逃走
やっと立っていられるくらいの本郷は、迎えに現れた面々に苦笑していた。
まだここにいることを突っ込まれたかべっちは、
「いろいろ巻き込まれたついでだ。とにかく急げ。早くここから離れるぞ!」
諦めたというか、呆れ顔で、引きずるようにして本郷を車の方へつれてくる。
いろいろ、聞きたいことはあるけど、まずはここから離れなきゃ。
「本郷、カギよこせ。そんなんじゃ、運転無理だろ」
「いや、オレの車、マニュアルだし」
自分の車は他人に運転させたくない、というのがアリアリの本郷だったけれど、
「お前、オレの仕事分かってっか?そのくらい、動かせるわ!」
かべっちにそこまで言われて、渋々、キーを渡した。
確かにそんなフラフラで、車運転される方が迷惑だ。
そのまま、本郷はミミちゃんとかべっちに、少々手荒にワゴン車の荷物スペースに積み込まれる。
あたしも急いで乗り込んだ。
途端に、
「ヨレヨレじゃん!」
運転席から、容赦ない声が飛んできた。
こちらを振り返っているのは、ショートカットの女性。
アシンメトリーな前髪に、ミミちゃんとはまた違う系統の個性的なメイク。
でも、彼女のことは誰だかすぐにわかった。
一ノ瀬桜呼。
「なんで、お前が来てんだよ」
本郷は、ぶっきらぼうにそう言ってすぐ、
「助かったよ、サンキュー」
慌てたように付け加えた。
怒らせない方がいい相手と心得ているらしい。
「そうね。お礼、楽しみにしてる」
ちょっと高飛車な口調が懐かしい。
桜呼ちゃんは、あたしにはニッコリと愛想良い微笑みを送ってくれた。
なんでだろう…桜呼ちゃんは男女構わず、結構当たりが強いんだけど、あたしにはいつも優しかった。
気弱なあたしには、ありがたいことなんだけど。
深く息を吐き、側面に寄りかかる。
背中の当たり心地が悪い。
まだ、気持ちが昂っている。下手に声をかけられると、暴言を吐き出しそうだ。
なのに、本郷は
「お前、オレ運ぶのギリギリだったんだろ」
痛いところを突いてきた。
いいじゃん、助かったんだし。
「うるせ。あんたを下におろすまでは間に合ったさ。コミさんが来たから、楽させてもらったんだ」
自分でも、強がりなことは分かってる。
後ろの座席から、コミさんとミミちゃんが、わざわざ振り向いて笑う。
本郷、なんで、あんたまで楽しそうなんだ…
コミさんとミミちゃんは、楽しそうに顔を見合わせている。無言でも、なんか通じているらしい。
お願いだから、今はしばらくほっといてくれ。
逸らした頭を軽く窓へ打ち付ける。
早く、落ち着けよ、あたし。そう、脳を刺激しながら言い聞かせた。
「精神状態落ち着くまで声かけるな。…ったく、ウィンガーだらけだな…」
思わず漏れた呟きに、
「だよな〜」
と、返してきた本郷は、見た目からして、ぐったりしている。今にも寝そうな顔つきになっていた。
車道に出たワゴン車の後ろから、ボウン!と、低いエンジン音が響いてきた。
ハッと体を起こした本郷が、リアウィンドウから後ろの車を凝視する。
どんだけ、自分の車が心配なんだか…
「えっ…おい!何やってんだ?!あいつ…!」
声を裏返しながら、本郷が窓に張り付く。
何を騒いでるんだかと、あたしも体を起こして、後ろの車に目をやった。
あたしたちの視力でも、さすがにこの暗さでハッキリは見えないけど、ワゴン車のブレーキランプに時折浮かび上がるかべっちの姿は、ぼんやりした白い背景を背負っている。
あ、ああ!
「翼を出して運転すると…」
かべっちの言葉が思い出された。
うわ、ホントにやってんだ。
案の定、かべっちは少し前屈みの姿勢でハンドルを握っている。
あたしたちの視線に気付いたのか、ちょっとニヤっと笑ったように見えた。
途端に、ブオオオォォン!!
低い唸りをあげた本郷の車は、スピードを上げ、あっというまにワゴン車に並び、さっそうと抜き去っていく。
エンジン音は次第に高いトーンへと変わり、テールランプが滑らかな残像を描いた。
フゥゥゥ…ン!!
「もっと丁寧に乗れぇぇ!!」
あっという間に小さくなっていく愛車の後姿に、本郷は身を乗り出して叫ぶ。さっきまでのだるそうな顔はどこに行った…
「本郷!うっさい!!」
運転席から桜呼ちゃんの声が飛んでくる。
「黙って寝てりゃいいじゃん!」
「助けられといて、ごちゃごちゃ言わない!」
コミさんとミミちゃんが追い討ちをかける。
「お前らなぁ、」
言い返そうとした本郷は、振り返った3人の冷めた眼差しに、口を開いたまま声を飲み込んだ。
そのまま、無念そうな眼差しで、あたしを振り返る。
いや、あたしも別に同情とかしないよ?かべっちの運転、信用したらいいじゃん。
というか、かべっち、あの車、運転したかったんだな…きっと。
それにしても…車内はホント、騒々しい。
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ふと、小学校の裏の神社の光景が蘇る。
正確には、神社の跡。
火災で半焼し、お社自体は残っていたものの、何年も放置されていた。
子供には、格好の遊び場だったけど、学校では危険だからと、社に近付くのは禁止されていた。
だからこそ、社の裏の空き地は、ウィンガーになった同級生たちのトレーニング場所として最適で…
常に中心になって、意見を言うコミさん。それを支持するミミちゃん。桜呼ちゃんが(ちょっと言いががりめいた)批判を口にする。男子がそこにチャチャを入れる。女子が一斉に機嫌を損ねて、収集のつかない言い合いになる。
毎回、似たようなパターン。
学習しない、というより今になった思えば、あのやりとりを楽しんでいたのかもしれない。
あくまで、あたし個人の感想のだけど。
あたしは、いつも誰の肩も持たず、黙って成り行きを見守っていた。
口を出すタイミングも分からなかったし、第一、みんなみたいに自分の意見なんか持ってなかったから、口を出せるはずもない。
最後にまとめるのは、本郷か…西崎。
西崎音十弥。背が高くて、スポーツ万能。勉強もできる。クラスの中でも別格な存在感があった。
知識と理論を基に吐く正論には、誰も何も言えない。
あたしが、もっとも苦手な相手。同級生の中で、もっとも印象に残っているヤツだ。
西崎にとっては、あたしなどその他大勢の1人だろうけど。
でも、卒業と同時に引っ越すことになったあたしが、
「ウィンガーとは今後関わらない」
ことを選択した時、真っ先に支持してくれたのは、西崎だった。
西崎自身も、小学校卒業後はアメリカに引っ越したはずだ。ただ、あたしと違って、西崎の場合はずっと同級生と連絡を取っている。本郷が教えてくれた。
今でも、みんなのリーダーというわけ。
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「ちょっと、そんだけ元気なら、何があったか説明してよ!」
「なんで、空飛んでたのよ?」
前の座席から飛んでくる質問は、本郷とあたし半々に向けられている。
「ねぇ、追っかけてこられたら、逃げた方がいいんでしょ?」
「この車でカーチェイスとかできんの?」
「なんで、私の車でそんなことしなきゃないの!それなら、全員降ろすわよ!」
そのくせ、あたしたちの言葉は待たれず、どんどん会話は流れていく。
…西崎なら、この現場、どうまとめただろう…?
思わず、苦笑いが浮かんだ。




