第24話 勝ち抜き戦 ⑨
アゼル先輩が倒れてからもう数分が経っていた。
他の観客たちはすっかり勝負がついたと思っているようだったが僕たちは違った。
アゼル先輩がまだ戦えることに確信をもって気づいていた。
(不死のアーティファクトが発動してないし……それに、あのアゼル先輩がこんなにあっさりやられるはずがない)
控え室からノエル先輩の声が何度も響いてくる。彼女の声は最初こそ命令口調だったけれどいつの間にか懇願に変わっていた。
その声色はいつもの冷たく凛としたものではなくて、今にも泣き出してしまいそうなほどか細い——本心の滲んだ声だった。
いつも不真面目そうな態度で何かにつけて面倒くさがるアゼル先輩だけど、それでも彼に任せておけば大丈夫という安心感がある。どれだけ気だるげでもノエル先輩のことには逆らえない。アゼル先輩はそういう人だ。
だからこそ僕は信じていた。絶対にあの人は立ち上がる——そう思っていた。
すると、隣にいたアルノー先生が静かに声をかけてくる。
「他の一年生は皆は不安そうな顔をしているのに……カインくんとリアムくんはずいぶん余裕そうですね?」
僕とリアムさんは顔を見合わせると思わず小さく笑ってしまった。
そして、僕はアルノー先生に力強く言った。
「アゼル先輩はそんな簡単にやられる人じゃないですから!」
リアムさんもしっかりと頷いてくれる。
「なるほど。君たちは……アゼルくんの性格をよく理解していますね」
アルノー先生は満足そうに微笑んだ。
と、その時だった。
「で、では、シャイターンの大将アゼルが戦闘不能ということでこの勝負は——」
司会者がたどたどしくアナウンスを始めたその瞬間だった。
「待った」
会場に響く声。誰もが息を呑む中、アゼル先輩は立ち上がった。
その姿に僕は自然と拳を握る。
「な、なんとここでアゼルが立ち上がった!では、本人に戦闘の継続意思があるため大将戦を続行したいと思います!」
興奮を隠しきれない様子の司会者が声を張り上げて叫ぶ。
観客席もどよめきに包まれ、さっきまで勝負が決したと思っていた者たちは目を見開いている。
でも僕たちや控え室の先輩たちは「やっと立ったか」とでも言いたげで半ば呆れたような、それでいて誇らしげな視線をアゼル先輩に向けていた。
そんな視線を受けてか、アゼル先輩は気まずそうに頬をかいてばつの悪そうな顔をしている。
やがて、エレノアさんの前まで歩み寄りその目をじっと彼女に向けた。
「まだ戦えるとは思ってたけど……まさか本当に立ち上がるとはね。らしくないんじゃないかい?」
「惚れた女の願いなんで...叶えないわけにもいかないんすよ」
その一言に会場が騒然とする。
女子たちが一斉にきゃーきゃー騒ぎ出した。
なかでも、ミコトさんは顔を真っ赤にしながら人一倍叫んでいた。
隣のアルノー先生も肩を揺らして笑いながら「青春ですねぇ」と一言。
控え室ではというと——ノエル先輩が顔を真っ赤にして震えていた。
きっと、あの発言は想定外だったのだろう。彼女の“分析”でもアゼル先輩のその言葉は予測できなかったのかもしれない。
「へぇ……かっこいいじゃないか。でも残念だけど——勝利は譲れないよ」
エレノアさんも負けじと応じるとすぐさま構えを取る。
すると、アゼル先輩はふうと軽く息を吐き、両手を頭へと伸ばした。
「そうっすよね。しゃーない....俺も本気出しますか」
チャームポイントでもある目元を覆うほどの前髪をかき上げて後ろへと流す。
それだけでアゼル先輩の印象ががらりと変わった。
(……アゼル先輩って意外と……というかめちゃくちゃイケメンじゃん)
思わずそんなことを考えてしまう。
けれど、僕のそんな感想とは裏腹にアゼル先輩の表情は一切の飾り気なく、凛とした真剣そのものの顔だった。
視線はまっすぐにエレノアさんを射抜くように見つめている。
変化といえばそれだけのはずなのに——まるで別人のような圧迫感がアゼル先輩からにじみ出ていた。
その理由が分からず僕が内心で困惑していると、隣にいたアルノー先生が静かに口を開いた。
それはアゼル先輩の過去の話だった。
「要は彼のあの姿はスラム街にいた頃のものですね。ああして前髪を上げると当時の記憶や感情が呼び起こされて戦闘本能が研ぎ澄まされるんでしょう」
まさかアゼル先輩がスラム街出身だったなんて思ってもみなかった。
でもそれを知った今、妙に納得がいった。
(それならノエル先輩に頭が上がらないのも納得できる……)
アゼル先輩の過去はきっと誰よりも過酷なものなのだろう。だけど、そんな彼に手を差し伸べて、信じて、支え続けてきたのがノエル先輩だったのだ。
二人の間には僕たちには到底想像できないような深く強い絆があるのだと痛感した。
ただの付き人なんかじゃない。あの二人はお互いにとっての“救い”だったんだ。
闘技場へと再び目を向ける。
エレノアさんが動き出していた。
