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黒魔導士  作者: 紺野 睡蓮
第1章
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2話-② 規制線

 スゥスにセウル地区の調査への同行をお願いした数時間後、僕は人生で初めての馬車に乗っていた。

 馬車といえば、人を乗せて目的地まで運ぶ交通手段としての役割が主だ。しかし魔法が使えないゲヌスは、その『人』の中に含まれない。

 もしもゲヌスが馬車に乗ることがあるとすれば、身柄を拘束され牢獄に輸送されるときだ。そんな経験は、できることなら避けたい。

 一方で、運ぶ側でなら馴染みがある。

 荷物の運搬をするときは馬よりゲヌスの方が優れているとされているからだ。整備されていない道も苦にしないし、何より馬のように餌や手入れの管理が必要ない。

 ゲヌスが魔導士に雇われて働く場合のほとんどが、そうした肉体労働だ。

 つまり、馬車とは魔導士専用の乗り物だ。いわくゲヌスが荷台を引くと、乗り心地が悪いらしい。

 

 それはさておき。

「そんなに緊張しなくてもいいですよ」

 ソワソワしている僕を見て、対面に座っているスゥスが話しかけてくれる。

「いや、そう言われても……」

 ただでさえ初めてなのに、スゥスが手配してくれた馬車は特別だった。

 ワゴンの外観は黒塗りで重厚感がある。余計な飾りはなく、瀟洒で品格を感じるデザインだ。そして側面にはヴェリエイダン王国の国章が施されている。正真正銘、公的に認められた馬車だ。

 この馬車が街を通れば、たちまち人の目を引くだろう。

「こんな馬車、初めて見たから……」

 内装も上品で、豪華なつくりだ。

 四人掛けでワインレッドのソファシートは足が伸ばせるくらいに広々としている。

 カーテンや窓も凝った装飾されていて、ひと目で高級品とわかる。

 王族も同じものを利用するらしく、憲兵の中でもこの馬車に乗れるのは一部だという。

 そんなことを聞いて緊張しないわけがない。ゲヌスで乗車したのは僕が初めてだろう。

 しかも今僕が着ているのは、水色のスウェットだ。ネユさんの家には僕のサイズの服がなく、起きたときに着ていたものをそのまま着用している。

「あぁ、落ち着かない……」

 あまりにも場違いすぎる。僕は心の中で小さくため息をついた。


 それに落ち着かない理由はもう一つある。

 僕は窓の外に目を向けた。

 動物の毛皮のような草原。緩やかな曲線を描いて、地平線の先まで続いている。

 そして馬車が向かう先には、ごちゃごちゃと無秩序に並んだ建物が現れ出した。

「あ」

 思わず声が漏れた。

 僕が生まれ育った場所、セウル地区が見えたからだ。

 ネユさんの家から森を歩いて一時間。さらにそこから馬車に揺られて一時間かかった。

 遠くからセウル地区を見ると、改めて被害の規模に驚く。

 それほど広くない地区とはいえ、テロの影響はほぼ全域に及んでいる。

 建物は焼け焦げ、崩落している。まるでゴミ山だ。とても人が住める状況には見えない。

「鎮火はされなかったんですか?」

「ベルアさん、声を落としてください」

「あぁ、ごめん」

 思わず、声に怒気がこもってしまった。スゥスに咎められて慌てて、声のトーンを落とす。

 荷台には僕ら二人だけだが、外には御者がいる。

 会話の内容で、僕が憲兵ではないこと、ましてやゲヌスだとバレてしまうのはまずい。

「消防隊が遅れて、被害が想定より広がったと聞いています」

 スゥスが淡々と続けた。

「まぁ遅れたというよりは、出動を渋ったと言う方が正しいですけど」

「渋った?」

「はい。ゲヌスの居住区が緊急事態だからと言って、危険を犯してまで助けにいく連中ではないですからね」

「あぁ、なるほど」

 つまり、セウル地区は見捨てられたわけだ。

 もはや呆れて何も言うことができない。

 セウル地区のゲヌスたちは、隣接する第一都市・ストラーグで出稼ぎをして暮らしていた。セウル地区もストラーグの一部。本来であれば、ストラーグの消防隊が駆けつけることになっている。

