第19話 勝ち抜き戦 ④
イリスは目の前の相手——エリックがいまだに象徴を使わずに戦っていることに次第に苛立ちを募らせていた。
魔力はもう底を尽きかけている。限界が近いことは誰よりも本人が理解していた。
だからこそ、せめて互いに全力をぶつけ合いたかった。力を尽くし、正々堂々と倒れたい。それがイリスの中にある王族としての矜持だった。
静かに距離を取ると、イリスは初めて口を開いた。
「どういうつもり?」
その声には少しの怒気と純粋な疑問が滲んでいた。
エリックは迷いなく答える。
「舐めて手加減してるつもりはない。ただ、これが俺の信念なんだ」
「私のことを思うなら全力で叩き潰すのが礼儀ってものじゃない?」
「大多数がそう考えるのは分かってる。だけど俺は……疲れ切った相手に全力は出すことは出来ない」
その言葉でイリスはエリックという男の性格を察する。
(なるほど。舐めてるわけでも遊んでるわけでもなく…優しすぎるのね)
怒りが引き、胸に残ったのは妙な納得と——少しだけの尊敬だった。
「……あんたの性格は理解したわ。でもね、そんなこと関係ない。私は全力であんたを叩き潰すだけよ!」
挑むように叫ぶイリスの言葉にエリックは驚いたように目を見開き、やがて柔らかく笑う。
「それでいい」
そして、イリスは最後の力を振り絞り矢印魔弾を放った。
エリックは変わらずそれを剣で打ち払い、その隙を突いてイリスが加速矢印で距離を詰める。
剣と剣が再び激しくぶつかり合う。
だが——
「……降参よ」
戦いの最中、イリスがふいに手を挙げて声を上げた。
「もう、剣に纏わせる魔力すら残ってないわ」
最後の加速矢印が限界だったのだ。彼女の身体にはもはや力が残されていなかった。
あまりに突然の降参に観客席が静まり返る。
だがすぐに司会者がマイクを取り、声を張り上げる。
「それでは! シャイターンの先鋒イリス・ゼーレクスが降参を宣言したことにより——勝者はドミニオスの中堅エリック!!」
司会の声に観客たちはようやく現実を受け入れ、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。
賞賛の声は勝者であるエリックだけでなく、敗れたイリスにも向けられていた。限界まで戦い抜いた彼女の姿に多くの観客が心を打たれたのだ。
もちろん、カインを含む1年生組は全員で他の観客に負けないほどの歓声をイリスに送った。
顔を赤らめながら、それでもどこか誇らしげに笑っていたイリスは観客たちに一礼すると控え室へと戻っていった。
そして——扉を開けた瞬間。
「お疲れ!イリスちゃん!」
真っ先に飛びついてきたのはフェリスだった。
だが、イリスはもはや立っているのもやっとの状態。バランスを崩しよろけたその身体を支えたのはノエルだった。
「やっぱりこうなると思いました」
ノエルは静かに微笑むと、イリスとフェリスの両肩を抱いて支える。
「イリス様、お疲れさまでした」
その言葉とともに彼女の手がイリスの頭を優しく撫でた。
「お疲れ。それよりもフェリス、いきなり人に抱きつくのはやめろ」
続いてヴィクターもイリスを労う。もちろんフェリスへと釘を刺すのも忘れずに。
フェリスはイリスから離れ「ごめんね〜」とぺろりと舌を出す。
その様子を見ながらイリスは笑みを浮かべ、ふと視線を横に向ける。目の先には無言のまま座っていたアゼルがいた。
「なんだよ」
「……何かないの?」
言葉を求めるような視線。アゼルは一瞬、わずかに視線を泳がせる。