彼女もアゼル先輩の変化にすぐ気づいたのだろう。その表情には驚きよりもむしろ高揚と期待がにじんでいた。
——戦いたくてたまらない。
そんな本能が言葉を超えて伝わってくる。
「...面白くなってきたじゃないか。最初からその顔を見せてくれればよかったのに」
エレノアさんが挑発気味に笑う。
その拳をぎゅっと握りしめる仕草からも彼女の闘志が溢れ出ているのが分かる。
対するアゼル先輩はというと、肩を軽く回しながら視線を一切逸らすことなく応じた。
「嫌なことを思い出すんであんまりしたくないんですよ、これ」
静かに告げられたその言葉に僕は背筋がゾクッとした。
(……ついにアゼル先輩の本気が見れる)
観客席もその空気を敏感に察知したのか次第に静まり返っていく。
控え室にいる出場メンバーたちも皆が言葉を失って見守っていた。
闘技場には言葉にできない緊張感が満ちていた。
息を呑むような沈黙のなか——
先に動いたのはエレノアさんだった。
「行くよ!」
声と同時に彼女が地面を蹴りつける。
石畳がひび割れるほどの爆発的な踏み込み。体勢を低く構え、渾身の蹴りをアゼル先輩へと放った。先程と同じ...いや、それ以上の威力だ。
(直撃したらまた吹き飛ばされる)
僕は一瞬、そう思った。
けれど——
アゼル先輩は避けなかった。
いや、避けようともしなかった。
「……くっ!」
正面からその蹴りを真正面で受け止める。肩口に直撃したエレノアさんの足がアゼル先輩の身体に食い込む。凄まじい衝撃音が会場に響き渡った。
けれど、アゼル先輩はその場を動かなかった。
わずかに踏ん張り、足を軋ませて拳を握る。
そして——
「お返し」
拳を振り抜いた。
エレノアさんの胴へ寸分の迷いもなく叩き込まれた一撃。
次の瞬間、エレノアさんの身体が音もなく宙を舞い、闘技場の端まで吹き飛ばされた。
「な、なんで…!?」
先ほどはエレノアさんの蹴り一発で壁まで吹き飛ばされていたアゼル先輩が今回はまったく動じずに立っている。
何が変わったのか?どうして耐えられたのか?
疑問に思ったその時、隣のアルノー先生が静かに口を開いた。
「消滅の出力を上げたんでしょう。」
「……出力?」
「消滅はその出力によって消せるものが増えていきます。エレノアさんの一撃を受けきるために通常よりも多く魔力を注ぎ、攻撃そのものを限界まで打ち消したのでしょう」
アルノー先生の目はまるですべてを見透かすように真剣だった。
「でも、そんなことしたら……」
「ええ...莫大な魔力を消費します。それも一瞬で」
先生はほんの少しだけ眉を下げて言葉を続けた。
「今の彼は戦略や持久戦を考えていません。きっと“自分が倒れてもいいから目の前の敵だけは確実に仕留める”——そういう覚悟で動いています」
僕は言葉を失った。
確かに今のアゼル先輩の動きはあまりにも無謀だった。でも、それが逆に彼の本気を証明していた。
無傷とは言えない。肩を押さえていたし、表情もわずかに苦悶を浮かべている。
けれど、それでも動じる様子はない。
「……今のは効いたよ」
吹き飛ばされたエレノアさんが壁を背にしながらも笑って立ち上がってきた。
息を乱しながらもその目には強い光が宿っている。
「こんな楽しい勝負は初めてだよ」
彼女の頬には汗とわずかな血が伝っていた。
だけど、その表情はどこか嬉しそうで次の攻防への期待に満ちていた。
(ここからが本当の“決着”の時間だ)
そう思わずにはいられなかった。
「これで最後にしようかね」
そう言って再び力を込めようとするエレノアさん。
だが——
「……?」
体に力が入っていない。
戸惑う彼女にアゼル先輩が口を開いた。
「出来るか不安だったんですけど成功したみたいっすね。一時的ではあるんですけど、さっきの触った時に象徴を消しときました。名前は——《象徴消去》ってとこですかね」
「……なっ!」
その言葉に僕は戦慄した。
会場のみんな——アルノー先生ですらも驚いている。
一時的に相手の象徴そのものを無効化する。そんな馬鹿げたことができるなんて。
しかし実際にその効果によりエレノアさんの身体は一切の防御も強化も持たないただの少女の肉体となった。
アゼル先輩は躊躇なく距離を詰め、そのまま拳がまっすぐに振り下ろされる。
「早めに休みたいんでここら辺にしときましょ」
エレノアさんが避ける間もなく、それが命中する直前——
「っ……!!」
眩い光が彼女の体を包む。
《不死のアーティファクト》が発動した。
会場が静寂に包まれる。
そして——
「勝者! シャイターン大将のアゼル!!」
司会者の絶叫と共に観客席は地鳴りのような歓声に包まれた。
僕は目の前で起きたすべてのことがまだ信じられず、ただ呆然とアゼル先輩を見つめていた。
その横顔は血と汗にまみれていたけれど——
僕はそれが誰よりも誇らしく、強く、かっこいいと思うのだった。