『勇者列伝②……ショカ』
著:グシヒテン・ハウス
注:アーメクン・ブーフ
ショカは王暦997年。フォレ地方の農村アルバで誕生した。父を早くに亡くしたショカは、昼は母を助け農業に励み、夜は薬師から薬草についての教えを受けた【注一】。
【注一】……ショカの将来の展望は、万能薬を作り、両親の様な身体の弱い人々を救いたいというものであった。『コメントのサブスク討伐記』によると、回復役のファシネスの魔力が枯渇した際には、彼の薬草の知識が大いに助けとなった。
王暦1010年。母を亡くしたショカは、村長の推薦により領主グリティンド・アートの屋敷で奉公するようになった。ショカの役割は雑用であった。若く温和で、誰に対しても謙虚であった彼は時間を置かず、アート家の人々や他の使用人達から愛された。
王暦1013年。アート子爵の長女ファシネスの推薦により、雑用係として魔王サブスク討伐のスタークのパーティに加わった【注二】。しかし、ファシネス以外のパーティメンバーとの折り合いは悪く、半年後にパーティを追放された。
【注二】……『ファシネスの日記』によると、ショカがアート家へ奉公してくる以前より、ファシネスと ショカは友人同士であった。幼少期、アート家の方針によりファシネスが野営訓練を行っていた際、山へ薬草を採りに来たショカと出会った。ファシネスが夜間、虫に悩まされている事を知ったショカは虫除けの香を彼女に送った。以降の夜間、ファシネスが虫に悩まされる事はなくなった。
王都に帰還したショカはファシネスと共に、パーティメンバーを募っていた勇者コメントのパーティに加わった。武術や魔法の才のなかったショカは、一度も戦闘に参加する事はなかったが、野営にて料理、洗濯、武器の手入れ等の雑務を行い、パーティメンバーが病に罹れば、その看病を甲斐甲斐しく行った。そのため、コメント等は旅において、戦闘以外で煩わされる事は一切なかった。
王暦1017年。パーティが魔王を討伐すると、ショカはコメント等により功績第一に推薦された。ショカは天性の謙虚さとスタークからの糾弾から、何度もそれを辞退したが、国王の強い要望により最終的にそれを容れ、ペー地方領主となった。
王暦1019年。ファシネスと婚姻した【注三】。ショカは領地経営を行う傍ら、薬草の研究を行い、数多くの薬を開発した。
【注三】……ファシネスとの間には三人の子宝に恵まれた。
長男のゾリーダは冒険家となり、フェルティ大陸を発見した。
次男のサーヴィスは商人となり、父ショカの開発した薬を大量生産し、安価で人々に提供した。
長女のリクロンは研究者となり、数多くの回復魔法を開発した。
三人の詳細は『傑物列伝』に譲る。
王暦1072年。屋敷で家族に看取られながら息を引き取った。75歳であった。家督は長男のゾリーダが継いだ。
ショカは特別な才を持たない凡人であった。しかし、誰に対しても謙虚に接し、己の可能な限りの努力を怠らなかった。結果、一度も戦闘に参加しなかったにも関わらず、仲間達から功績第一に推され、貴族となった。
人は皆ショカの様に、例え武術や魔法といった特別な才に恵まれずとも、それら以外で何かしら優れている箇所があれば、全力でそれを伸ばさなくてはならない。