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黒魔導士  作者: 紺野 睡蓮
第1章
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2話-① 水汲み

 翌朝。

 今にも覆い被さってきそうな、鬱蒼たる森林の中を、僕はひたすら歩いていた。

 ようやく朝日が昇ってきたものの、樹葉に遮られて、辺りは薄暗い。

 人の手が入っていない原生林だが、足元にはうっすらと一筋の獣道がうねっている。

 ネユさんの家を出発して、すでに数十分ほど経過していた。

 辺りを見渡してみても、景色はどこまでも変わらない。

「すごいところに住んでいるな」

 ため息混じりに呟きながら歩を進める。けれど、一向に目的の場所が見えてこない。

 ネユさんは獣道を辿れば簡単だと言っていたが、うっかり見失ってしまいそうでおっかない。

 どこを見渡しても同じ景色だし、加えて、樹葉のせいで太陽の位置も確認しづらい。

 ネユさんは慣れているかもしれないが、初心者には難易度が高すぎる。

「やっぱり付いてきてもらうべきだったかな……」

 いや、それでは意味がない。

 僕は、命の危機からネユさんに救われた立場だ。しかも今は、自宅にまで住まわせてもらっている。だからこそ、手伝いくらいはしないと、居心地が悪い。

 もちろん魔導士である彼女のことを完全に信用したわけではない。だけど言動の節々に、ゲヌスに対する偏見がないことが伝わってきた。他の魔導士とは何か違うような気がした。


 そんなわけでネユさんに手伝いを申し出て、水汲みの任務を仰せつかった。

 ネユさんの家には水路が通っていない。

 料理や洗濯で水を使う際には、この川の水を使うしかないのだという。だから2日に1回、水を汲みに行く。思っていたよりも大変な作業だ。

 ちなみに電気は自分の雷魔法を使っているらしい。

 家には電気で動かせるものが多い。ゲヌスの街では見たこともないものばかりだから、おそらく高級品なのだろう。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、ようやく川のせせらぎが聞こえてきた。

 音がする方向へ歩みを進めていくと、艶々と煌めく糸のような川が現れた。

 ほっと胸を撫で下ろす。

 このままずっと辿り着かなかったらどうしようかと思った。

 川岸まで降りて、持っていた大きな桶に水を汲む。

 水はまるでガラスのように透き通り、川底がくっきりと見える。

 手に伝わる感覚はひんやりと冷たい。山奥だけあって、かなり良質な水らしい。

「さて、戻るか」

 桶いっぱいに水を入れて、慎重に持ち上げる。これを持って来た道を戻るのか。かなり時間がかかりそうだ。

 水路を引けば、この手間も省けるだろうが、彼女はこの生活をずっと続けているという。

 わざわざそんな事をするのは、徹底的に家の場所を把握されたくないからだろうか?

 そんなことを考えながら、川岸から上がると、僕はふと首を傾げた。

「…………あれ?」

 来た時に辿ってきたはずの獣道が、見当たらない。

「嘘、だろ」

 危惧していた事態が、まさかこんなにも早く起こるとは。

 ぐるりと見渡してみても、散策してみる。けれど雑草が生えているばかりで、それらしい獣道は全く見つからない。

 闇雲に歩いて、気が付けば、僕は完全に迷子になっていた。

「……やばい」

 冷や汗が背中を伝う。

 森林の中でポツンと一人。もう元いた川に戻ることすらできない。

 自分のアホさ加減を嘆きたくなる。

 家を出発するときに、ネユさんから伝えられたことが脳裏をよぎる。

 ――森で迷っても、無闇に散策してはいけない。

 森には様々な魔物が棲んでいて、彼らの縄張に入ると容赦なく襲ってくるという。

 ゴブリンならともかく、魔法を有効な対抗策であるトロールやワイバーンに遭遇してしまえば絶体絶命だ。力勝負に持ち込めないことはないが、1人では勝ち目は薄いだろう。

 ましてや、群れに遭遇すれば一巻の終わりだ。

 その想像だけで背筋に悪寒が走って、身震いする。

 

