1話-③ 魔法の修行
「……僕はこれからどうすればいいんですか?」
僕は今にも掠れてしまいそうな声で問いかけた。
悲観や絶望とも違う。胸に広がるのは、どうしようもない無力感だった。
「まずは魔法の訓練です」
そう答えたのはネユさん、ではなかった。
毅然とした口調だが、どこか鈴の音のような可憐な声が、後方から聞こえてきた。
「……誰?」
声がした方へ目を向けると、そこには可愛らしい1人の少女が立っていた。
体つきは随分と小柄で、十代前半くらいに見える。ミディアムヘアのシルバーブロンドが、動くたびに陽光を受けてきらきらと輝いていた。
しかし、髪の端々が跳ねているせいで、どこか無造作で幼さを感じさせる。
顔のパーツは丸みを帯びていて、童顔。これも幼く見える要因だろう。
しかしその見た目に反して、彼女が身にまとっていたのは軍服だった。
草木に紛れるために深緑色。ワンピース型で腰に黒いベルトが巻かれている。胸の部分には国旗や勲章が付けられており、畏まった印象だ。
「……け、憲兵?」
僕は動揺を必死に隠して、小さく呟く。
この軍服はセウル地区でも見かけたことがある。
国家憲兵と呼ばれ、国内の安全と秩序維持の役割を担っている。それだけでなく、国家武力として、紛争地の最前線で戦うこともあるという兵士でもある。
魔導士の中でも特に優れた者が、その任に就くことを許される。いわば、魔導士のエリート職だ。
そんな憲兵の軍服を、少女が着用しているのは違和感があった。
まさか本物じゃないだろう。
そう思いたかったが、コスプレにしては完成度が高い。頭のてっぺんからブーツの先まで、どこを見ても完璧だ。
しかも少女はどういうわけだか、眉にしわを寄せ、不満げに口元をつぐんでいる。
「約束の時間はとっくに過ぎていますよ!」
突如、少女が怒り心頭に、声を発する。
あまりの勢いに、先ほどまでもつれ絡み合っていた複雑な感情が、吹き飛んでしまいそうなほどだった。
しかしその視線は僕ではなく、ネユさんの方を向けられている。
「スゥス、ちょうど今から話をしようと思っていたところでしたよ」
「今からじゃ、遅いです!」
スゥスと呼ばれた少女は、ネユさんの言葉を遮るように強い口調で返す。
「すみません、説明に時間がかかっちゃって」
「どうせまた食べることに夢中だっただけでしょう?」
ネユさんが何とか言い訳を試みるが、スゥスは次々と言葉を重ねて反論していく。そのやりとりはまるで親子の口喧嘩のようだった。
体格のせいで子どもが親を叱っているように見える不思議な光景だけど。
「もういいです。約束が守られないのはいつものことですから」
少女は平謝りするネユさんに呆れ果てたのか、ため息をつくと、僕の方に目を向けた。
「もう身体は大丈夫みたいですね」
少女は物珍しそうに僕を見つめ、まるで検査でもするかのように全身をジロジロと観察している。
正直、憲兵は苦手だ。彼らは権力を振りかざし、ゲヌスには特に厳しい。
ゲヌスに対する誤認逮捕や冤罪もかなり多い。セウル地区を見回る憲兵もいたが、目を付けられないように避けていた。いくらコスプレに見えるとしても、至近距離で観察されるのは、あまり気分がいいものではない。
視線に耐えかねて、たまらずネユさんに質問を投げかける。
「えっと、この人は?」
「彼女はスゥス。ベルアさんを救出してここまで運んでくれた方です」
「えっ!?」
耳を疑い、思わず目の前の少女を二度見する。
こんな子どもが?
なんの冗談だ?