「僕が思っていたよりも、魔導士とゲヌスの溝は深いね」

 ネユさんとスゥスの存在で少し買い被っていたが、やはり本来魔導士とゲヌスは相容れない関係だ。

 暗然とした心で、セウル地区の奥にそびえる第一都市・ストラーグを見つめた。


「ベルアさんは、魔導士のもとで働いてなかったのですか?」

「僕は来月に十三になるから」

「そうだったんですか」

 スゥスは納得したように頷く。

 予定では来月から、兄さんと同じ職場で働き始める予定だった。兄さんは僕が働かなくて済むよう、両親を説得していたが、そんな特別扱いはできない。魔導士のお達しには絶対だ。

「あぁ、そうだ。ベルアさんはこれに着替えてください」

 僕が物憂げに、セウル地区を眺めていると、スゥスが馬車の収納スペースから、憲兵の軍服を取り出した。

「え、どうして?」

「変装です。規制線の中には、ゲヌスは入れないようになっていますから、それでやり過ごしてください」

 軍服を手に取ると、素材も装備も一式揃っていて、どう見ても本物だった。ずっしりとした重量感がある。

「え、本当に大丈夫なの?」

 ゲヌスが軍服を着て憲兵になりすますなんて、前例があるのかもわからない。

 だけど、もし見つかれば、それが重罪なのは火を見るより明らかだ。

「私に着いて来れば問題ありません。それに今は魔導士ですから」

「いや、その肝心の魔法が使えないんだけど」

 気軽な感じで行けると思っていたのに、まさかそんなことになっているとは。

「そもそも、なんで憲兵がセウル地区を規制なんかしているの?」

 消防隊も寄越さなかったのに、ずいぶんと勝手なことをしている。

「最初にテロが起きたのが、バロセア港なのは先ほど言いましたね」

「え、はい」

 ヴェリエイダン王国最大の港であり、他国との貿易の要。

 ここがテロの標的になったことによって、王国の経済活動が大打撃を受けたらしい。

「そのバロセア港で、テロの前後に不穏な集まりが目撃されました。その後も何度か、バロセア港での目撃証言があります。実行犯が証拠を隠滅した疑いがあるため、エリアを規制し、憲兵だけが捜査できるようにしたんです」

「なるほど」

 あまり気が乗らないが、そういうことなら仕方ない。

 僕は着ているスウェットを脱いで、軍服に着替え始める。

 着てみると、思っていたよりも装備が少ないことに気付いた。

 特殊な素材でもないし、武器といえば、ベルトケースにナイフが入っている程度だ。おそらく大体は魔法で解決できてしまうからだろう。

「そろそろ着きますよ」  

 僕が着替え終わるのを見計らって、スゥスが後方の壁をノックする。

 御者への合図だろう。馬車が緩やかに停止した。


 足を踏み入れたセウル地区は、遠くから眺めた時よりもさらに目を覆いたくなる惨状だった。

 テロの爆発によって崩落した建物たちは、何十年も放置された廃墟のように荒れ果てている。生まれ育った街のはずなのに、初めて来た場所かと錯覚するほど変わり果てていた。

 一歩一歩進むたびに、胸が痛く締め付けられる。

 馬車で降りた場所は、セウル地区の北東側。テロの被害が比較的少ないところらしい。

 北東側でこの有様ということは、この先はさらに酷い光景が待ち受けているということだ。

 もともとセウル地区は、都市部から追い出されたゲヌスが居住する荒廃した場所だ。貧困層がほとんどでインフラもまともに整備されていない。

 しかしそんな環境も、この惨状よりはよっぽどマシに思えた。

 砂埃が舞い、焼け焦げた臭いがが漂う。

 

