製鉄所の戦い 終幕
それは一瞬だった。
最後は反応速度のわずかな差が勝敗を制した。
颯の斬撃が夜叉に直撃した。
彼女の体は切り裂かれ、後ろへ弧を描きながら飛んだ。
修一の目にはその瞬間がスローモーションのように見えた。
ドサ…
夜叉は仰向けに倒れた。
目は強く見開かれている。
手があらぬ方向に向いている。
肩から腰に渡るほどの深い切り傷からは大量の血が溢れ出している。
真っ白だった服はどす黒く染まり、彼女の周りには血だまりが広がっていく。
力なく倒れている姿はまるで人形のようだ。
大鯰は、あと一歩のところで間に合わず消えてしまった。
そして、修一の周りにあったはずの結界が解けている。
「そんな…、夜叉…」
「惜しかった。あと一歩だった」
修一は颯の方を睨む。
「一撃で殺せなかった…。これじゃダメだ…」
「なにが殺してやれなかっただよ!」
颯は修一の方を一切見ずに掌印を結んだ。
夜叉を取り囲むように魔法陣が現れる。
「なにしてんだよ!」
「…確殺陣だよ。これは対象を5分間、陣内にとどまらせると発動する」
そっけない彼の答えに反感を覚える。
と、同時に気がついた。
(…僕は相手にすらされてない)
颯から見れば修一など取るに足らない相手なのだろう。現に、こっちを見ようとすらしない。
「…させるかよ」
修一は木刀を構える。
「やめときな。苦しんで死にたくはないだろ?」
颯は夜叉の方から目を離さない。
修一は彼の脳天めがけて木刀を振り下ろした。
バチン
吹き飛ばされた。
初めて颯と目が合う。
彼の目は怒りに満ちていた。
「なんでそうやって戦おうとするんだ?君と僕との力の差は知っているだろ??」
修一は擦り傷のできた腕を押さえながら再び彼に向けて攻撃を加えようとする。
バチン
また吹き飛ばされる。
「なんてものわかりの悪いやつなんだ。もうやめろ、彼女が死ねば君も死ぬが、一瞬だ!全く痛くない!気づかない間に死ねるんだぞ?もしこのまま無駄な抵抗を続けるなら彼女より先に君を殺すことになる!」
修一は構わず合掌し、叫ぶ。
「使魔召喚!」
「お前にその術は使えない!あの術は夜叉にしかできない!」
「うるせぇ!」
合掌し直し叫ぶ。
“式神召喚”
真っ白な猫の式神が彼に向かって突撃する。
しかし草の陰から何かが飛び出して颯を守った。
それを見て修一は目を疑った。
真っ白な猫の式神…、修一と全く同じ式神だ。
「全く…見分けがつかなくなるな。まあモデルが同じだから仕方がないよな」
「なんで…?どうして同じ…」
夜叉の言葉を思い出す。
(『妖術の中で一番簡単な術は式神召喚術だ。この術は自身の心の支えになっているものや、深い繋がりがあるものを式神に変換して具現化させる術だ。まー君の場合は、魂の共有者である私がいるから創り出すことはそう難しくはないだろう』…颯の式神のモデルは夜叉だ。…どういうことだ?あいつにとって夜叉はなんなんだ?)
颯が口を開く。
「どうやら君は諦める気がないみたいだ。悪いけど殺させてもらう」
修一は一気に現実に引き戻される。
そうだ、自分は死にかけているんだった。
颯が3本指を修一に向ける。
(術名を唱えないから何がくるかわからない、何か手がかりはないか?何かあるはずだ…)
彼の頭は過去最高に素早く回転し…、気付いた。
(“斬”だ!)