 その時、茂みの向こうから何かが蠢く音がした。

「……っ!?」

 反射的に戦闘体勢をとる。

 桶から水が少しこぼれてしまったが、そんなことを言っている場合じゃない。

 静止して、ごくりと息を呑んだ。

 そして……。

「あれ、ベルアさんじゃないですか」

 茂みの向こうから、軍服を纏った少女が顔を覗かせた。

「あぁ、スゥスか……」

 僕は構えを解いて、緊張でこわばっていた身体を脱力させる。

「何をしているんですか、こんなところで?」

 スゥスは僕を鋭い目つきで見つめたあと、手元の桶に目をやる。

「あぁ、なるほど。水汲みですか」

「そ、そうだよ」

 ぎこちなく答えると、スゥスは小さく鼻を鳴らす。

「ネユの家はそっちじゃないですよ」

「……迷ったんだよ」

 観念するように僕は肩を落とした。

 スゥスは呆れたようにため息をつきながらも、すぐに方向を変えて歩き出す。

「それなら一緒に行きましょうか。ここからだと少し遠回りになりますけど、戻れますから」

 そう言うと、スゥスは森の中を迷うことなく、歩き始めた。

 周りはほとんど同じ景色だし、目印らしい目印もない。足元を確かめてみたが、ここに来るときに頼りにしていた獣道の上を歩いているというわけでもなさそうだ。

 ほぼ毎日通っていると、慣れるものなのだろうか?