周囲のメンバーも彼をじっと見つめている。
観念したようにため息をつくと、アゼルは照れくさそうに一言つぶやいた。
「……はぁ。よくやったよ、お疲れ」
その様子を見て満足したイリスは最後にレイヴンを見る。
「よくやったな。ミスティを倒しただけでも大したものだ」
レイヴンが言うと、イリスは悔しそうに肩をすくめる。
「中堅も倒したかったんだけどね」
「それは俺の仕事だ」
「ええ。だから任せるわ!」
言葉を交わしたレイヴンは静かに立ち上がり、控え室の扉へと歩き出す。
「頑張りなさい!」
背中へ向けたイリスの声に彼は振り返らずに片手を挙げて応えた。
他のメンバーも次々に応援の言葉をかける。
そして最後に——
「最後には俺がいるんで……まあ、気楽にやってください」
アゼルの軽口にレイヴンは苦笑する。
そして扉を開け、観客の視線が集中する中、ゆっくりと中央へと歩み出す。
その先には——既に立って待っているエリックの姿。
2人の視線が交錯した瞬間、互いに笑みを浮かべる。
「待っていたぞ」
「奇遇だな。俺もだ」
短く言葉を交わした2人がわずかに距離を取り、静寂が満ちる。
そのタイミングで司会の声が響いた。
「両者、準備はよろしいですか?」
レイヴンとエリックは無言のまま頷く。
「では、始め!!」
本日三度目の開始の宣言が闘技場に高らかに響き渡った。
こうして、レイヴンのリベンジ戦——「レイヴン vs エリック」の幕が上がった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
開始の合図が響いても二人は動かない。
沈黙の中、観客たちの期待が高まるのを感じながら、レイヴンは静かに思考を巡らせていた。
(さて、どうするか——)
彼は昨年の敗北を機に血の滲むような努力を積み重ねてきた。
敗北の悔しさ、無力さ、その全てを糧にして強くなった。実際、実力は確実に向上している。
だが、それでもなお、目の前の男——エリックに対する明確な勝ち筋は今も見えていなかった。
透過——
それがエリックの持つ象徴だ。任意のタイミングで発動することであらゆる攻撃や物理干渉を無効化する。すなわち、斬撃も魔力も何もかもが彼の身体をすり抜けてしまうのだ。
振動を剣に纏わせて戦うスタイルのレイヴンにとってそれはまさに最悪の相性。斬撃を放った瞬間、透過されてしまえば一切のダメージは通らない。
余談だが、彼が1年生の頃は持っている剣もすり抜けてしまい、能力発動と同時に剣を落としてしまうという事も日常茶飯事であった。
しかし、共鳴率を上げたことにより透過を剣に付与するという芸当もできるようになっていた。
エリックもまた努力家であった。
「来ないならこちらから行くぞ」
静寂を破ったのはエリックの一言だった。
言葉と同時にエリックが疾走する。
透過は機動力を高めるわけではないが、鍛え抜かれた肉体と共鳴率の高さが彼に驚異的なスピードを与えていた。
だが、レイヴンもまたそれに引けを取らない。鋭く、無駄のない視線でその動きを捉え、反応する。
エリックの剣がレイヴンの剣に触れるまさにその直前——
「《フェイズエッジ》」
エリックの声が凛と響く。
その瞬間、彼の手が透けてゆく。剣を握る手がまるで霧のように透明に変わっていくと、持っていた剣もまた実体を失っていく。
透明になった剣はレイヴンの剣を何の抵抗もなくすり抜け、そのままの勢いで彼の首を狙う。
(来る…!)