颯が術を発動するほんの0.1秒前だった。
ガチン
修一の木刀は彼の斬撃を捉え、防いだ
颯はわずかに目を見開く、防がれたことに少し動揺したようだ。
颯が人差し指を突き出す。
真っ直ぐ彼の胸へと伸びる斬撃を木刀を横にして止める。
颯は目を細めて言った。
「なぜわかる?なぜ防げるんだ?」
「わかったんだよ。お前の術の仕組みが。」
修一は不意打ちに備えながら続ける。
「お前の術は発動時の指の本数がトリガーになっている。一本なら”突、”二本なら”圏”、三本なら”斬”、四本なら”大山刀”って感じだな。そしてお前が必殺技の”大山刀”どころか、範囲攻撃の”圏”を使わない理由はもうその力が残ってないからだろ」
颯は笑った。
「結構わかってるじゃないか。その通りだよ。正直、夜叉もみんなもなんで見破れないか不思議だった。だが今わかったよ。きっとみんな知能ではなく妖術や魔力で対抗しようとする癖がついていたからだ。だから君のように見破ることができずに、僕に負けたんだろう。だがな?」
彼は真顔になる。
「だからと言って僕に勝てるわけではない。今の君にはその木刀以外攻撃手段がない。仮に僕の斬撃を全て防いだところで僕に勝てるわけではない」
図星だ。
今の修一には颯を倒す手段がなかった。
だが決して弱みは見せない。
「それはどうかな?僕の中ではもう君を倒す方法は考えてある」
もちろん嘘だ。
木刀を持つ手が緊張で震える。
颯は蔑むように言った。
「そうか。じゃあやって見せてくれよ」
颯が組みかかってくる。修一はそれを薙ぎ払おうと木刀を振るうも避けられた。そして修一が木刀を持ち直そうとするが、颯の蹴りの方が早かった。
ゴツン
鈍い音が鳴り、地面倒れた。
目の前がチカチカする。
「痛いか?とどめ刺してやろうか?」
まだだ。まだ諦めちゃいけないと心が叫んでいる。
修一は立ち上がり、彼を睨む。
「君、意外と根性あるんだね」
颯は平静をよそおっている。しかし修一には分かった。
(次で全てが決まる)
最後の攻撃に何を選ぶか、この問いへの彼の答えは挑戦だった。
颯が修一の息の根を止めるべく鋭い爪を彼に突き刺そうと飛びかかってくる。
修一は颯を鋭く見据え、合掌する。
「何度言ったらわかる!それは君には…」
“使魔召喚”
真っ黒な触手が攻撃する颯に向かって地面から飛び出した。
ドス
颯の表情が固まる。
真っ黒な触手が彼の心臓のあたりを貫通している。
「かは」
颯は崩れ落ちた。
彼の胸にできた小さいが深い刺し傷から血が溢れている。
だが、修一はそんな彼を見ても警戒を解かずに木刀を構えた。
颯が静かに言う。
「もう警戒しなくていいよ。僕の負けだ」
「何言ってんだよ。妖術で治せるだろ」
「無理だよ。僕は生まれつき自分の体を修復することができない体質なんだ。だから他の人なら治せるような傷も僕にとっては致命傷なんだ」
颯の元に式神が駆け寄る。
彼はそれを優しく撫でると夜叉の方に指を向けた。
魔法陣の色が変わった。
「夜叉に何をした?!」
「魔法陣を入れ替えたんだ。あれは操脳陣っていうやつで、記憶を弄れるんだ。…怖い顔しないでよ。安心して、僕に関する記憶を消すだけだから」
「なんで…、そんなことしたら君が忘れられちゃうじゃん。なんでそんなことするの?」
「僕はね、死んだあとの世界はどうなっても構わないと思ってるんだよ。でもね…」
颯はうつむき、式神を見つめる。
「…僕が死んだあと、夜叉に心残りを持たせるのは嫌なんだよ。あれを見てごらん」
修一は颯の指差した方を見た。
大鯰が消えたあたりの地面に小さな石が落ちている。
