7話 犬神
「やっと見つけた」
白髪の少年が山奥にある廃墟となった作業所の中で人型の使い魔と対峙していた。
彼の傍には毛並みの美しい猫の式神が敵の動きに目を光らせている。
人型の使い魔は腕を鋭い刃に変えると彼に切り掛かった。
式神が鋭く鳴く。
彼は人差し指と中指を敵に向けた。
ズバババ
指先から3メートルの間に幾千もの斬撃が発生した。
斬撃は作業所の机と椅子を使い魔と共に粉々に切り裂いた。
人型の使い魔はバラバラに砕け、消えた。
「これで7体目っと…」
彼は足元に寄ってきた猫の式神を抱き上げる。
式神は上機嫌に喉を鳴らした。
少年は式神の頭をゆっくり撫でながら考えた。
(これでこの街にいたすべての使い魔を殺した)
彼は右ポケットから木片を取り出すと、話し始めた。
「すべての使い魔を殺した。これで夜叉が使える強力な使い魔は一匹もいなくなったよ」
木片から手短な返答が返ってくる。
「わかった」
思ったよりいい反応がもらえなかった彼は少しムッとして木片をしまった。
彼はガラスの外れた窓から外に出た。
森の中では、もうまもなく寿命を迎える蝉たちが最期の合唱をやかましく歌っている。
草が生え放題の作業所の外では蝶が花を求めてひらひらと舞っていた。
彼は式神を撫で続けながら木陰に移動し、腰掛ける。
ズボン越しに冷たい地面の感覚が伝わってきた。
(…次はいよいよご本人様ご登場かなー)
少年は夜叉のことを思い浮かべる。
さまざまな記憶が彼の心に浮かんでは消え、浮かんでは消えた。
彼は式神を見つめる。
「僕たちはこの後どうなるんだろうねー」
パチン
突然彼のポケットの中で小さな爆発が起こる。
彼はポケットに手を突っ込むと中からポッキリと折れた木片を取り出した。
「…死んだか」
木片は激しく震えると死の直前に発せられた遺言を流した。
「天災が戻ってきた。あとは頼んだぞ」
「『あとは頼んだ』って…、死ぬ時はそう言わなければならない決まりでもあるのかねぇ」
少年の様子を見て式神が静かに鳴く。
彼は猫の式神を優しく抱きしめた。
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塾の帰り道、修一は駆け足で家に向かっていた。
(夜叉起きたかな…)
修一の心にはそれしかなかった。
夜叉が倒れてから3日が経った。
でも彼女が目を覚ます様子はなかった。
左側の家の生垣が日の光をたっぷり受け青々として輝いている。
男の子が白い猫を連れて散歩している。
彼の髪の毛もその白い猫とお揃いで真っ白だ。
修一は彼らを追い越しながら考えた。
(夜叉が目を覚ましたら公園に遊びに行きたいな…)
坂を登り、家の前に立ち、勢い良く引き戸を引いた。
「ただいまー」
「おかえりー」
(夜叉の声だ!目が覚めたんだ!)
階段を降りてきた夜叉はゆっくりと伸びをしながら言った。
「おはよう。いやーずいぶん寝た気がする…」
「3日くらいずっと寝てたよ」
「そうかーそんなに寝てたのかー。心配かけてすまんな」
「そんなことないよ!」
たった3日、普段だったらたいして長くもない日々が修一にとっては永遠のように感じていた。
彼女の声を聞くとすごく安心する。
夜叉はしばらく修一の顔をじっと見つめると目を閉じて言った。
「いい知らせと悪い知らせがあるんだけどどっちから聞きたい?」
まるで洋画みたいだと思いつつ答える。
「…いい知らせの方から」
「全盛期の頃の力が戻った。正直もう無敵だ」
「…悪い方は?」
「人の姿を保つ力をほとんど失った。まともに戦える時間はせいぜい15分くらいだろう」
「それってつまり…」
「ああそうだ…。万が一、私が15分以内に敵を仕留めきれなかった場合、君が一人で戦うことになる」
かつての修一なら、ここで狼狽えただろう。
しかし、二度の戦いを経て、彼の意識は大きな変化を迎えていた。
「練習するよ。一人で戦えるように」
夜叉はわずかな驚きを感じつつ、上機嫌に喉を鳴らした。
「そうか!私が見て指導してやるから安心しろ!!」
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夕方、日の当たるリビングで丸くなっていた夜叉はゆっくりと目を開けると、伸びをした。
外では修一が式神を使う練習をしている。
「ちゃんと見てた?」
「もちろん見ているとも。上達したよ、きっと」
「嘘だー、絶対寝てたでしょ」
修一の足元には白く光る猫の式神が立っている。
夜叉はその式神を目の端で眺めた。
「使い魔は出せるようになったか?」
「むり。全然できないよ」
「そうかそれは残念だな。私が人の姿に戻れるならもっとちゃんと教えてやれるのに…」
(人の姿に戻っても説明が下手だから意味ないだろ…)
ピーンポーン
チャイムがなった。宅急便だろうか。
修一は式神を消すとサンダルを脱ぎ、リビングに上がった。
玄関に降りて引き戸を引くと、訪問者と目が合った。
白い髪の少年だ。
ニコニコ笑いながら立っている。
「やあ修一君」
(自分の名前を知ってる…。知り合いだっけ…?)
