8話 静かな工業地帯
8月9日朝7:00
修一はやかましく鳴る目覚ましを止める。
修一は眠い目をこすり、リビングに降りる。
机の上に夜叉が寝そべっていた。
いつもだったらどくように言う修一だが、今日は何も言わないことにした。
13:30
家の庭で剣道の練習をする。
今まで家で自主練したことなんかなかったが、今日は自分の身を守るためにしっかりと練習した。
15:00
おばあちゃんが家を出たタイミングで式神を召喚する。
彼が式神を使う練習をしている間も、夜叉はリビングの机の上でぐっすりと眠っている。
18:00
一通り練習を終え、自分部屋で横になる。
じっと動かず、睡魔に身を任せる。
自然と彼の意識は深みに沈んでゆく…。
「起きろ。時間だ」
夜叉が胴体の上に乗っている。
時計を見た。
『19:30』
「製鉄所跡までは電車だからな、早めに出といた方がいい」
修一は急いで支度をした。
19:45
ガラガラガラ
修一が引き戸を開けると外で夜叉が待っていた。
「トイレ行ったか?」
修一はコクリト頷く。
「よし行こう。製鉄所までの道のりは長いぞー!」
こんな時でも夜叉は明るい。
そんな彼女を見ているとなんだか少し元気がもらえるような気がした。
20:20
修一は電車に揺られていた。
彼が抱えているバックには木刀と一緒に夜叉が収まっている。
「海、見えるかい?」
言われて初めて気がついた。
山沿いを走るこの電車の窓からは瀬戸内海が見えるのだ。
美しかった。
こんなに美しく大きなものが目の前にあるのに、夜叉に言われるまで気づきすらしなかった。
20:30
目的の駅に着いた。
冷たいプラットフォームに降り立った修一は深呼吸をする。
ここは修一の住んでいる町よりも都会なので、空気が美味しいとかそう言うわけではなかった。
でも今の修一にとっては吸わずにはいられなかったのだ。
20:50
静寂を打ち破るようにバスがやってきた。
この時間にわざわざ製鉄所跡方面に向かう人はいない。
修一はがらんとした車内の一番奥の席に座り、窓の外を通り過ぎていく景色を見つめた。
21:14
バスが停車した。
しっかりとした看板に文字が書かれている。
『製鉄所前』
「着いたな。もう降ろしていいぞ」
修一がバックを下ろすと夜叉が中から飛び出した。
二人は夜の工業地帯を歩いた。
工場から発せられる照明灯がチラチラと輝いて宝石のようだ。
時折、一人と一匹の横を大きなトラックが音を立てて通り過ぎてゆく。
「綺麗だな修一」
「そうだね」
前をゆく夜叉の顔は見えない。
だがきっと夜叉の目にも、修一と同じようにこの美しく輝く工業地帯が映っているのだろう。
「二人でこんな遠くまで来たの初めてだね」
「ほんとだなー。いやほんと、こんな面白い所があるならもっと早く来てみたかったな」
「そうだね…」
夜叉と会ってまだ1ヶ月分も経っていない。だが、彼女との思い出は、何ヶ月も一緒に過ごしていたような錯覚を引き起こさせた。
しばらく歩みを進めると、彼らは高い鉄柵に阻まれた。
「この先だな」
「通れないよ?」
「大丈夫、この姿でもある程度力は使える」
夜叉の前足が鉄柵に触れる。
パキパキパキ
鉄柵がめくれるように外れた。
一人と一匹は薄暗く、ひとけの無い工場内を慎重に進んでいく。
しばらく進むと開けたところに出た。
重厚で赤茶けた建物、赤く点滅する航空障害灯、そびえ立つ巨大な煙突。
製鉄所だ。
警備員は…物陰で眠っている。いや、眠らされたと言うべきだろう。
本来しっかりと閉じられているはずの鉄門は、彼らを迎え入れるように開いていた。
「行こう」
修一と夜叉はゆっくりと製鉄所の敷地内へと入っていった。
ガコン
二人が鉄門をくぐると同時にどこからか鈍い音が響く。
「結界を張られたな」
振り返るとさっき通った鉄門を境にまるでプールの水面のようにモヤモヤとした障壁が外と内とを隔てていた。
「このタイプの結界はこの前使っていたやつと違って内部の環境を変化させない、その代わりこの結界から出ることも入ることもほぼ不可能だ」
修一は閉ざされた鉄門を見つめる。
(これでもう、逃げられない、戦うしか無い、勝つしか無い)
出口を封じられたことで、今までの迷いが無くなった。いや、吹っ切れたと言うべきだろうか。
修一と夜叉は製鉄所の中を進む、張り巡らされたパイプラインや鉄骨は、まさに鋼鉄のジャングルだ。
建物を抜けると開けた場所に出た。
巨大な煙突がすぐ真上にそびえている。
製鉄所の核心設備、溶鉱炉棟の目の前だ。
さっき遠くから見たものの数十倍はあるその大型設備に思わず声が出る。
「デッケー!近くで見るとほんとにでかいな」
「本当だな!全く、知らない間に人間も進歩したものだ」
見上げる二人の背後から声がする。
「やあ。時間通りに来てくれたね」
駐車してあるトラックの陰から白髪の少年が現れた。颯だ。
「当たり前だ。私は約束を守るからね」
「ところで君、なんで猫のままなの?」
颯の鋭い質問に修一は息を呑んた。
そう、夜叉は前回の戦いで全盛期の力を取り戻したが、代わりに人の姿を保つ力をほとんど失ってしまったのだ。
彼女がまともに戦える時間はおよそ15分、長期戦は死を意味する。
もし、この事実が彼にバレてしまったら…。想像するのも恐ろしい。
「ふん。関係ないだろ?私はこの姿が気に入ってるんだよ」
「そうかな?昔の君はその姿を嫌がってたけど」
「変わったんだよ。昔と今とでは。大きくね」
少し空気がピリつく。
これ以上会話を続けることは危険だと、修一は強く感じた。
突然、静かな夜を切り裂くようにサイレンが鳴る。
時報だ!
製鉄所の入り組んだ暗闇に時報サイレンの音が反響した。
22:00
夜叉は人の姿に変わると素早く合掌した。
颯も腕を夜叉の方へ鋭く突き出した。
“使魔召喚”
"大輪斬"
バチンッ
黒い触手と斬撃が激しくぶつかり合う。
夜叉は笑いながら言った。
「へー、無言呪文使わないんだ」
「最初だけだ。唱えると威力が増すが、相手に手を読まれてしまうからな」
「ふん、まあいい。威力を抑えたことを後悔させてやるよ」
夜叉は力強く合掌する。
「私は君と違って出し惜しみはしないからな!!」
戦いの火蓋は、切って落とされた。
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