本郷宙彦 1
12歳から18歳って、かなり変化が起きる時期だと思う。
身体的にも、精神的にも、環境も。
身長も、顔つきも、子供から大人へと変化する。だから、顔を合わせたって、お互いにちゃんと名乗らないと、分からない可能性もある、と思っていた。
でも、人間の記憶力と、経時変化を補完する能力って、なかなかのものだ。
大学1年の、最初の英語の授業。教室に入ってきた姿を見た途端、かなり離れた席に座っていたにも関わらず、あたしはそれが本郷宙彦だと確信した。
くっきりした眉毛の、やや濃い顔立ちだち。人懐こそうな笑顔で周りの友人と喋っている。小学生時代はあまり意識はしていなかったけど、育ちの良さそうな顔ってあるものだ。
歩く姿が堂々と見えるのは、がっしりした肩幅のためだけじゃない。自分に自信のある人間の余裕のなせる技。
成績優秀。スポーツもそつなくこなし、県の水泳大会で優勝したこともある。家はお金持ち。
それらを謙遜するわけでもなく、ひけらかすわけでもなく、当然のこととしていた小学生は、6年経っても、そのままの空気を纏っていた。
隣に座っていた同じ学部の子が話しかけてきたこともあり、あたしはすぐに目を逸らした。
まず、向こうがあたしに気がつくことはないだろう。あたしは、良いも悪いも含めて、取り立てて目立つところのない、地味な子供だった。
隠れウィンガーである、という共通点で、名前くらいは覚えているかもしれないけれど。
ところが、あたしの視界の端で、本郷は進行方向を変えた。
階段教室の後ろの方へ座るあたしの方へ、大股に近づいてくる。
まさか、声かけてきたりは…
「水沢!久しぶり!」
あたしの予想をことごとく裏切り、全くためらうこともなく、本郷は話しかけてきた…
金曜日の夜の店は、夜がふけるにつれ人の出入りが多くなってくる。
本郷が来るまで、どうやって話をつなごうか…
これ以上高野くんのことを根掘り葉掘り聞いても、本郷が来たら同じ話をすることになりそうだし…。
とりあえず、気になっていた愛凪ちゃんの職場のことを聞いてみた。
でも、なんとなく仕事のことは、あまり話したくなさそうだ。どうして、あのウィンガーの人が一緒の職場なのかも聞いてみたかったけれど、そういう話術は持っていない。
安易に、力は使いたくなかった。何か事情があるなら、下手に聞き出さない方が自分のためでもある。
そんなこと考えていると、
「あの、桜木さんの彼女って、すごい美人なんですよね」
愛凪ちゃんが聞いてきた。ちょうどいい話題ができた。
そうか、未生ちゃん、桜木さんの職場でも評判なんだな。せっかくなので、先月、未生ちゃんの誕生日に撮った写真を見せる。
画面を見て、愛凪ちゃんは目を丸くした。
予想以上の美人で驚いたらしい。
フフ…そうでしょ、美人でしょ。
……あたしが自慢しても仕方ないけど。
そうだ、未生ちゃんが気にしていることも聞いておこう。若くて、カワイイ子だと、桜木さん、目移りしてるんじゃないかと、心配しているから。
「桜木さんって、仕事の時どんな感じ?優しい?」
「あ、そう…ですね…」
愛凪ちゃんはちょっと、言葉に詰まる。あれ、あんまり桜木さんの印象、よくないのかな…
「すごく、はっきり自分の考え言う人です。まだ、あんまりよく話したことはないんですけど」
未生ちゃんや、あたしの前では人当たりのいい、さわやか系(あたし的にはちょっと女性には馴れ馴れしい感じ)なんだけどな。ちょっと印象、違うな…
「桜木さんの彼女さんって、モデルとかしてないんですか?」
「うん、何回もスカウトされたことはあるんだけど、お父さんがものすごい反対してるんだって。未生ちゃんも、そう言う仕事に大して興味あるわけじゃ…」
そんな取り留めのないことを話していると、いつの間にか、そばにスーツ姿の男性が立っていた。
「あ、本郷」
まさか、スーツで来るとは思わなかったので、一瞬、誰かと思った。
入り口があたしの背中側だったので、時々振り返って入ってくる人を見ていたのだけど、本郷がいつ来たのか、あたしは気づいていなかったのだ。
「よう。お疲れ」
愛想のいい笑顔を向けた後、愛凪ちゃんに軽く頭を下げてみせる。
あたしの隣に腰を下ろした本郷を、愛凪ちゃんは、用心深く観察しているようだった。
本郷の方も、割と無遠慮に愛凪ちゃんの顔や持ち物まで一通り見回した後、ニヤリと笑った。
「本郷です。カイの妹、なんだって?」
言葉の端に、懐かしそうな響きが聞こえる。
「カイ」という呼び名に、愛凪ちゃんが少し頬を緩めるのが分かった。
「なんか、あったの?」
スーツ姿の理由を聞いてみると、
「ああ〜」
本郷はネクタイを緩め、背もたれにドサっと寄りかかった。
「整形外科の学会、今、絵州市でやってるんだよ。それの手伝い。半日、こき使われてさ〜」
そういえば、地下鉄の『国際会議センター駅』に、そんな看板が出ていたっけ。
しょっちゅう、何かのイベントや、学会をやっている会場だから、あまり気にもしていなかった。
薬学部でもゼミによっては、学生のうちから学会発表をさせられるらしい。そんなゼミは、絶対選ばないようにしよう、と思っている。
ビールのグラスが運ばれてきた。
「あれ、水沢、飲んでないの?」
本郷が受け取りながら、あたしの手元の烏龍茶に視線をむける。
「あたし、まだ未成年だよ。早生まれだから」