「あれは封印石だよ。大ナマズの口の中に仕込まれていたんだ。夜叉は最初から、僕を殺すのではなく、封印するつもりだったんだよ。戦っている時もそうだった。僕の体質的に、一撃でも入れれば死んでしまうが、それをしなかった」
「君たちは…、どう言う関係なの?」
「夜叉とは、幼い頃から仲が良かった。だから僕は夜叉が大罪をおかし、討伐命令を受けた時に決めたんだ。必ず封印しようって、もし封印が解けたら、できるだけ楽に死なせてやろうって、…それが終わったら自殺しようってね。」
式神を撫でる手が止まる。
「でもそれもできそうにない。それに、彼女はこの戦いで消耗し過ぎた。多分、もう起きることはない。だから僕は夜叉から僕の記憶を消して、その上で自分の力も渡そうと思うんだ。そうすれば、彼女は再び目を覚まし、人の姿になる力も手に入れられるはずだよ」
「僕は…」
これは自分の命を守るためにやったことだ。
でもなにか、罪悪感が湧いてくる。
「大丈夫だよ、君にはなんの罪もない。だからそんな顔はしないでくれよ。…なんだか君は、昔の僕みたいだね」
颯は少し笑うと目を閉じて言った。
「後は頼んだよ」
式神が消えた。
彼が呼吸する音も、もう聞こえない。
雲の隙間から溢れ出した月光が崩落した溶鉱炉棟の瓦礫を静かに照らす。
横転したトラックのサイドミラーには、3人の姿が小さく映し出されていた。
修一はしばらくの間、動かない颯を見つめていた。
ふと、後ろで物音がし、振り返った。
夜叉が目を覚ましている。
「夜叉!」
「修一!無事だったのか!!よく生き延びたなー」
夜叉の服は血で真っ赤に染まっていたが、傷は治っているようだ。
「いやー、にしても神界のやつらがここまでしつこく殺しにくるなんてなー」
「夜叉…。あの人のこと覚えてる?」
「ん?あいつか?あいつはな…。えーと」
夜叉は深く考え込むが、全く思い出せない。
「わからないな。まあいいじゃないの!敵のこと覚えてないくらい」
夜叉は楽しそうにケラケラと笑う。
どうやら、夜叉は本当に忘れてしまったようだ。
遠くからいくつものサイレンが聞こえた。
修一は慌てて言う。
「やばい!結界が解けたから外の人たちがこっちにくる!」
「まずいなぁ。こんだけ派手に壊したんだからタダじゃ済まされない。
よし!逃げるぞ修一!!」
二人は遠くから響くサイレンの音を聞きながら、真っ暗な製鉄所の外に向かって走っていった。
***************************
早朝、修一はパンをかじっていた。
長かった夏休みも終わり、今日から新学期。
あんなにうるさかった蝉はもうずっと前に鳴くのをやめてしまった。
テレビが早朝のニュースを伝える。
『製鉄所崩落三週間、未だ原因不明。株価下落止まらず管理会社経営陣二度目の全員辞任。経営体制を一新へ』
「…大変だね」
「ふふふ。原因不明…か。まあ私たちの痕跡を見つけることは不可能だし、この事件は迷宮入りだねぇ」
修一の正面に寝そべっている黒猫がケラケラと笑った。
修一は食べ終わると急いで荷物を取り、玄関に走る。
新学期早々遅刻の危機だ。
「皿洗っとこうか?」
「…いや大丈夫だよ」
「いやいや遠慮するなって!今度こそうまくやってみせるさ!!」
彼女は最強の魔術使いだが、家事は全くうまくできなかった。
(帰ってくるまでに何枚お皿残ってるかな…)
引き戸に手をかけ、勢いよく開ける。
木の葉は少し茶色くなり、新たな季節の訪れを感じさせた。
心地よい風が吹き抜ける中、修一は勢いよくアスファルトを踏み締め、駆け出して行った。
葬式が忙しくて遅れました。
これにて完結です