とある人事異動~賢き女性、空蝉の尚侍~
「え? 尚侍? 更衣じゃなくて?」
「そうなんだよ、光。衛門督が中納言になった事を気に御息女を入内させたいと願い出てきたんだ。それも尚侍としてね」
「珍しいですね。普通は更衣として入内させるのに……」
尚侍は表向きは女官の位だ。
勿論、帝の寵愛を受けることだってできるけど……。
僕と兄上がう~~んと首を傾げていると四の君がクスクス笑いながら答えを教えてくれた。
「三位の中納言も考えましたわね」
「四の君?」
「恐らく、通常の入内ではただの妃の一人として終わると考えたのでしょうね」
「え?」
四の君は含みのある笑みで「いずれ分かるわ」と言った。
確かに理解した。
新しい尚侍の評判は凄まじく良かった。
男女共に評判の高い女性というのは珍しい。
こうして尚侍の噂に静かにそして確実に宮中を覆って行くことになる。「流石は新帝の尚侍姫さま!」という称賛の声と共に。幾人もの公卿からの恋文や贈り物の品々、歌の数々が届いているそうだ。尚侍と会話をすることに恵まれた人々(主に貴族達)は挙って「女人にしておくには惜しい逸材」だと絶賛した。聞き上手の話し上手なだけではなく、教養高く聡明でもあるらしい。その上、他の后妃方から信頼され愛されている。その人柄に憧れる人は後を絶たず、憧れの女性として話題に上ることも多い。
そんな尚侍は決して美人というわけではない。顔立ちは整っているけれど全体的に地味な印象がぬぐえない。それを慎み深さでカバーしている。しなやかで上品な印象を与えているんだ。立ち姿ひとつ取っても驚くほど演出が上手い。だからかな?華やかさはないものの「美人」の枠に入っている。こういうのって「雰囲気美人」って言うんだと思う。
恐らく彼女は自分をよく知っているんだろう。そして観察眼が鋭い。だからどう見せるかを心得ていた。
「四の君の言いたいことが分かったよ」
「頭の良い女人よね」
そうなんだ。
教養は確かにある。だけど飛びぬけて抜きんでていると言う訳ではない。それでも彼女は賢かった。
「それにしてもこんな短期間でここまで噂になるとは……恐ろしくもあるよ」
兄上は溜息をついた。本当に凄い事だった。まるで風のように瞬く間に都中に広がったんだから。誰もが彼女の存在を知った。しかもたった数日の間に!
「大丈夫ですわ、帝。彼女はあしらい方を知ってますもの。大事にはならないでしょう」
四の君の読みは当たっていた。
彼女は波風立つような愚かな真似は一切せず、相手の矜持を慮り、己の意見を主張すること無く相手を立てながら話を進めることが出来る人だったのだ。そして、決して感情に任せることが無いように注意を払っている。
僕が思うにこの手の女人が男社会の宮中では最強の存在だと思う。自分の意見を言う必要は無い。全ては相手の意向次第だ。それが例えどんな理不尽なことでも逆らうことなどない。それどころか上手く立ち回り、逆に相手をいい気分にさせることさえ出来る。しかも計算ずくではなく自然と。これが一番恐ろしいことだと僕は思った。
こうして尚侍は数年後、二十歳上の大納言の後添えとなる。その後の人生は全くと言って良い程表舞台に立つことはなかった。しかし彼女を懐かしむ人達は多く、「あんな立派な尚侍はいなかった」「もっとお話をしたかった」という賞賛の言葉をよく聞くことになった。
彼女は正しく伝説となった。
人々は彼女をこう呼ぶ。
空蝉の尚侍と――