未生ちゃんの彼氏
未生ちゃんの彼氏の桜木さんには2回ほど会ったことがある。
会った、といっても挨拶程度だけれど。
最初に会ったのはマンションの前で。
デートの帰り、未生ちゃんを送ってきてくれたとこに、ちょうど出くわした。
前の彼氏よりカッコいい、とは聞いていたけど、確かにその通りだと思った。
筋肉質の、ガッシリとした体付き。でもゴツイという感じじゃない。
爽やかとか、優しそうとかいうよりは、精悍で、ちょっとだけ気難しそうな顔立ち。一言で表現するなら、男っぽい感じ、と言えばいいのだろうか。
前の彼氏さんは、未生ちゃんより10歳上で、『カッコいい』というよりは、『いい人そう』な人だった。
「見た目には全然、こだわらない」
と、言っている未生ちゃんだから、全く違うタイプの桜木さんに、むしろあたしは
(なるほどね)
と、納得したのだった。
ただ、あたし的には、前の彼氏さんの雰囲気の方が好きだ。
桜木さんは確かにカッコいい、とは思うけど、なんとなく気取った感じが気になるのと、(気のせいかもしれないけど)上から目線の話し方が好きになれない。
未生ちゃんは、そんなこと何も言わないから、あたしの思い込みかもしれないけど…
未生ちゃんのご両親との約束で、部屋に男性は入れないことになっている。
多分、未生ちゃんに頼まれればあたしは目を瞑ったと思うのだけど、前の彼氏の時も、桜木さんと付き合ってからも、未生ちゃんが彼氏を部屋まで連れてくることはなかった。
ただ、未生ちゃんの"外泊"は時々ある。
ご両親もさすがにそこまでは、あたしに監視しろとか報告しろとは言わなかったけれど、娘の行動を出来るだけ教えてほしい様子は伺えた。
時々、あたしに未生ちゃんのお母さんがメールをよこしたりするのも、そういうことなんだろう。
未生ちゃんくらい可愛い娘なら、悪いムシが付かないように、心配する気持ちも分かる。でも、未生ちゃん、かなりしっかりしてるんだけどね。
人見知りで、友達も少なく、彼氏なんて出来た試しもないあたしより、よっぽど人を見る目もある。
目立つ外見と、派手目の友人に囲まれていることが多いせいで、「遊びまわっている」女の子だと思われがちだけど、彼氏には一途だし、夜遊びだってほとんどしない。
そんな未生ちゃんの、ここのところのお悩みは、桜木さんが部屋に入れてくれないことだった。
一人暮らしだし、そう遠くもないのに自分の部屋には連れて行こうとしないらしい。
恋愛経験のないあたしだって、
(なんか、怪しい)
と、思ってしまう。
今日の夜、久しぶりのデートで、あたしのバイトしている居酒屋『鮮昧』に来ることが決まった時、未生ちゃんがちょっと躊躇いながら、
「今日、ね、ナッピ遅番なんでしょ。帰り…12時くらい?」
なんか物思わしげな言い方に、あたしは頷いて続きを待った。
「じやあ、さ…」
未生ちゃんが語り出した作戦に、あたしは思わずニヤけてしまった。
酔っ払って、1人で帰れない(フリをした)未生ちゃんを、桜木さんに連れて帰ってもらおうというのだ。
あたしは、帰りが遅いし部屋に男の人は入れられないから、と桜木さんに頼み込む係。
そのくらいの協力は全然構わない。ただ、部屋を訪れて、他に女性がいる証拠でも見つけてしまった時が心配ではあるけれど…
『鮮昧』は4階建ての古い雑居ビルの1階にある、30席ほどのこじんまりとしたお店だ。
店長も他のバイトスタッフも、気さくでいい人たちばかりで、人見知りのあたしでもあまり苦労せずに溶け込むことができた。
遅番の時に出される賄いが美味しいのが、またうれしい。
ほんとは、料理も覚えて、自分でも美味しいツマミでも作れるようになれるんじゃないかと期待していたのだけど、料理の腕前には今のところ、何も還元されていない。
未生ちゃんと桜木さんは、時間通り、7時にやってきた。
奥まった4人がけのテーブルに通し、
「お通しと最初のビールはサービスです」と、愛想良く言うと、2人とも笑顔になる。
「ハイ!いらっしゃいませ!」
店長が、刺身盛り合わせと、ジャコサラダをさっそうと未生ちゃん達のテーブルに運んで行った。
「水沢ちゃんの美人のお友達ですね。キレイな女のコと一緒に住んでるんだって聞いてましたよ!」