僕よりも背格好が低く、どう考えても僕を運び出せるような体型ではない。
ましてや、あの火の海ではなおさらだ。出ることはもちろん、入ってくることもままならない状況だった。
「ネユから、聞いていなかったのですか?」
「えーと……」
僕が口籠ると、スゥスはまたもやネユさんをジロリと睨みつける。
予定ではスゥスが来るまでに、あらかた事情を話し終えていたはずなのだろう。残念なことにほとんどの時間を食事に使っていたけれど。
ネユさんは気まずそうに視線を泳がせながら、力なく笑う。
さすがに責められ続けているネユさんが可哀想になってきたので、僕は強引に話を戻すことにした。
「それで、さっき言っていた魔法の訓練ってどういうことですか?」
「あぁ、それはですね……」
ネユさんが口を開きかけたその瞬間。
「私から説明します」
スゥスが開いた手をネユさんに向け、静かに制止のジェスチャーをする。
もう任せていられてないと思ったのだろう。
その隣でネユさんは首を垂れてしゅんとしていたが、スゥスは一切気に留めることなく話し始める。
「あなたは魔導士になったわけですが、自由に魔法が使えるわけではありません」
「えっ?」
「訓練して、思うままに操作できなければ、まともな生活は送れません。魔法が暴走して、魔力を使い切ってしまえば死んでしまいますから」
「そ、そうなんですか?」
いきなり出てきた死、というワードに思わず声が裏返る。
スゥスの言葉は、冷静だがどこか淡々としていて、緊張感を伴っていた。
「制御できるようになれば、これまで通り生活できます。ただし……」
スゥスの声がわずかに低くなる。
「訓練といっても、なにぶん前例のないことです。こうすればいいというものはありませんし、手探りになると思います」
最後にスゥスは一息つき、まっすぐにこちらを見据えた。
「大変だとは思いますが、できる限りのサポートはします。何かご質問は?」
幼い見た目からは想像がつかないほど分かりやすく、流れるような的確な説明だった。初めからスゥスが説明してくれたら、予定が押してしまうこともなかっただろう。
僕は自分が置かれている事態を理解したと同時に感心してしまう。
「いえ、ありません」
「それでは早速始めましょうか」
僕の返事を聞くと、スゥスは踵を返し、足早に外へと向かっていく。
怒涛の展開に一抹の不安を覚えながらも、僕は慌ててスゥスの後を追った。
ネユさんの家は、部屋の窓から覗いたとおり、見渡す限り草木生い茂る森に囲まれていた。
周りに人の気配は一切ない。
この環境であればネユさんの言っていた通り、僕の存在が露見することはなさそうだ。中心街から離れているらしいが、僕の想像していたベルメニルとはずいぶん違う。
学問の都と呼ばれるからには、街に最先端の魔法技術が溢れかえっているイメージだった。
しかし目の前に広がる森は、完全に人間社会とは切り離された場所だ。
鬱蒼としていて、ほとんど日が差し込むことがない深い原生林。猛獣が出てきそうだ。
家の前にある開けた場所でスゥスが振り返り、僕を待ち構えていた。僕の背後ではネユさんは優雅なティータイムと言わんばかりに置かれていたロッキングチェアに座っていた。
「えっと、こんなところでいいの?」
「周りに危害が加わる場所でなければ、どこでも大丈夫です。魔法が意図せず出てしまう可能性があるのが、危ないだけです」
スゥスはきっぱりとした口調で答える。
たしかに雷魔法であれば、ここで放出したとしても、それほど危害はないだろう。
そこまで考えて、僕はふと気がつく。
「そういえば僕って、雷魔導士ってことでいいの?」
問いながら、頭の中で魔法属性についての知識を引っ張り出す。
たしか魔法には四つの属性がある。
炎、雷、水、風――。
それぞれ生まれた時にすでに決定していて、一人につき一つ。生涯変わることはない。自分が使える魔法属性によって、将来や職業が大方決まるらしい。
炎魔法や雷魔法は工業、水魔法や風魔法は農業といった具合だ。
憲兵や消防隊も属性によって所属が振り分けられるらしい。
属性同士の相性はあるが、優劣はない。魔導士の社会では生まれ持った属性は何よりも大事なアイデンティティだという。
ゲヌスの僕でも知っている、魔導士の常識だ。
「えーと、ですね」
スゥスが渋い顔をしながら、言葉を濁す。
これもネユさんが説明をする予定だったのだろう。
スゥスは諦めたようにため息を吐いて、話し始める。
「ベルアさんに刻まれた紋章は、魔法の属性を選びません」
「属性を、選ばない?」
どういう意味か分からず、おうむ返しで聞き返す。
するとネユさんが背後から解説をしてくれる。
「もともと紋章の技術は、ゲヌスを魔導士にするための技術ではなく、道具に魔力を留めておくことを想定して開発しました」
「道具に、魔力を?」
「ええ。例えばランプに紋章を刻み、魔力を使って火を絶やさないようにするという具合ですね」
「なるほど」
電気を貯めておける電池というのは聞いたことがあるが、同じようなものだろうか。
それができるようになったら、ランプに限らず魔法道具の性能が一気に飛躍するだろう。
「その紋章をベルアさんにも応用して、魔力の含蓄と放出ができるようになりました。ただし開発途中だった紋章には魔法属性を区別する機能がないのです」
「と、いうことはつまり……」
僕はネユさんの言わんとしていることを察して、恐れおののく。
そんなこと有り得るのか?
