1話-② 魔導士と非魔導士
「魔導士になったって、どういうことですか?」
僕は思わず机に手をつき、身を乗り出していた。
しかし正面に座るネユさんは、僕の勢いにも動じず、淡々と話を進めるだけだ。その様子がさらに僕の焦りを煽った。
「僕が魔法を使えるなんて、ありえませんよ! だって僕はゲヌスですよ!?」
自分でも気づかぬうちに声が大きくなっていた。
けれど、言い切った途端、喉が詰まる。胸の奥に、チクリと後ろめたさが刺さったからだ。
ゲヌス。
それは『魔法を使えない人間』を指す言葉だ。
魔法は努力や鍛錬でどうにかなるものではない。魔導士は生まれた時から魔法が使える。ゲヌスは魔法が使えない。ただそれだけの違い。
けれど、その『ただそれだけ』が、生まれた瞬間から越えられない壁となる。
魔法を使えないゲヌスは魔導士の劣等種として日常の中で差別される。それが生まれた時から存在する、どうしようもない格差。
それがこの世界の常識であり、絶対だ。誰も疑わない、不変の理で覆ることはない。
「ベルアさんを助けるためには、そうするしかなかったんです」
ネユさんは神妙な面持ちで、言葉を紡ぐ。それから細い指先が、緊張を物語るように膝の上でぎゅっと握り合わせる。遠慮気味でたどたどしい口調と仕草は、懺悔の心情が全面に表れていた。
「ベルアさん、魔導士とゲヌスの違いとはなんでしょう?」
突然、ネユさんが僕に訊ねてくる。
「それは魔法が使えるかどうかでしょう」
こんなことは改めて確認しなくてもわかっている。
「そう。正確には魔力があるかどうかです。魔導士の体内には魔力を作る器官があり、それによって魔法を使うことができるのです」
ネユさんは淡々とした口調で説明を続ける。その姿はまさに講義をする学者だ。
「それ以外はゲヌスと何ら違いがありません。そして魔導士とはいえ魔法を無限に使えるわけではないのです」
「……無限じゃない?」
僕は自然と聞き返していた。
ネユさんは、僕の言葉に軽く頷くと、指先で円を描くような仕草をする。
「魔力は時間と共に回復しますが、その回復速度や上限は個人差があるんです。そして、年齢と共に魔力量も減少していく……それは、どの魔導士も避けられない運命です」
「……は、はぁ」
僕はネユさんの流れるような解説に圧されながら、曖昧な相槌を打つ。
魔法の知識なんて、ゲヌスである僕にとってはほとんど無縁の話だ。
でも、だからなんだというのだろう?
「魔法を使いすぎると、魔導士は寿命を迎えます。それではゲヌスにとっての魔力とは、いったい何にあたると思いますか?」
ゲヌスにとっての魔力?
そんなこと、考えたこともない。今の話の流れだと、きっと魔力に相当する何かがあるはずだ。
「体力、ですか?」
「その通りです」
当てずっぽうに答えると、ネユさんの口元が、わずかにほころんだ。
「ゲヌスにとっての魔力とは体力、および生命力です。ゲヌスが寿命を迎えるのは、体力が尽きた時。もちろん魔導士にも体力はありますが、極端に少ないです。身体能力や持久力の面では、ゲヌスに到底敵いません」
「な、なるほど」
ようやく直接的な知識と結びついた。
たしかにゲヌスは魔法が使えない分、魔導士よりも身体能力に優れている。だから魔導士は、ゲヌスに肉体労働を押しつけているのだ。
ネユさんの静かな解説が、僕の中でゆっくりと馴染んでいく。
「火災からベルアさんを助け出した時、あなたの体力はほとんどありませんでした」
ネユさんの顔に、うっすらと苦悩の色が浮かんだ。
「治療しようにもそれに耐えることすらできないような状態でした。自然に回復する見込みもなく、もはや助かる道は残されていませんでした。おそらくどんな名医が診ても同じ結論だったでしょう」
「……」
わかってはいた。でも、改めて誰かに言葉にされると、心臓がキュッと縮み上がる。
九死に一生。ほんの少しでも状況が違っていたら、僕は間違いなく、あの炎の中で死んでいたんだ。
「そこで私はベルアさんを魔導士にすることにしました」
ネユさんは静かに、しかし強い語気で言い切る。
「体力を失っても魔力によって、わずかですが生きながらえることができる。そうすれば本来ある体力が回復するまで待つことができます。これが唯一の助ける手段でした。そして実際、あなたはこうして生きている」
彼女は最後に、少しだけ安堵の笑みを浮かべた。
「分かってていただけましたか?」
「…………」
突拍子もない言葉の連続に、脳内が完全にフリーズしていた。
まったく理解が追いつかない。
「…………は?」
ようやく絞り出した自分の声が、驚くほど間抜けで情けなかった。
そんなこと、本当に可能なのか?
