アイちゃん
未生ちゃんの泥酔事件から一週間後、あたしはまた桜木さんに会った。
下見の結果、『鮮昧』に歓迎会の予約を入れてくれたのだ。
あまり大きい会社ではないらしく、部署内の歓迎会なので、予約人数は6人、と頼まれた。小上がりのテーブル席でちょうどいい。
「いやあ、水沢ちゃん!営業までしてくれるなんてありがたいよ!」
いつも通り、ハイテンションの店長が満面の笑みで、テーブルセッティングを手伝ってくれる。
店長はこんな感じだけど、『鮮昧』自体はこじんまりとした、落ち着いたお店だ。
少人数のお客様が多く、その年齢層も比較的高い。
だから、桜木さんの職場の歓迎会の主役が、10代の女の子だと聞いて、うちのお店でよかったのかと、少し心配になってしまった。
10代の女の子、と聞いて未生ちゃんは別のことが心配になったらしい。
「なんか、生意気で愛想のない、今時の子なんだって。そういう割には、よくアイちゃんの話するんだよね、隼くん」
未生ちゃん的には、桜木さんは文句を言いつつも、その新人の子が気になっているように見えるらしい。
「どんな子か、教えてね」
まあ、可愛らしい女心だ。あたしだって、どんな子か報告するくらいは造作ない。
未生ちゃんよりカワイイ子なんて、そうそういないと思うけどね。
ほとんど予約時間ぴったりに、桜木さん達はやってきた。
あたしはちょうど配膳している最中で、目の端で新人の女の子を探した。
桜木さんに続いてちょっと不機嫌そうな顔の中年男性、そしてー
(え…なんで、ウィンガー?)
中年男性の後から入ってきた小柄な男性に、あたしは釘付けになる。
キレイな顔をしたー桜木さんと同じくらいの歳の人。
思い切り動揺が顔に出てたと思う。その後から入ってきた人たちのことなど、見る余裕はなかった。
絵州市にきてから、町中でウィンガーを目にすることは一度や二度じゃなく、素知らぬ顔で通り過ぎることには慣れているけれど、まさか、桜木さんの職場の人にウィンガーがいるとは…
が、そこで、あたしはあれ?、と思った。どこかで見たことがある顔…な気が…
ウィンガーで、あのくらい目立つイケメン…
不意を打たれた動揺と、考え事で、あたしはかなり挙動不審になっていたと思うが、幸い周りのお客さんもスタッフにも気付かれなかった。
桜木さん達は小上がりの方へ案内されて行く。
男性4人、女性が2人。
警備会社の営業って、あんな感じの人達なんだ…
にこやかに席へ着くウィンガーの男性は、明らかにその場のリーダーの風格があった。
あ…あたしは思い出した。
「対策室!」
空いたお皿を厨房へ運びながら、思わず小さく呟く。
未登録翼保有者対策室に、確か去年の秋頃赴任した人。
翼保有者保護の際のチームを指揮するために採用されたとか。ウィンガー保護の陣頭指揮をウィンガーが、というのでインタビューされていた。かなりのイケメンだったので、覚えている。
ウィンガーを捕まえる側にもウィンガーがいた方が、なにかと都合がいいらしい。
ウィンガーの身体能力には、同じウィンガーの方が対応しやすいとか、同じ目線で説得ができるとか、理由は挙げられているけれど、要するに少々荒っぽい捕まえ方をしても、
「こちらにも、ウィンガーがいるんですから、加減は分かってますよ」
という言い訳がしやすい、ということなんじゃないかと、あたしは思っている。
ウィンガーって、一括りにされたってその能力は千差万別で、ウィンガーだからという理由だけで対抗できるはずなんかないんだけど。
桜木さんの職場に、対策室勤務のはずのウィンガーがいる。とは、どういうことだろう?警備会社にも席を置いている、とか?
