第12話 不穏な影
国家交流祭、一日目の夜。
明日の学園対抗戦に向けて街の喧騒も少しずつ静まりはじめた頃——会場に設けられた特別観覧席に三人の年配の人物が腰を下ろしていた。
一人はゼーレクス悪魔専門学校の学園長であるマグナス・レーヴェン。
もう一人はその学園で教鞭をとるヘルマン・ベルモンド。マグナスの破天荒さに日々ツッコミを入れ続ける苦労人である。
そして最後の一人はフェルミナス天使専門学校の学園長であるシルビア・フォクスウィン。
上品な老女でありながら、その知略と毒舌は折り紙付き。マグナスからは“女狐”と呼ばれているが、それすらも彼女にとっては褒め言葉だろう。
この三人はアルノーとアダムやナターシャのように——教師という同業者ゆえの腐れ縁であり、互いに長く付き合ってきた関係だった。
ただし、アルノーたちとは決定的に違う点がある。それは“年季”だ。
彼らの平均年齢ははるかに高く、それに比例して積み重ねてきた付き合いの年月も桁違いだった。
——参考までに言えば、彼らの関係はすでに四十年以上になる。もはや戦友とも宿敵とも言える関係だ。
「メンバーは変わっていないから、きっと今年も私たちの勝ちね」
シルビアが挑発気味にマグナスを見やる。
「おいシルビア!お前はなぜそうやっていちいち煽ってくるのじゃ!」
「あら?先に挑発してきたのはそちらでしょう?」
「儂がそんなことをするわけなかろう!」
「いいえ、あなたは20年前に煽ってきたわ。覚えてる?昨年ほどまではいかないものの、少しだけ一方的だった試合。その時、あなたは満面の笑みで“いい試合じゃったな”って皮肉たっぷりに言ってきたのよ」
「20年前のことを今さら持ち出すとは…根に持ちすぎじゃろうが!」
「された側はいつまでも覚えているものよ」
そんな二人の応酬に間に挟まれたヘルマンが溜息をついた。
「……はあ。毎年毎年、よう飽きもせず……」
このやり取りはもう何度目だろう。国家交流祭になるたびに繰り返される恒例行事。ヘルマンにとってはもはや風物詩と化していた。
「おい、そろそろ黙れ。今日は大事な話をするために集まったんじゃろうが」
ヘルマンの一喝にようやく二人の口論が一段落する。
「……そうだったわね」
シルビアがあっさりと引き下がり、マグナスも咳払い一つして落ち着きを取り戻す。
だがその直後——
「とはいえ、ヘルマンが仕切るのはどうも釈然としないわね」
「ヘルマンの癖に妙に偉そうじゃな」
再び飛び出した悪態に今度はヘルマンがテーブルを軽く叩いて立ち上がった。
「はぁ!? なんじゃその言い草は!お前らがいつまでもガキみたいな喧嘩しとるから儂が仕切ろうとしただけじゃろうが!」
怒りのままにまくし立てるヘルマン。その熱量に押されたのか、マグナスもシルビアも思わず顔を見合わせて苦笑する。
「冗談じゃ」
「冗談よ。ほら、落ち着いてヘルマン」
しかし、揃ってタイミングよく放たれたその軽口に逆に火がついた。
「だいたいお前たちはなぁ……!」
こうして、興奮したヘルマンによる説教はしばらく続いた。
——数分後。
「……ぜえ、ぜえ……」
息を荒くしてヘルマンは椅子に沈み込む。そんな彼にシルビアが水を差し出した。
「落ち着いたかしら?」
「元はと言えば……お前らのせいじゃろうが……ってもうええわ……」
椅子にどっかりと腰を下ろしたヘルマンがマグナスを見やる。その視線は「さっさと本題に入れ」と語っていた。
「よし。では、そろそろ本題に入るとするかの」
マグナスの声が低く響くと場の空気が変わる。今までの騒がしさが嘘のように空気がぴんと張り詰めた。
「話の発端はシルビアが見つけたという文献じゃ」
マグナスが重々しくそう切り出すとシルビアは小さく頷き、懐から一枚の紙を取り出した。
「私の学園長室に保管されていた古文書よ。記されたのはおよそ千年前」
羊皮紙のように黄ばんだその紙には精密で古風な文字がびっしりと並んでいる。マグナスとヘルマンも身を乗り出すようにしてその内容に目を通した。
「……こりゃまたずいぶんと物騒なことが書いてあるのう」
マグナスの眉がぴくりと吊り上がる。その横でヘルマンも腕を組み、静かに考え込んだ。
そこに記されていたのは——かつてこの大陸が“闇に飲まれた”という記録だった。千年前、世界のすべてが無へと帰したとされる忌まわしき過去。
「とはいえ……実際に大陸はこうして残っておるしのう。もしすべてが無になったというのが事実ならこの記録が存在すること自体が矛盾じゃ」
マグナスの言葉にシルビアは静かに頷いた。
「ええ、だからこそ不可解なのよ。でも——」
「文献がフェルミナス天使専門学校の地下に太古から眠っていたという事実は無視できんわな」
「そして、私が一番気になったのはここ」
ヘルマンが深く頷く。二人の視線はシルビアの指先へと向かっていた。
彼女が指し示したのは紙の下部に記されたある異常事態の記述だった。
《その時、十五歳の優れた子供たちが八人、同時に学園に存在していた》
「十五歳の優れた子供たちが八人……つまり、当時の“Sクラス”に該当する生徒が8人も揃っていたということかの」
マグナスの解釈にシルビアが深く頷く。
「さらに続きがあるの。——“次に闇が訪れるのは千年後。その兆しはシャイターンから始まる”と」
一瞬の沈黙が場を包んだ。
「まさか...今がその“千年後”というわけか」
「ええ。そして今、あなたの学園の一年生にSクラスの生徒は?」
シルビアの問いにヘルマンがまぶたを閉じたまま低く答える。
「八人……じゃな」
風もないのに観戦席の空気がどこか冷たく感じられる。シルビアの視線は遠くに向けられ、マグナスは唸るような低い声を漏らす。
「そういえばアルノーも言っておったな。今年のSクラスが異様に充実しているのは何かの前触れかもしれぬと」
「……あなたのところの有望な先生ね?」
「うむ。あやつの勘はよく当たるのじゃ」
マグナスの言葉にヘルマンとシルビアが静かに頷いた。アルノーの直感と古文書の奇妙な符合。それが妙な現実味を持って迫ってきていた。
「今ある情報ではこれ以上の断定はできん。……だが、警戒はしておくべきだろうな」
ヘルマンの静かな一言が三人の間に新たな緊張感を呼び起こした。やがて、誰ともなく夜空を見上げる。
満天の星が静かに瞬いていたが、その美しさの奥にはどこか不穏な影が忍び寄っているようであった。
少しずつですが、多くの方々にお読みいただけるようになり大変嬉しい限りです。今更かよという話ではありますが、初めての作品であり拙いところもありますゆえご容赦願いたいです。リアクションやポイントは大変励みになりますのでお暇がある際にでもしていただければ幸いです。