まるで裏技だ。いや、もっと言えばインチキみたいだ。
だけど、なんとなく理屈は通っているような気もする。
「えーっと、つまり僕を魔導士にしたのは、延命治療ということですか?」
僕は現実をなんとか消化するべく、できうる限り身近な言葉で言い換える。
「ええ、そういうことですね」
ネユさんはあっさりと迷いなく首を縦に振って、僕の言葉を肯定した。
魔導士とゲヌス。
ネユさんの説明を要約すれば、その二つの異なる性質によって僕は生かされた、ということらしい。
信じられない。そう簡単に飲み込めるはずがなかった。
「僕が魔導士? あり得ない……」
自分で呟いた言葉に、吐き気がするほどの違和感を覚える。そんなもの、僕には無縁だったはずだ。
僕の両親や兄さんは魔導士の元で働いていた。その労働環境は劣悪だった。
僕の家族に限らず、ゲヌスたちは丈夫なのをいいことに、安い賃金で奴隷同然の扱いをされる。
日常でも同じだ。魔導士が支配するこの世界で、ゲヌスが尊厳を保つことなんて不可能だった。
だからこそ、自分がそんな魔導士になったなんて、受け入れられるはずがない。
「説明すると長くなりますが、私の専門は魔法学です。まだ世に出ていない最先端の研究を山ほど扱っています。今回もその一つです」
「なぜそんな技術が知られてないんですか?」
思わず語気が強まる。
空気がピリついたのを感じた。ネユさんの眉が、わずかに動く。
それでも言わずにはいられなかった。
「ネユさんは魔導士なんですよね?」
「ええ。そうですね」
「この瞬間にも差別され、虐げられているゲヌスがいます。そんな研究をして、いったい何を企んでるんですか?」
吐き捨てるような言葉が、部屋に響いた。
魔導士は信用できない。
僕を助けたといっても、裏があるに決まっている。
こんな技術を隠しているくらいだ。ましてや国王直属の魔導士。きっと、僕なんかでは思いもよらない思惑があるに違いない。
しかし僕の想像とは裏腹に、ネユさんは苦々しそうに眉を寄せて、吐露した。
「この技術を開発した時、たしかにゲヌスを救えるとも思いました」
彼女の声は、どこか疲れたように揺れていた。
「しかし貴方のように拒否反応が強いことが分かり断念しました。私の見立てが甘かったです」
「だけど隠さなくても……」
僕は思わず口を挟む。しかしネユさんは、まるで遠くの何かを見つめるように、静かに続けた。
「例えゲヌスが魔導士への嫌悪感を無視してこの技術を受け入れたとしても、王族連中が看過しません。一個人が公表したところで、もみ消されるでしょうね」
その口ぶりには、ためらいも迷いもなかった。
「それに無理やり事を進めては失敗します。軋轢が生じて新たな差別が起こるだけです」
「……」
僕は言葉に詰まる。反論しようとしたが、言葉が出なかった。それ以上、何も言えなかった。
ネユさんの言葉は正論だ。僕の中の怒りや不満が、少しずつ形を崩していく。
「ですから貴方には悪いことをしたと思っています」
ネユさんは、俯きながら険しい表情を浮かべる。
「今回は人命に関わるので使いましたが、どれだけ恨んでもらっても構いません」
彼女のその言葉に、僕は何も言うことができずに、喉が詰まった。
「……すみません。取り乱しました」
僕はふっと力を抜いて、すとんと椅子に収まる。
納得できたわけじゃない。だけど、この状況でネユさんを責めるのは筋違いな気がした。
「ありがとうございます」
ネユさんは一言そう言うと、気を取り直したように、表情を戻し、淡々と説明を続ける。
「先ほど魔法を使った時に、腕に現れた紋章を覚えていますか?」
「も、紋章……?」
腕が紫色に発光したときの模様のことか。僕は袖をまくり、腕をまじまじと見つめたが、もうとっくに消え失せていた。
「あれは魔力を保管する装置のようなものです。専門的になってしまうのですが、紋章を刻み込んだからと言って魔導士にはなりません。魔導士とゲヌスでは身体の構造がそもそも違いますから。あくまで紋章で擬似的に魔導士の身体を再現したといったところです。ゲヌスの身体能力は残っていますのでご安心を」
ネユさんは微笑みながらそう言うが、何をどう解釈して安心すればいいのか、まるでわからない。
というか、説明自体が意味不明だ。
「その紋章で、魔力を運用するってことですか?」
なんとか噛み砕いて質問する。
「はい、服を着たようなものだと思ってください」
ネユさんはさらりと答えた後、少し口角を上げて付け加える。
「紋章の場合は服と違って、脱いだりはできませんけれど」
つまり身体に何か変化が起きたというわけじゃないということか。
しかしそんなことはどうでもいい。
ゲヌスの身体能力があろうが無かろうが、魔導士になってしまった事実は変わらない。
ふと、手元の紅茶に目を落とすと、深い色をした液面に、ぼんやりと僕の顔が映っていた。揺れる液面が、まるで別人の顔みたいに僕を見返していた。
「……自分じゃないみたいだ」
小さく呟いた言葉は、煙のように宙に漂って消えてしまった。