そういえば、赴任した時に少しニュースになったくらいで、あとはこのウィンガーの人、マスコミに出てこない。
一応、ウィンガー関連のニュースは気にかけているのだけど、今は出てくるのは対策室長だけだな…
いろいろ考えつつも、心を落ち着けて、あたしはおしぼりとお通しを桜木さん達のテーブルへ運んで行った。
「ああ、凪ちゃん、この間はお世話様」
桜木さんが愛想よく声をかけてくる。
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました」
軽く会釈し、おしぼりを渡しながら、
(やっぱり名前で呼ばれるのは好きじゃない…)
と、思う。
初対面からいきなり名前で呼んでくる男性に対しては、特に引き気味になってしまう。
桜木さんに対して、あまりいい印象を持てないのも、そのせいかもしれない。
友達からも苗字で呼ばれることが圧倒的に多いためか、身内以外から名前で呼ばれると、なんだか気恥ずかしい気分になるのだ。
もちろん、そんなことは顔には出さないようにしながら、
「ほんとに、この間は助かりました」
あたしはもう一度頭を下げた。
「いやいや、今度は俺も飲ませすぎないように気をつけるから」
桜木さんは愛想よく笑う。酔っ払った未生ちゃんを連れ帰ることになったこと、怒ってはいないようだ。
桜木さんの向かい側に座った女の子は、興味なさげな表情で、あたし達の会話をきいている。
この子が、今日の歓迎会の主役らしい。
緊張しているのか、居心地が悪いのかちょっと硬い表情。
18、9歳だろうが、もっと幼くも見える。
あたしが言えたことではないけれど、化粧もあまり馴染んでいないというか…
彼女の斜め向かいに座った細身の女性が、いかにも『大人の、仕事ができる女性』っぽいせいで、余計にそう見えるのかもしれない。
かわいい顔立ちだけれど、まあ、普通にいる10代の女の子といったところ。未生ちゃんのような、周囲の視線を集める美人ではない。
見ている限り、桜木さんも自分から彼女に話しかけたりもしていない。あまり人間関係うまくいってないんじゃ…と、心配してしまうほど。
まあ、未生ちゃんは、聞いたら安心してくれるだろう。
桜木さんの隣の体格のいい男性が、なぜかあたしと目が合った瞬間、視線を逸らしてため息をついた。
「注文、いいですか〜」
「すいません、生2つ〜」
「水沢ちゃん、会計お願い!」
週末とあって、お店は結構忙しい。
顔馴染みのお客さんのテーブルで会計を済ませ、片付けをしているとなんだか視線を感じた。
桜木さん達のテーブルに目をやると、あの新人さんと目が合い…いや、さっと彼女は顔を伏せた。
ウィンガーであることをバレない自信はあったけれど、桜木さん達のテーブルはなるべく避けていた。
それでも時々、近くに行くと桜木さんやその隣に座った体格のいい男性が、チラチラあたしの方を見ているようで、ちょっと気になる。
主役の子は相変わらず、あまり冴えない表情で、口数も少ないようだけど、他の人達は和気藹々とおしゃべりしている。
ウィンガーの人が仕切って、体格のいい人はいじられキャラっぽい。細身の女性は新人さんを溶け込ませようとしているのか、積極的に声をかけているようだ。
「アイちゃん」
と、呼びかけているのが何度か聞こえた。
ウィンガーの人は、「須藤さん」らしい。
一応、情報として、その名前は覚えておこう。
気がつけば9時近くなっており、桜木さん達は帰る時間になっていた。
「今日も、閉店までなの?」
手が空いていたので、仕方なく見送りに立っていると、桜木さんが声をかけてくる。
「いえ、今日は早番なんで、10時までです」
「ああ、そうなんだ。気をつけて帰りなよ」
当たり障りなく、気遣いを見せてくれる。そう、こんなところは、好青年なんだけど。
なんとなく、本心が見えないのが、あたしが桜木さんをあまり好きになれない理由。
その隣では須藤さんが、爽やかに微笑みながらあたしを見ていた。
対策室に関わるウィンガーでなければ、間近で鑑賞できるのを大歓迎したいようなイケメンなのに…!
出来るだけ、印象に残らないように、自然な態度を心がけねば…
そんなことを考えながら、あたしは桜木さん一行を見送った。
仕事が終わり、スマホを見ると、弟の洸からメッセージが入っていた。
『新曲アップ』
その一言だけ。
中学生の時に始めたギターを趣味にしている洸は、数年前にできた楽曲投稿の専門サイトに、高校生になってから、頻繁に投稿している。
最近は自分で作詞までして、弾き語りなんかまでやってる。これが、なかなか上手い。とは言っても、身内のひいき目だとは思うけど。
ただ、ご本人はかなり本気で「音楽で食べていく」的なことを言い始め、当然ながら両親と揉めている。
曲は帰ってからゆっくり聞くとして、返信だけしておこうかとスマホを見ながら通用口を出た。
結構、風が強い。そして、寒い。
画面を見ながら、首をすくめた。
途端に、
「あのっ」
少しうわずり気味の声が聞こえ、思わず飛び上がってしまう。
「へっ?!」
顔を上げたあたしの視界に飛び込んできたのは、
「あっ、あのっ、すいません、驚かせてしまって」
引き攣った表情の、同じ歳くらいの女性。
確かに、驚いたわ。
「ちょっと、水沢さんに聞きたいことがあって…」
若干、アワアワしながらも、食いつくようにしゃべってくる。あ、この子…
「桜木さんの会社の人…」
アイちゃん、だ。あたしが言うと、少しバツが悪そうに頷いた。
「あ、はい、さっきご馳走になって…あの、お世話になりました!」
とってつけたように言って、ペコンと頭を下げる。緊張してるのか、動揺しているのか、どうも少々、とっ散らかっているな…
とにかく、あたしに何か聞きたいらしいので、次の言葉を待った。
「ホントに、突然ですみません。あの、タカノカイトって、知ってますか?八川小で一緒だった…」
予想もしない方向の質問に、あたしは言葉を失った。
え…タカノカイト…って…
朧げな記憶の輪郭が徐々にハッキリと、形を成す。うん。知ってる。
高野海人は、小学生時代の同級生だ。そして、ウィンガーとして、アイロウに登録されているはずだ。
両手を胸の前でギュッと組み合わせている、目の前のこの子は、どういう関係だろう?
