第9話 教師の休息
1年生たちは宿に着くなりベッドへ倒れ込んだ。まるで糸が切れた人形のように全員が死んだように眠ってしまった。
長旅の疲れがついに限界を超えたのだろう。
その様子を一通り見届けると、アルノーは静かに部屋を後にした。重たい扉を閉じる音が不思議と優しく感じられた。
彼には向かわねばならない場所があった。
夜風に髪を揺らしながら、石畳の通りをしばらく進む。街の明かりは暖かく、夕餉を楽しむ人々の声がそこかしこに響いていた。
やがて、レンガ造りの趣ある一軒の酒場が現れる。木製の看板には酒場の名前が書かれている。ここは地元でも評判の老舗らしく、外からでも中の賑わいが伝わってくる。
アルノーは慣れた足取りで中へ入り、店主に軽く会釈をした後、2階へと足を運ぶ。
1階ほどの喧騒はなく、2階には落ち着いた空気が流れていた。照明もやや抑えられ、ちょうどよく心を緩めてくれるような雰囲気が漂っている。
視線を巡らせるとすぐに見つけた。待ち合わせの人物たちだ。
「お久しぶりですね」
「久しぶりね」
「遅かったじゃないか」
軽やかな再会の挨拶が交わされる。
声を返したのはナターシャとアダム・レクター。ナターシャは物静かな雰囲気の中に芯の強さを感じさせる女性。対してアダムはこれでもかというほど自信に満ちた表情を浮かべる男だ。
2人はドミニオスの王都であるフェルミナスにある天使専門学校の教師であり、アルノーとは長年の同志でもあった。
「まぁ、座りなよ」
アダムが椅子を指し示すと、アルノーは軽く頷きその向かいに腰を下ろした。
「1年ぶりですね」
「そうね……あなたに会うと今年も交流祭の時期かって思うわ」
ナターシャはグラスを傾けながら懐かしむように微笑んだ。
アルノーは少し笑い、店員に酒を注文する。
「最近はどうですか?」
「順風満帆だよ。まぁ、この僕に不調なんてある訳がないんだけどね!」
相変わらずの調子にアルノーは小さく笑みをこぼす。ナターシャはもはや聞き慣れた様子で特に反応を示さず話を進めた。
「で、そっちはどうなの?」
その「どうなの?」が自分の調子ではなく、学園対抗戦の“メンバー”についてであることはアルノーもすぐに察した。
昨年の学園対抗戦——その結果はシャイターンにとって“惨敗”という言葉がぴったりだった。
一般の観衆は勝者ドミニオスに熱狂し、敗者シャイターンを非難した。
しかし、両国の教師陣にとってあの試合はただの勝ち負けでは語れなかった。
勝者のドミニオス側ですら、あの一方的な展開は「見ていられなかった」と語るほど。教師として生徒たちの未来を思えば、あれは痛ましい記憶だった。
「昨年は色々と……不測の事態が重なりましたからね。今年は同じ轍を踏みませんよ」
アルノーは到着した酒を回しながら静かに言った。
「実力が足りない生徒を同情で出場させるのはその子のためにもならないだろうね」
アダムの辛辣な言葉にアルノーはほんの少し眉を寄せたが、すぐに静かに頷いた。
「耳が痛い話です。それで……逆にそちらの方はどうなんですか?」
話を切り替え、アルノーはグラスを掲げた。
3人は軽く乾杯の音を交わし、アダムは得意げに言った。
「もちろん最高のメンバーに決まってるだろ。なにせ、この僕が指導してるんだからね」
今日一番のドヤ顔だ。
アルノーは思わず苦笑する。
だがその内心には深い敬意があった。
アダム・レクターという男は言動こそ派手で自信家だが、生徒思いで教師としての誇りを誰よりも強く持つ男でもある。
そのことをアルノーは誰よりもよく知っていた。
その後、酒が進むにつれて三人の席からは笑い声が絶えなくなっていた。
アルノー、アダム、ナターシャ——3人による再会の宴はすでに何度目かの乾杯を終え、酒の力も相まってすっかり打ち解けた雰囲気になっていた。
アダムとアルノーは陽気に笑いながらジョッキを空け、ナターシャも普段の落ち着いた表情のままに頬を赤らめつつ静かに笑みをこぼしていた。
「エレノアに勝てないまでもいい勝負ができる生徒を育ててみなよ!」
アダムが挑発めいた笑みでグラスを掲げると、アルノーは肩をすくめながらも意味ありげに笑った。
「でしたら、今年は問題なさそうですよ。なんと言っても私のお気に入りがいますからね」
「去年出られなかった生徒だよね?まぁ、誰でもいいけど……今年はほんと頼むよ」
「むしろ、こちらが勝つ可能性の方が高いと私は思ってますよ」
静かに、だが自信に満ちた声でアルノーが言い切る。その言葉を聞いた瞬間、アダムが勢いよく立ち上がりかけた。
「そんなわけあるか!今年のドミニオスのメンバーは歴代最強だぞ!」
言うが早いか、アダムはジョッキを片手に次々と自分の生徒たちの強みや戦術を語り出す。
「アダム、ちょっと酔いすぎよ。そんなに喋ったら不利になるってば」
ナターシャが呆れたように眉を寄せて止めに入る。しかしアダムはにやりと得意げに笑った。
「僕の愛する生徒たちはそんな小細工じゃ動じないよ。真正面から叩き潰す、それだけさ」
その言葉には誇張でも虚勢でもない、真っ直ぐな信頼と誇りが宿っていた。
アルノーはそんな二人のやり取りを見ながら、苦笑を浮かべそっと杯を置いた。
「……では、この夜の話はここだけのものということにしときましょうか」
その言葉にナターシャは「そうしてもらえると助かるわ」と感謝を告げる。
そして、また3人はグラスが重ねて乾杯をする。
酒場の二階、月明かりが漏れる窓辺で熱き教師たちの夜はまだしばらく続くのだった。
少しずつですが、多くの方々にお読みいただけるようになり大変嬉しい限りです。今更かよという話ではありますが、初めての作品であり拙いところもありますゆえご容赦願いたいです。リアクションやポイントは大変励みになりますのでお暇がある際にでもしていただければ幸いです。