 方向音痴を自覚したことはないが、ネユさんの家の正しい所在を覚えられる気がしない。


「スゥスはネユさんの家に住んでいるわけじゃないんだね」

 僕が話を振ると、スゥスはうなずいた。

「はい。ネユの護衛以外にも都で憲兵としても仕事がありますからね。通う方が都合がいいです」

「ネユさんって、どうしてこんなところに住んでるの?」

 人の気配すらない森の奥深く。わざわざ水を汲みにいかなくてはいけないし、買い物にもいけないから自給自独の生活。

 とてもじゃないが住みやすいとは言えない環境だ。

 研究のためかもしれないが、学問の都市・ベルメニルで揃わない環境なんて、早々ないだろう。

「……さぁ。見ての通り変わり者ですからね、あの人」

 スゥスはそれ以上なにも言わなかった。単調な言い方だったが、なにか含みがあるような気がした。


「そういえば今日はどうしてネユさんのところに?」

 たしか今日は来る予定じゃなかったはずだ。

「いきなり呼び出されたんですよ。まったく面倒な」

 スゥスは舌打ちしながら、少し不機嫌そうに答える。護衛の態度とはおもえないが、僕はスゥスに同情して苦笑いを浮かべる。

「はは、大変だね」

「できれば、どちらかに専念したいのですけどね」

 スゥスがふぅ、とため息をつきながら肩をすくめる。

「好奇心旺盛というか、何にでも首を突っ込みたがるんですよね、あの人。今は例のテロ事件に興味津々ですし」

「え? テロ事件って僕が巻き込まれた?」

「はい。未だに手口が解明されておらず、対応策もない。謎が多い事件ですからね。私がセウル地区にすぐに駆けつけたのも、ネユに調査を依頼されたからです」

「へぇ、そうだったのか」

 なんか普段から、スゥスが振り回される様子が容易に想像できる。僕の特訓に関しても、まったく関係ないものだろうし。

 まぁ、結果的にそのおかげで僕が助かったわけだから、何も言えないけれど。

「今日は……特訓じゃないですよね?」

 僕は身震いしながら尋ねる。もう二度とあの特訓はごめんだ。

「ええ、おそらく。昨日の今日で、新しい特訓を思いついたとは思えませんし……。ようやく着きましたよ」

 前方を見ると、ネユさんの家が見えた。森に溶け込むログハウスで、まるで突然現れたかのような印象を受ける。外から見るとずいぶんと大きい。


 僕はホッと一息つき、玄関扉に手をかける。その時だった。

 耳をつんざくような爆発音が鳴り響く。家の壁面が吹っ飛び、粉塵が舞う。そして家全体が大きく揺れた。

「な、なにっ!?」

 立っていることが困難なほど大きな揺れだ。慌てて近くにあった柱にしがみついた。

 ものの数秒ですぐに収まったが、ただ事じゃなさそうだ。

 僕は急いで扉を開ける。すると廊下の扉が吹き飛んでいるのが目に入った。。しかも中からは黒煙が立ち込めている。

「ちょ……!?」

 僕はスゥスさんの脇をすり抜けて、慌てて駆け寄る。室内の様子を伺うが、黒煙のせいでどうなっているか確認できない。

 助けに入るべきか? 

