脱走
時は少し遡る
「ねぇ、私のどこが好き?」
「んー、俺の事をすっごく好きなところ」
張り倒せ、にこにこ嬉しそうにしてないで。そこのフライパンで思いっきり一発ひっぱたけ。
そう念を飛ばすも、女はにこにこしながら頭を撫でられていた。
「おい!起きろ!おい!
…ありえねーだろ、こんな状況で寝るか普通。
くそ。おい!女!起きろ!」
小声での呼びかけに目を覚ました。
胸糞悪い過去の夢を見ていた。
あいつをボコボコに出来たなら良い夢にもなっただろうに。気分が悪いまま、声がしていた方を向く。
そこには、こちらを見つめる男がいた。
剣を片手に持ち、引き締まった体つきの男の後ろには牢の見張りが数名倒れていた。
寝ている間に、何があったのだろう。少なくとも、目が覚めない程度の音で彼らを倒したなら、この男は剣の腕がそこそこあるということだ。
「やっと起きたか。出ろ。」
イライラした様子で、牢の扉を開け命令される。
さっきまで、寝ていたのだ。
状況についけず、何とか声を絞り出した。
「……あなた、誰?」
暗くて顔は良く見えないが、不気味だ。
私をここから出したいらしいが、目的がまるで分からない。
「それは、後だ。急いでるんだ、早く出ろ。」
周りの静かさと護衛の数、国民の行動数、灯る灯りの数や離れた所にいるだろう罪人の寝息の大きさで今は3時頃だろうと推測する。
夜忍びこむなら、この時間が1番いい。何度も忍びこんだ過去がある、クリスには分かる。そして、この時間を狙った男は計画して忍びこんだのだろう。
「あなたは、誰ですか?」
もう一度、聞く。
ここから出る選択が、今より酷いことになる可能性も十分にある。
男は動かないクリスにイライラしながら髪を掻きむしった。
計画通りに今のところは上手くいっているが、余裕はなく焦っている様子だ。クリスが全く動こうとしないのに諦めて、無理やり連れ出そうとする手を止めて言った。
「仕方ない。名前はダンという。お前の両親には命を助けられた恩がある。亡くなられて返すことが出来ないから、お前に返してチャラにするためにここに来た。時間がない、早くついて来い」
「なるほど。」
クリスは立ち上がり、ダンに大人しく従うことにした。
前を歩く男は、迷いなく進む。進む方向には誰もいない。誰もいない部屋に入ると、ベランダに出て、こちらに来いと手招きされる。側に行くと腰に手を回され、抱き締める形で持ち上げられた。
不気味な男の行動に不快感が募るが、離してと言おうとして男が何をしようとしてるか分かり口を閉じた。
男はベランダの近くに生えてある大きな木に飛び乗った。
思いっきり溝落ちあたりに抱き締められていた腕が食い込み、
「ゔっ」と苦しい声が漏れた。
男はこちらをチラッと見たが、気にする風もなく、乱暴な扱いのまま滑るように木を降りた。
この猿め。
クリスは、積もるイライラを地面に降ろされる直前に男の足を思いっきり踏み潰すことで発散した。
「ゔっ!」
ヒールで思いっきり踏まれた男はしゃがみこんでいる。
「どうしました?」
クリスは分からないふりをする。
首を傾けて、少し心配そうな表情をしながら。
男はその様子を見て、わざとではなかったのかと受け止めた。
「……いや、問題ない。先を急ごう。夜が明ける前までに森につきたいからな。」
と足を引きずりながら歩き出した。
少ししてクリスは歩きながら後ろを振り返る。
「ダン、森への道はこっちでいいの?」
「ああ、そこをもう少しいったら馬を繋いでいる。もう少しの辛抱だ。」
踏まれた足はよほど痛むのだろう。
いつのまにか、クリスが前を先導して歩いている。
命をかけて助けにきた相手にやりすぎたかとも思ったが。
後ろで「馬まであと少し。あと少しの辛抱だ」とぼそぼそ繰り返し自分に言い聞かせながら歩く姿を見て、情けなさに罪悪感は飛んでいくのだった。