娘を包み微笑み合っていた。儂は大変な安堵と喜びと、わずかな恥じらいがこみ上げ思わず手で顔を覆った。真っ暗に閉じたまぶたの奥で、亡き我が娘が孫娘と同じように微笑んでいた。