するとスゥスが軽く頷き、冷静な口調で口を開く。
「ベルアさんは魔力さえ含蓄できれば、どの属性の魔法も使えます。雷に限らず、火も水も風も。今はネユ自身が付与した雷の魔力が入っている、というだけの話です」
「……マジで?」
僕は絶句した。
全ての魔法が使える。
それがどういう事態を招くか、ゲヌスの僕でもわかった。
一人につき、一属性。その摂理が完全に崩れてしまう前代未聞の技術。権力者はどんな手を使ってでも、手に入れようとするだろう。
しかも現在の所持者はゲヌスだ。捕まえて実験台にして、技術を手に入れたら用済み。僕の存在をなかったことにするなんて簡単だ。考えただけで背筋が凍る。
「ご心配なく、おそらく魔法を運用する要訣は、どの属性も同じはずですから。雷魔法さえ使いこなせば、どの属性も運用に問題ないと思いますよ」
スゥスはあくまで淡々とした口調で言うが、僕が心配しているのはそこではない。
「そんなことよりも、ベルアさん」
僕がパニックになって、その場で右往左往していると、スゥスが落ち着いた声で仕切る。
いつの間にかスゥスの両手にはナイフが握られていた。双剣だ。
「……え!?」
あまりの突然さに、思わずギョッとして身を引く。
腰に巻かれていたベルトケースから取り出したらしい。
しかもよく見るナイフの形状が特殊だ。刃渡りは短く、まるで三日月のように反っている。そのため刃身が見えづらくなっている。
グリップの部分には穴が空いていて、そこに指を通して持っていた。
軍から配給されたものではなさそうだ。こんなの見たことがない。
「な、なんでしょう?」
僕はナイフから目を離さず、後退りしながら返事をする。動揺で声が震えたのが、自分でも分かった。
「魔法はなぜ生まれたと思いますか?」
スゥスがナイフを構えたまま、静かな声で問いかけてきた。
「なぜって言われても……」
思わぬ質問にしどろもどろになる。
魔導士なりたての僕にそんなことを聞かれても、わかるはずもない。そもそも考えたことすらなかった。
魔導士はもともと魔法を使えたわけじゃないのか?
それとも生物学の話か?
いや、哲学的な問いかもしれない。
何にせよ、この場で沈黙を貫くのは危険だ。このナイフを振り回される前に、何か答えないと……。
「えーっと、生活に役立てるためですか?」
僕は頭から捻り出した答えを自信なさげに発する。
「いいえ、違います」
スゥスは僕の答えをバッサリと否定する。
「魔法は狩猟の際に発現したのが始まりとされています。魔道士の始祖がドラゴン討伐の際に負傷し、襲われた時に、突如手から炎を放出し撃退した、という逸話が残っています」
「へ、へぇ……」
僕は上擦った相槌を打つ。
なぜナイフを向けられながら、こんな話を聞かなければいけないのだろうか。
「今では物心ついた時から誰もが使える魔法ですが、当時は身の危険を感じないと、発現しなかったそうです」
スゥスは講義のように話す。魔法の教科書の一ページ目に書いてあるのだろうか。そうだとしても、魔法の訓練と何も関係がないように思える。
「まさか慣わしとしてドラゴンを討伐しにいくってわけじゃないですよね?」
僕は顔を引き攣らせながら口を挟む。
その特殊なナイフはドラゴン用だったりして。
「少し、惜しいです」
スゥスがポツリと呟いた瞬間。
次の刹那。彼女が地面を蹴った音とともに、鋭い風が吹き抜けた。
「……っ!」
僕は反射的に体を仰け反らせる。
見えたわけではない。だが、僕の本能が危険を察知した。
次の瞬間、目線の先では、鋭く光るナイフがスローモーションで横切っていた。スゥスの握っていたものだ。
仰け反った体勢のまま、地面を思い切り蹴って、後方へ飛び退く。距離をとり、体制を立て直すと、スゥスは先ほどまで僕がいた場所に立っていた。
「い、いつの間に……」
まるで瞬間移動だ。自然と声が震えた。
少しでも避けるのが遅れていたら、死んでいたかも知れない。
スゥスはナイフを手元でくるりと回転させ、構え直して言い放った。
「ベルアさんの魔法を発現させるために、身の危険を感じるギリギリまで追い込みます」
「……へ?」
数秒遅れで漏れ出た、間抜けな声。
それは、吹き抜ける風の音にかき消されていった。