レイヴンは一瞬の直感に従って身を引いた。ギリギリのタイミングで首を逸らし、間一髪で致命の一撃を避けると、すぐさま距離を取る。
「相変わらず厄介な象徴だな」
レイヴンが息を整えながら呟くと、エリックも肩をすくめるようにして応じる。
「透過を使わないと逆にこっちの剣が斬られてしまうからな」
レイヴンも既に振動剣を発動していた。
「それに...あの距離から俺の剣を避けられる者なんて学生には片手で数えるくらいしかいないぞ」
「避けられても攻撃を当てられなければ意味がないんだがな」
一触即発の空気の中で交わされるのはまるで旧友のようなやり取り。互いの力量を認め合いながら、それでも意地を張るかのような軽口が交錯する。
そんな会話にどこか滑稽さを覚えたのか、二人は思わず小さく笑った。
「やはり、お前とは気が合うようだ」
「…そうだな」
短く頷き合うと、互いの視線が再び鋭く交錯する。
お互いの攻撃を一撃でも受けることが出来ない状況が続く中、次に仕掛けたのはレイヴンだった。
レイヴンは地を蹴り一気に距離を詰めると、振動剣を振り抜く。
剣に宿る細かく鋭い振動が空気を震わせ、軌道の先にいるエリックを切り裂かんと迫った。
だが——
その瞬間、エリックの身体が透き通る。
振動剣は何の抵抗もなく彼の身体をすり抜け、空を斬った。
剣が通り過ぎると同時にエリックの姿が再び実体化して、今度は反撃の構えに転じる。
その剣がレイヴンの首元を狙って振り下ろされるが、レイヴンもまたギリギリで後方へ跳び退きその斬撃を回避した。
すれ違うようにして動き続ける二人。
どちらも攻撃の意図を見抜き、相手の次の一手を読んでいる圧巻の接近戦だ。
観客席からは歓声が巻き起こるが、その熱気すら二人の集中力を揺らがせることはなかった。
剣戟が繰り返される中、やがて二人は呼吸を整えるようにして距離を取った。
互いの息はわずかに乱れている。
だがその瞳にはまだ疲労の色は見えない。
(……埒が明かないな)
レイヴンは心中でそう呟いた。
この攻防が延々と続くだけのものではないことを彼自身が誰よりも理解していた。だからこそ、解決策を模索する。
(エリックが必ず実体化するタイミング….それは俺に攻撃をする時だ。だとするならば…)
当たり前のことではあるが、エリックは自分の攻撃を当てる時は必ず実体化する。
レイヴンはそのタイミングでエリックの攻撃を避けつつ自分の攻撃を当てるという、言うは易く行うは難しの作戦を思いついたのだ。
(やるしかないか)
決意とともにレイヴンは走り出す。
再び振動剣を振るい、真正面からエリックに斬りかかる。
だが、当然のようにエリックは身体を透過させ、その一撃を受け流す。
次の瞬間、実体化した剣がレイヴンを襲う。
だが——。
「……っ!」
その刹那、レイヴンの体がわずかにひねられ、剣を回避。そして回避と同時に彼の足が鋭く閃く。
ドンッ!!
鈍い音とともに振りぬかれたレイヴンの蹴りがエリックの横腹を打ち抜いた。
思いも寄らぬ方向からの一撃にエリックの身体が宙を舞うようにして後方へ吹き飛ばされる。
まさかの展開に観客も興奮を隠せない。
肝心のエリックはというと、約10メートル近く後方へ弾かれたが、気合いと鍛え抜かれた体幹で地に踏みとどまり、横腹を押さえながら笑みを浮かべていた。
「……やってくれたな」
その表情には痛みと同時に驚きと愉悦が混じっていた。
しかし、レイヴンの方も無傷ではなかった。
肩口から赤い血が滴り落ちている。
さきほどのカウンターを成立させるために避けの動作を最小限にしたことでエリックの刃が皮膚を切り裂いたのだ。
「割には合っていないがな……」
そう呟くレイヴンの視線は冷静だった。
血を流しながらも目に宿る光はむしろ鋭さを増している。
エリックはレイヴンの覚悟の強さを再認識する。
そしてレイヴンもカウンターをしたとしても攻撃を避けれるだろうと思っていた自分の認識の甘さを改めた。
互いに一歩も譲らぬ攻防
レイヴンは静かに剣を構え直す。
そして、エリックも再び歩を進める。
その緊張感が闘技場全体を静寂で包み込むのだった。
少しずつですが、多くの方々にお読みいただけるようになり大変嬉しい限りです。今更かよという話ではありますが、初めての作品であり拙いところもありますゆえご容赦願いたいです。リアクションやポイントは大変励みになりますのでお暇がある際にでもしていただければ幸いです。