6話 毒と目覚め
大男は苦虫を噛み潰したように言った。
「貴様、どうやって入ってきた」
夜叉は合掌を解き、答える。
「気合いだよ。だけど残念なことに私の大切な使い魔を4体も失ってしまった。君に弁償してもらわないとね」
二人が同時に動く。
彼は地面を叩く、尖った岩が彼女の方に勢いよく伸びた。
夜叉は素早く合掌すると、両手のひらを上に向け、交差させる。
地面から黒い触手が現れ、岩を彼女の顔のすぐ前で受け止めた。
目の前に尖った岩が迫ってきた状況でも夜叉は落ち着いて言った。
“攻撃しろ”
彼女の召喚した使い魔は大男に次々と襲いかかる。
彼は六角棒を縦に横に振り回し、数の暴力に対抗した。
大男が押されている。そう思えたのも束の間、彼の左手に青い渦が現れ、取り囲んでいた使い魔を皆中に吸い込んだ。
「封印石を使ったな」
「もともと貴様に使う予定だったが、背に腹はかえられぬ。だが、これで厄介な使い魔は皆いなくなった。貴様が次の使い魔を召喚するためには多く見積もって15分ほどのクールタイムが必要なはずだ。」
「よく知ってるじゃないか」
「それくらいのことはとっくに調べてある。そして、お前が強力な使い魔を先日全て使い果たしたこともな」
(なぜそれを知っている…?)
「どこから仕入れた情報か知らないが、仮にそれが本当だとしても君は私には勝てない。なぜなら君は今、貴重な封印石を使ってしまったのだからね」
大男か彼女の目を睨み、叫んだ。
「俺は15分でお前との戦いに蹴りをつける!覚悟しろ!」
「面白い。やれるもんならやってみろ」
大男は掌印を結び、大声で唱える。
“式神召喚”
夜叉は両腕を素早く振り下ろす。彼女の指が鋭い鉤爪に変わった。
戦いの火蓋は再び切って落とされた。
夜叉は敵の式神の攻撃を触手で防ぎながら、彼の喉元に向かって鋭い鉤爪を突き出す。
すると彼の左腕に鎧のような岩が現れ、それを突き出し、彼女の攻撃の威力を弱めた。
そして反対側の手に握っている六角棒で、彼女のこめかみを狙う。
夜叉は上半身を仰け反り、彼の打撃をかわすと足を使って彼を地面に倒そうとする。
だが、彼の式神がそれを許さない。
彼の熊の式神は、夜叉の触手の隙間を瞬時に抜け、大男を援護するように夜叉に噛みつこうとする。
夜叉は素早く後ろに飛び、この猛攻をかわす。
敵と距離を取った彼女は考えを巡らせた。
(まずいな、まさか”使魔召喚”の弱点を知られていたとは…、おそらく敵はこの15分の間に全てをかけてくるつもりだ…、長期戦に持ち込むことさえ出来れば絶対勝てるんだがな…)
熊の式神が彼女の喉元を噛み切るべく突撃する。
夜叉は2本の黒い触手を操り、なんとかこの攻撃を止める。
彼女は先程のように逃げることは出来ない、なぜなら彼女の後ろには気を失った修一がいるからだ。
(修一を守りながら2対1の戦いをするのは圧倒的に不利だな)
大男は六角棒を彼女に向かって鋭く突いた。
夜叉は両手で棒の先端を掴み、なんとか喉を突かれることを防ぐ。
だが次の瞬間、腹部に強烈な痛みが走った。
「ウグッ」
見ると彼女のお腹に小さな懐刀が突き立てられていた。
(やられた)
彼の切り札は封印石だけではなかったのだ、
「油断したな!俺が今まで六角棒しか使わなかったのはこの必殺技を悟られないようにするためだったんだよ!」
刺された腹部から服越しに血が滲む、身体中が焼けるように痛む。
毒だ。
「お前を刺した懐刀には濃縮したマムシの毒がたっぷりと塗られている!そしてお前が毒を取り除こうとしても無駄だ!この懐刀は魔力を封じる楔を加工して作ったものだ。加工した影響で効果がかなり減ったが、それでも毒を回すには十分な時間を確保できる」
夜叉は自身の前に4本の触手を出現させ、血の滲む腹部を抑えながら彼らを威嚇するように睨む。
「最後の足掻きのつもりか?たとえ俺が攻撃しなくても貴様はじきに死ぬぞ!」
「ハァハァ」
真っ赤な血が白い服に広がっていく。心臓がドクドクと音を立てる。
猛毒が彼女の体を蝕む。意識がもうろうとする。