 だけど、それだけじゃない。

 どうも様子が変だ。

 セウル地区に足を踏み入れてから、言葉では言い表せない違和感があった。

 スゥスもそれに気がついたようで、二人で顔を見合わせる。

「……人が」

「ええ、どこにも見当たりませんね」

 今歩いている場所は、セウル地区一番の大通り。テロの影響で見る影もないが、普段は多くの人が行き交っている場所。それなのにまだ人を一人も見かけていない。

「どこかに避難しているのかな?」

「いえ、ゲヌスに避難場所を用意する物好きはいないでしょう。そんな情報もありません」

 たしかにそんなもの好きな魔導士はネユさんとスゥスくらいだろうな。

 それに人影が見えないだけで、気配は感じる。

 そして僕らへの視線が、どこからともなく突き刺さる。見つからないように息を潜めて、僕らの一挙手一投足を監視しているようだ。息苦しくて仕方ない。

「僕らが憲兵の格好をしているから、警戒しているのかも」

 ゲヌスの居住区にやってくる憲兵は、警備を名目にゲヌスを脅したり、難癖をつけて暴力を振るうことが珍しくない。

 僕自身もゲヌスとして、憲兵とは距離を取り、関わらないようにしてきた。

「憲兵への視線って、いつもこんな感じなの?」

「たしかに監視の目はありますが、ここまで窮屈ではないですね」

 スゥスが視線を巡らせながら応える。

 そして、ただ心当たりがあるとすれば、とスゥスは続ける。

「どうやらゲヌスの間では、今回のテロの実行犯が魔導士じゃないかという噂が広まっているみたいです。もしかしたらそれが原因かもしれません」

「消防隊の一件もあるからね」

 僕は小さく吐き捨てるように呟く。

 今回のことで、魔導士とゲヌスの溝はより一層深まってしまったらしい。 

 僕たちを警戒するのも当然か。敵にしか見えないはずだ。

「彼らは『ヴェデリア』のことなんて知らないだろうからね」

「ええ。それに知ったとしても憲兵を疑うでしょうね。いくら同じ手口のテロが続いているとはいえ、ゲヌスがセウル地区を襲うというのは考えにくいですから」

 スゥスの言葉は淡々としていたが、その背後には重い現実が垣間見えた。

 モヤッとしたままだが、テロの手口と目的を早く明らかにしなければならない。

 「この調査で何かわかればいいけれど……」

 僕は小声で呟きながら、大通りをスゥスと共に進む。

 

 そして誰にも遭遇することなく、大通りを歩いて数分。

 僕らの目の前に、規制線が現れた。

「ここ、ですか」

 僕は目の前のバリケードを見上げてつぶやく。丈夫そうなロープで封鎖され、入り口の左右には憲兵が立っている。

その空気はピリついていて、物々しい雰囲気だ。

 この先は許可された憲兵しか立ち入ることができないエリア。 スゥスが隣にいなければ、すぐに逃げ出しているだろう。

「怪しまれないように、堂々としていてください」

 隣でスゥスがこっそりと耳打ちすると、見張りをしている憲兵の一人と近づいていく。

 その中の一人、スゥスの倍ほどある屈強な体格の男が僕たちを睨みつけた。

 睨まれるだけで気後れしてしまいそうだ。

 しかし、スゥスは全く臆することなく、毅然とした態度で憲兵たちに告げた。

「第六師団特殊部隊少将スゥス・エルビスと、その部下です」

 その声は、これまでの彼女からは想像できないほどの武人らしい威厳と力強さがあった。

 見張りの憲兵たちはスゥスの胸に付いた勲章を見るや否や、慌てたように機敏な動きで規制線を外す。

「ど、どうぞ」

 見張りが脇に逸れて、道を開ける。

 え、スゥスって何者?

 名乗っただけで、こんなに簡単に入場許可が下りるなんて……。

 少将というのは、そんなに偉い役職なのか?

「行くぞ」

 スゥスが短く指示を出す。その声色は、いつもと変わらないはずなのに、自然と従わせる圧力を持っていた。

「は、はい」

 覇気のある声に突き動かされて、僕も同じように見張りの脇を通り、規制線をくぐり抜ける。スゥスの部下というだけで、僕も入場が許されたようだ。

 エリアに入り、見張りから駆け足で離れる。彼らが見えなく鳴ると、僕は思わず大きく息を吐き出した。

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