言いたいことは分かるけど、愛凪ちゃんの手前、真面目な学生を装っているんだから…
「ふうん、そうなの?」
目がからかうように笑っていた。
ウィンガーは、どうやら色んな意味で抵抗力が強いらしい。つまり、風邪をひいたり、インフルエンザに罹ったりしにくい。
キズの治りは早く、化膿したり、炎症を起こしたりもしにくい。
一方で、薬は効きにくい。アルコールも、効きにくい。
個人差はあるだろうけど、ビールの大ジョッキ2、3杯ではみんな全くシラフのままだ、と教えてくれたのは本郷だった。
たまに、未生ちゃんに付き合って自宅でビールや酎ハイを飲むことは正直ある。
"酔っ払う"というのが、どんな感じなのか今のところ分からない。
結構、強い方なんだろうな、と思っていたけれど、そういうことらしい。
グッとグラスをあける本郷を見ながら、ここから先はお任せしようか、と考えた。
愛凪ちゃんの話は、あたしがさっき聞いたこととほぼ同じ。
本郷がどう反応するのかも見たくて、あたしは、なるべく口を挟まずにいた。
メモを見せられた本郷の眉間に、わずかに苛立ったようにシワが寄ったのは、思い過ごしだろうか。
新たに分かったのは、高野くんがいなくなる前の日に、誰かに電話していたということ。誰に連絡していたのかは、教えてくれなかったという。
何か、関係はありそうだったけど、結局あたしたちでは愛凪ちゃんに情報をもたらすことはできなかった。
「ごめんね、力になれなくて」
もちろん、あたしたちが悪いわけではないけど、肩を落とす愛凪ちゃんが気の毒だった。
それでも、愛凪ちゃんは前よりもスッキリした顔になっている。
話しながら、やはり自分で手におえる問題ではないと、実感したようだ。
両親を説得して、なるべく早く警察に届けようと、気持ちを固めてくれたようだった。
愛凪ちゃんを地下鉄まで見送ると、あたしは本郷の方を窺った。
愛凪ちゃんとは反対方向だけど、あたしも帰りは地下鉄だ。ホームまで一緒に行ってもよかったのだけど、本郷には確認しておきたいことがある。
でも、あたしが口を開く前に、
「水沢、メシは?」
本郷がそう聞いてきた。
「え…ああ、バイト前にパン食べたくらい」
遅番の時や、残業した時は、賄いを出してもらえるけど、今日は早番、定時上がりだ。
実は明日の朝イチで実家に帰るつもりだったから、早めに帰って荷物の準備もしたいところだけど…そうも言ってられない。
「ラーメンでも食いに行かね?」
本郷の提案に、あたしはちょっとびっくりした。
「本郷って、ラーメン食べるんだ」
思わず口にしてしまったあたしに、
「は?!」
本郷が口をあんぐり開ける。
「いや、ほら、本郷って、ラーメンとかコンビニ弁当とか食べなさそうなイメージだったから…」
正直に思ったことを言った。
「どういうイメージだよ。ま、確かにコンビニの弁当はそんな好きじゃないけど、普通に食うぞ」
呆れたように言うと、本郷はさっさと歩き出す。
ランチョンマットに置かれたお皿に、ナイフとフォークで向かっているイメージだよ…とは、口にできなかった。
「ちょっと歩くけど、うまいとこ、あるんだ。付き合え。話しておきたいこともあるしな」
へえ…お気に入りのラーメン屋まであるのか。
さっそうと歩く本郷に、少し歩調を早めて着いていく。人通りが少なめの路地に入ると、本郷が口を開いた。
「シーカーって、知ってる?」
抑えた声量だけど、あたしには届くレベルを心得ている。
人通り少なめと言ったって、金曜日の繁華街だ。真っ直ぐには歩けないくらいに追い抜き、追い越され、すれ違い…
ウィンガー関連の話を堂々とするのは危険だ。
ただ、この時間になると、それなりに出来上がって上機嫌だったり、不機嫌な大声をあげたりする人ばかりで、通り過ぎる他人の会話に耳を向けるものはいない。
あたしは本郷の顔を見上げて、頷いた。
シーカー。
翼を出していない状態でもウィンガーかどうか見分けをつけられる能力者。何年か前から報告されているけれど、あたしにしてみれば、「ふうん」って感じだった。
だって、あたしたちの…小学校からのお仲間には、その能力を持った子たちが何人もいたから。
クラスメートの中には、自分の身長を超えるくらいの大きな翼を持ったウィンガーがいて、彼らは明らかに特殊だった。…その中に、あたしも含まれるわけだけれど。
翼が発現したその日から、出したり消したりのコントロールが自在で、運動能力の上がり方も桁違い。そして、翼を消しても相手がウィンガーかどうか判別できた。
何かが見えるわけじゃない。感じる、と言った方が正しいのかもしれないけど、目を閉じると分からないし、見えないところに立たれると、やっぱり分からない。だから、視覚からなんらかの情報が入っているのだとは思う。
更に不思議なことには、大きい翼の者同士は、お互いがウィンガーかどうか分かったり、分からなかったりした。
そのうち誰かが(本郷だったか、西崎だったか…)"翼を察知されないコツ"があると言い出して…
あたしはそれを聞く前に、隠せるようになっていたけれど、そのコツを聞いて、出来るようになった子たちも多かった。
小学生当時の情景が、思いのほかはっきりと脳裏に浮かぶ。懐かしいような、寂しいような、変な気分だ。
そんな思いに一瞬浸りそうなあたしに、
「カイの妹な、」
本郷は前を見たまま、更に声を落とした。
「あの子、シーカーだ」