 いや、もしかしたら誘爆の危険があるかもしれない。

 僕があたふたしていると、遅れてきたスゥスさんが呑気に言う。

「まぁ大丈夫でしょう。よくあることですし」

「よ、よくあること……?」

 爆発によってあたりの壁は吹き飛び、家の外が見えてしまっていた。まるで猛獣が通った跡のような大きな穴が空いていて、外にも黒焦げの木片が散乱している。

 この規模の爆発がよくあったら駄目だろ……。


「ケホッ……ケホッ……」

 ネユさんが咳き込みながら、よろよろと姿を現す。

「ネユさん!?」

 僕が驚いて駆け寄ると、ネユさんの白衣は真っ黒に焦げ、顔まで煤で覆われていた。

「だ、大丈夫ですか?」

「あら、ベルアさん。お帰りなさい。帰ってきていたのですね」

 ネユさんは煤まみれの姿で、何もなかったかのように、手を振ってくる。

 どう見ても、そんなことを言っている場合じゃない。こんな状況でも笑顔で会話できるほど、僕は大らかじゃない。

「またやらかしたんですか」

「あら、スゥスさんも。おはようございます」

 二人とも僕をよそに、普通に会話を始める。

 僕だけが慌てていて馬鹿みたいだ。

「今日はわざわざありがとうございます」

「早く用件を言ってください。仕事が溜まってるんですから」

「そんなに焦らないでくださいよ。今、部屋が爆発しちゃったんですから」

 相変わらずな会話をしているうちに、黒煙が収まってくる。

 するとネユさんは動じることなく部屋の中へと戻っていく。ひとまず僕たちもネユさんの後に続く。

 部屋の中に入ると、僕は思わず、感嘆の声が漏れ出る。

「……広い」

 室内はひたすら広かった。僕が住まわせてもらっている部屋の数十倍はあるだろうか。室内とは思えないくらいの広さだ。

 しかし今は部屋全体が煤まみれの真っ黒になっていて、床には資料や実験器具たちが四方八方に散らばって割れている。

 その中で唯一、僕の背丈ほどの高さがある、大きな黒い立方体だけが、無傷で佇んでいた。なんだか薄気味が悪い。

「えっと、魔法の研究ですか?」

 僕が辺りを見渡しながら、恐る恐る尋ねると、ネユさんは悠然とうなずいた。

「はい。無事成功しました」

「成功なの!?」

 思わずツッコミを入れてしまう。

 この惨状を見て、とてもじゃないが成功と思えない。

「思っていたよりも爆発の規模が大きかったですね」

 そしてゆったりとした動作で、床に散らばったガラクタを拾い始める。

 僕とスゥスも、ただ見ているわけにはいかず、一緒になって片付けを手伝うことにした。


 部屋の片付けが終わると、ようやく部屋の全貌が明らかになった。

 割れた実験器具や燃えた資料たちは山のように連なり、捨てられることになった。

 しかしネユさんはそんなものには目もくれず、机の上に置かれていたクッキーを発見し、のんびりと頬張り始めた。

「ふぅ、クッキーが無事でよかったです」

 部屋の隅に配置されていた机の上は爆発の被害から免れたようで、クッキー以外にも発光するマウスやら、ビーカーに入ったカラフルな液体が置かれていた。

 とても自室が爆発した人の振る舞いとは思えない。優先順位がおかし過ぎる。

「1ついります?」

「いりません」

 スゥスさんが冷たく拒否する。

「……クッキー、好きなんですか?」

 僕は呆れながら尋ねると、ネユさんは微笑みながら答える。

「んー、クッキーが好きというよりも、糖分を補給したいという感じですね。頭を使った後に甘いものがいいんですよ」

「はぁ、なるほど」

 思えば昨日もずっと甘いものを食べていたが、そういうわけだったのか。

 たしかにずっと部屋に篭って頭を使う作業していたら、どれだけ甘いものを食べていても足りないかもしれない。


 それはともかく。

「怪我がなさそうで良かったですよ」

 ネユさんは煤で全身が真っ黒になってはいるものの、悠然と動き回るその姿は、どう見ても爆発に巻き込まれた人間には見えない。

「それで今日はどうして私を呼び出したのですか?」

 スゥスが単刀直入に切り出す。ようやく本題だ。

「あぁ、そういえばそうでしたね」

 ネユさんは真っ黒になった白衣を脱ぎながら呑気に返事をする。

 スゥスの額に怒筋が浮かぶが、ネユさんは気にしない。

「実は近頃発生しているテロについて調べたいと思いまして。ベルアさんも居ることですし、改めて憲兵が把握している現状を詳しく教えてもらってもいいですか?」

「はぁ、いいですけど……」

 するとスゥスは資料を取り出して、淡々と話し始める。

「国内で起きたテロはこれまでに3回。1度目のテロは貿易の要であるバロセア港。ここが爆破され、国及び魔導士が経済的に大打撃を受けました。2度目は第二都市・プランゲ。国の畜産物は半分以上ここで生産されていました。こちらも同様に被害は大きかったです」

 僕らの地区以外にも、関連が疑われるテロ事件がすでにあったということか。 

「この二つはどちらも、何もないところで、突然爆発が起こっています。そして魔導士にとって被害が甚大だったことからゲヌスの反王国組織『ヴェデリア』が疑われていました」

「『ヴェデリア』……」

 僕はスゥスの言葉を反芻する。聞いたことがない名だ。

「そんな中で起こったのが、今回のセウル地区でのテロ事件、というわけですね」

 ネユさんがおもむろにつぶやいた。

 セウル地区はゲヌスの居住区。魔導士社会に被害をもたらしたこれまでの二件とは相反するようなテロだ。

「つまりセウル地区のテロとこれまでのものの主犯は別ということですか?」

「いえ、国と憲兵団は同一犯だと考えています」

「えっ!? どうしてですか?」

 僕は思わず眉を顰めて尋ねる。

「今回のセウル地区でのテロの特徴が、これまでの事件と酷似しているから、同一犯だと判断されたらしいですね」

「ええ。どんな事件があろうと、初めにゲヌスを疑うのが魔導士ですからね」

「……うわぁ」

 2人の口から次々と出てくる魔導士による偏向に、思わず辟易する。

「テロの時の爆発について、ある仮説を思いつきました。それを検証したいんですよ。もしかしたら真犯人にも繋がるかもしれません」

「まさか手口が分かったんですか?」

 スゥスが驚き半分、呆れ半分といった表情を浮かべる。

「ええ。ですがまだ何も証拠がありません。ですからセウル地区で探してきてもらいたいものがあるんですよ」

「仕方ないですね」

 スゥスは渋々承諾する。

 仕事に追われているとはいえ、国を揺るがすテロ事件のこととなれば協力せざるを得ない、ということらしい。

 セウル地区、か。今はどうなっているだろうか。

 住んでいた人たちはどうなっているだろうか。家族の安否も分からないままだ。

 そんな考えが頭を巡る中、無意識のうちに声を上げていた。

「……あの、僕もついて行っていいですか?」

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