やや困惑している修一の顔を見て少年は自己紹介を始めた。
「僕の名前は颯。君とはお昼頃に道ですれ違ったと思うよ」
リビングから夜叉が顔を出し、颯の顔を見ると大声で叫んだ。
「修一離れろ!そいつは人間じゃない!私を封印した犬神だ!」
修一は驚き、後ろに尻餅をつきそうになる。
颯はそんな彼を見て安心させるように言った。
「安心して。今はまだ戦うつもりはないよ」
「じゃ、じゃあ何しにきたんですか?!」
「君たちと少しだけお話をしにきただけだよ」
夜叉は人の姿に変わり、颯の目をじっと見つめながら鋭く言った。
「手早く言ってもらおうか。…返答によっては使い魔を召喚する」
颯はニコニコしたまま答える。
「こわいなぁ。僕はここで君と戦うつもりはないよ。…ここでやると周りの人たちが巻き込まれちゃうからね。…できればゆっくり話をしたかったけど、そう言うわけには行かなそうだねー」
颯は目をつぶって言った。
「明日の8月9日の22時、僕は君たちと戦うつもりだ。だから君たちには、できるだけ人のいない場所に移動してほしいんだよ」
「…どこに行けばいい」
「そうだなー。いくつか候補があるんだけど…、製鉄所跡なんかどうかな。2年前の9月に全設備の停止が終わって今は解体作業が進められているところなんだ。広いから巻き込まれる人は間違いなく減らせるよ」
夜叉はチラリと修一の顔を見て、答えた。
「わかった。そこでやろう」
「決まりだね。じゃあまた明日」
颯はクルリと後ろを向くと歩き始めた。
しかし急に止まり、真顔で振り向く。
「…もし来なかったらここで戦うことになるからね?」
彼が修一と会って以来ずっと笑っていたこともあり、背筋が少し寒くなる。
夜叉は颯を見続けながら返事した。
「安心しろ。知っての通り、私は約束守るタイプだから」
夜叉の言葉を聞くと、彼は安心したように笑った。
そして修一が瞬きをした瞬間、彼は消えていた。
修一は今までに起こったことを飲み込めず。夜叉が話しかけるまで扉を開いたまま茫然としていた。
「…困ったことになったな」
「あの子供なんなの?!犬神とか言ってたけど。てかあいつに封印されたの?!じゃあやばいじゃん!」
「そうだ。だから困ったことになったって言っているんだよ」
夜叉は階段に座ると、話し続けた。
「あいつは現代の神界の中で最も強力な妖術使いだ。…もちろん私が現役だった頃は二番手だったがな?」
これ大切、と言う感じに付け加えた。
(いやしらねーよ、てか二番手とか言ってるけどそいつに封印されたんだよな…?)
「あいつの使う術の中で最も恐るべきものは斬撃術だ」
「斬撃術?」
「そう、斬撃術ってのは犬神族の間で代々受け継がれてきた強力な術でな?自分の意図した方向、対象に対して自在に斬撃を加える術だ」
「避けられるんですか?」
「避けることは可能だ。相手の動きを予測するとか、使い魔とか触手を召喚して受け止めるとかだな…。もちろん修一の木刀でも受け止められる」
「じゃあ思ったよりなんとかなりそうじゃない?攻撃されても受け止めればいいわけだし」
「ところがそうもいかないんだ…」
夜叉は深刻そうな顔をする。
「あいつはいくつかの斬撃方法を持っている。一点に大量の妖力を集中させ放つ”突”、意図した場所に対して幾千もの細かい斬撃を発生させる”圏”、斬撃を放つ”斬”、そして当たったら即死の巨大な斬撃”大輪斬”だ。あいつはそれを自在に使い分けてくる。さらにな?」
夜叉は最も大切なことを言うように間を開けて言った。
「あいつは無言呪文を習得している」
「無言呪文?」
「無言呪文とは掌印や術名を唱えなくても術が使えるようにできる方法だよ。これは習得がとても難しくてね。私もある程度使えるが、強力な術を使う時はどうしても掌印を結んだり術名を唱えたりしないといけない。でもあいつはそういったことをしなくていい。つまり次なんの術がくるか予想するのが難しいんだよ」
「何か手はないの?」
「もちろん私は色々術が使えるし使い魔もいるからなんとか対応できる。でも修一、君の場合は防ぐことが難しいだろう」
不安に駆られた修一の顔を見た夜叉は、彼を優しく抱きしめた。彼女の温もりが服越しに感じられる。
(あったかい…)
夜叉は修一に言い聞かせるように言った。
「大丈夫、私は勝つよ。たとえ人でいられる時間が15分でも、私かかればそれで十分だ」
15分、それは夜叉が全盛期の力を取り戻した代償として課せられた時間制限だ。
彼女はこの10分間はかつての”天災”夜叉でいることができるが、それ以上は人の姿すら保つことができないほどの反動を受けることになる。
(私なら勝てるさ)
夜叉は修一を優しく抱きしめながら時計を見た。
秒針のカチカチという音が、この時だけいつもよりも大きくなっているような気がした。
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