彼女は死の淵で生きる道を探った。
大男は木を背にずり落ちていく夜叉の姿を静かに見つめる。
とうとう終わったのだ。”史上最悪の天災”夜叉討伐の命が降ってから300年以上かかった。
封印される前の夜叉は本当に強力で、神々が総力を上げても封印するのがやっとだった。だが彼女は長い間封印されていたことで当時の力をかなり失っていた。
300年以上の時を経て封印から解き放たれた彼女がまた厄災を起こす前に 殺すことができた…。
大男は感慨にふけった。
「まだ悦に浸るのは早いんじゃないか?」
その声に大男はギョッとした。
先程まで毒に侵されていた夜叉が立ち上がっている。
彼女は不気味な笑みを浮かべている。
「なぜだ?!なぜ生きている!」
大きな違和感。先程とは違う。何かが違う。
「取り戻したんだよ。昔の力を」
彼女が死地を彷徨って手にした起死回生の一手は劇薬であった。
「そんな力を急に手に入れれば後にとんでもかないしっぺ返しを喰らうぞ!」
「ああ、そんなことわかってるさ。正直、この戦いが終わった後自分の存在を保ってられるかわからない…。だがな?」
夜叉は力強く合掌する。
「私はこの奇跡を無駄にはしない!」
“使魔召喚”
森の木の影という影から人型の使い魔が大量に現れた。
それらは彼女が囮として置いていた人型の使い魔よりもずっと強力だった。
大男は叫び声を上げながら応戦する。
だが彼の抵抗も虚しく強力な使い魔を追い払うことすらできない。
彼の声は使い魔の集団の中に虚しく消えていった。
(懐かしいな。昔はこんなに強かったんだな)
ガコン
大男の創り出した結界が消え、元のアスファルトの地面に戻る。
夜叉は道路に横たわる修一の方を見た。
(今なら、今の自分なら、きっとなんとでもなる)
夜叉は修一のひたいに人差し指を当てる。
彼はモゾモゾと動くと目を覚ました。彼はしばらく目をパチパチさせていたが、彼女の血で滲みた服を見て声を上げる。
「夜叉?!大丈夫?!すごい怪我してるみたいだけど」
「大丈夫だ。もう治した」
「さっきの大男は?」
「大丈夫だ。もう倒した」
戸惑う彼に夜叉は優しく微笑みかける。
「さあ、帰ろう」
夜叉は修一に手を伸ばした。修一はその手をしっかりと握り、立ち上がる。
「いやほんと死ぬかと思ったよー」
夜叉は笑おうとするが、突如強烈なめまいに襲われる。
「夜叉?」
「…」
声を出そうとするも上手くできない。
心臓がズキンと痛む。足元の感覚がなくなる。
「夜 ?!夜叉大 夫?しっ て!」
修一の声がまるで水の中にいるようにくぐもって聞こえる。
(ああ、もう来たのか…。もう少し長生きしたかったな)
「夜 っ! !死な 」
彼女の意識は深い深海の底へと落ちていった。
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ジリリリリリリ
朝、修一はやかましく鳴る目覚ましを止める。
眠い体をゆっくりと起こすと薄暗い部屋の奥に静かに横たわった黒い猫が見えた。
夜叉は3日前に倒れて以来、彼女は目を覚まさなかった。
だが、夜叉は一応生きている。
なぜなら、彼女が仮に死んでいるなら魂を共有している修一も死ぬはずだからだ。
修一は彼女のそばにしゃがむと、毛並みを撫でてみる。
彼女の毛は柔らかく、とても触り心地がいい、彼はゆっくりと撫で続ける。
手のひらに彼女の体温を感じる、心臓はかすかに動いている。
よく考えてみたら、夜叉と出会って以来一度も彼女のことを撫でたことがなかった。
もちろんその原因は彼女が喋る猫だからに他ならないが、改めて見てみると、彼女はとても美しい毛並みをしている。とても綺麗だ。
修一はずっとこうしていたかったが、そうするわけにもいかなかった。
今日は塾の春季講習があるのだ。
「いってきます」
修一は昏睡している夜叉を後に部屋を出た。
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