張り詰めた顔をしている。鮮昧にいた時よりも、もっと。
「タカノーカイト…って、海に人って書く…?」
意識して、ゆっくりと聞いた。
「そうです!そうです!」
コクコクコクと、音を立てそうな勢いで、アイちゃんはうなずいた。
あたしに、何を期待しているんだろう?
知ってはいる。でも…小学校の同級生でした。それだけだ。
顔は覚えている。でも、当時の、だ。
特に取り立てて話すようなエピソードもない…多分。
「あの、えーと…確かに、小学校は一緒だったと思うけど…あたし、中学校入るときに引っ越してるから…卒業してから会ってもいないんですけど…?」
どんな答えを求められているのか分からず、モソモソと答えると、
「え…そう…なんですか」
アイちゃんは、明らかに失望の色を浮かべた。
「あの、連絡きたりとか、そういうことも…?」
すがるような目つきでたたみかけてくるが、なんで、あたしが彼について知っていると思っているのか…?
あたしは、首を横に振るしかない。
「そう…ですか…」
肩の落とし方は、こちらが罪悪感を感じるほどだった。
ごめんなさい、と一言いって、立ち去ってもよかったのかもしれない。
ただ、あたしが高野くんと同級生だと、どこから聞きつけたのか気になった。
そういえば、店にいた時チラチラとあたしを伺う様子があったけど、こういうことだったのか…
「高野くん、どうかしたんですか?」
顔色を伺いながら、聞いてみる。
同じウィンガーとして、高野くんが何かトラブルに見舞われているのかも、正直、気になる。
少し身構えるように息を吸ってから、
「あの…ちょっと連絡取れなくて。心当たりのある人を探してて」
アイちゃんはそう言って、視線を逸らした。
あたしは首を傾げる。
なんなんだろうな…急に呼び止めて、自分は名乗りもせず、(さっきまでお店にいたお客さんなんだから、名乗るまでもないと思っているのかもしれないけど)質問には歯切れの悪い答えを返す。
別に、怒ってはいないけど、ちょっと気持ち悪いなぁと、思う。
でも、なんだか必死な空気感は伝わってきた。
それに、桜木さん達が帰ったの何時だっけ…?確か、9時くらい…
1時間以上もこの寒い中、待ってたんだろうか?
街灯の灯りでも、顔色が悪いのは分かる。
それは、寒さのせいだけではないのだろうけど…
「大丈夫?ずっと、そのために待ってたの?」
予想外の言葉だったのか、アイちゃんは、目をパチパチとしばたいた。
「あ、でもずっとじゃないです。30分くらい…」
「30分…寒かったでしょ」
心なしか、目が潤んでいるみたい。
…このタイミングなら、ちょっと刺激すれば自分のこと話してくれるかな。
「あなたは…高野くんとどういう関係?」
真っ直ぐ、目を見て聞いてみた。
「妹です」
すぐに、答えが返ってくる。途端に、アイちゃんの顔はこわばって、あからさまな狼狽の色を浮かべた。口元がわななく。
あ…妹って、言いたくなかったの?なんで?高野くんってどんなお兄ちゃんなの…?
あまりにうろたえた様子に、あたしは罪悪感を感じた。
「大丈夫?なんか…余計なこと聞いた…?」
ごめんなさい。心の中で呟く。やっぱり、軽い気持ちで使う力じゃないよね…素直に話して貰えば、話が早いと…安易に考えたんだけど。
「いえ、ちょっと…いろいろあって…」
アイちゃんは口籠もった。
かえって、逆効果だったかな…
でも、身内が連絡が取りたくても取れないって、結構シリアスな事態を、ハッキリ口にできないのは…もしかして、
「高野くんが、ウィンガーだから?」
ウィンガー、と言う単語を、はっきりと出した方が話が見えてくるだろうかと、あたしはそう聞いてみた。
アイちゃんが、ギクリとしたように目を開いて見返してくる。
「ええ、まあ…そうです」
一瞬、間を置いた答えは、それでも歯切れが悪い。
…どうしようか…このままじゃあね、というのも、あたしの納得がいかない。元同級生の名前が出てきたこともあるし…
あたしは自分のスマホの画面を確認して、返信を送ろうとしていた画面を一度閉じた。
「よかったら…どこかで少し話しませんか?あの、時間、あればだけど」
あたしの申し出に、アイちゃんは一瞬戸惑った表情を浮かべたものの、すぐに
「時間は、大丈夫です」
大きく頷いた。