こちらがちょっと赤面しそうなくらいのハイテンションで話しかけている。
(店長、いつもこんなかんじだから…)
他のテーブルの注文を取りながら、あたしは心の中で未生ちゃんに言い訳した。
「いいですね!美人の彼女!」
桜木さんの方へはぐっと親指を立てて、満面の笑みを見せている。あー、このポーズもよくやる癖だ。
(桜木さん、うまくあしらって…)
あたしの心の声が聞こえたのかどうか、桜木さんは、頭を掻きながら笑っている。
未生ちゃんはちょっと顔を赤らめながら、チラリとあたしの方を見た。悪い気はしていないらしい。よかった。
未生ちゃんは先月20歳になったばかりだけど、お酒は大好き。
とはいえ、そんなに強いわけじゃない。
最初のビール1杯でほんのり赤くなっている未生ちゃんを見ながら、"作戦"をちゃんと覚えているだろうかと不安になる。
「未生、あの子、彼氏いるの?」
「えー、ナッピに?」
上気した顔でケラケラと未生ちゃんが笑った。
「いないって言ってるけどぉ」
少し離れた席を片付けている、あたしの耳に、いつもより高めのトーンの未生ちゃんの声が入ってくる。
「あんまりそういう話しないんだよね〜好きなタイプとか聞くと、ハリウッドスターの名前とか出すしぃ〜」
だって、外見で好きなタイプを説明するなら、それが一番説明しやすいんだもの。
下手に身近な人より、有名俳優の名前を出した方が、話が面倒にならない、というのもあるし。
あたしの聴力が普通の人よりいいのは間違いない。
翼を出した時のウィンガーは、身体能力がアップする。それは腕力や脚力に限ったことではなくて、視覚、聴覚、嗅覚などの五感についても、だ。
ただ、どの能力がどの程度上がるかは個人差が大きい。
あたしの場合は、筋力はそれほど上がる感じはしない。多分、同年代の男子と同等のレベルになるかな、という感じ。でも、瞬発力に関してはちょっと自信ある。
要するに、パワータイプじゃなく、スピードタイプというやつ。
翼を隠して生活している以上、どっちだろうと、どうでもいいことだけど。
この運動能力の向上が、翼がある時限定であるのに対して、五感の方の能力は翼が消えている時でも、恒常的に上がっている。
というか、「この頃、視力よくなってきたな」とか、「なんだかやたら匂いが気になるな」なんて不思議に思っているうちに、翼が現れる、というのが8、9年前の小学生当時、あたしが見てきた事例だ。
耳がいいとか、目がいいというのは、当然いいことが多い。とは限らない。
聞きたくないことや、見たくない物が目に入ってくることも多くなるのだ。
自分に関する話なんて、聞かずに、知らずにいたいことが多い。
あたしはテーブルの片付けに集中し、お皿を重ねたお盆をさっさと厨房へ運んだ。
しばらくして、未生ちゃん達のテーブルの空いたお皿を下げに行くと、
「飲み物、い〜い?」
やや絡みつくような口調で、グレープフルーツサワーとビールを頼まれた。
あれ…未生ちゃん…結構、マジで酔っ払ってない…よね?
少し顔が赤くなった桜木さんは、楽しそうにテンション上がり気味の未生ちゃんを見ている。
金曜日の店は結構忙しく、その後、気がつけば9時近くになっていた。
未生ちゃん達のテーブルに目をやると、
「ねむ〜い」
と言い出して、未生ちゃんは体を壁にあずけている。
「いや、ここで寝ちゃダメだって」
桜木さんが焦り気味に起こそうとすると、今度はケラケラ笑い出した。
これは…あたしの出番の合図、かな?
「タクシー、呼びましょうか」
と、声をかけると桜木さんはホッとしたように頷き、案の定
「あ、あのさ、凪ちゃん、仕事何時までかな?」
と聞いてきた。
当然、自宅ではなく、うちのマンションまで送るつもりのようだ。
「ごめんなさい。あたし、遅番なんで帰るの12時過ぎるんです」
作戦通りにあたしが言うと、思案顔になった。
「あぁ…じゃあ、マンションまで送って行くから…」
「すいません、未生ちゃんのお父さんから男の人は部屋に入れないように約束させられてて…」
桜木さんが全部言い終わる前に、あたしはなるべく申し訳なさそうに言った。
「あ…ああ、そうだったね…」
未生ちゃんはもう、桜木さんの肩にしなだれかかり、とても1人では歩けそうにない様子を見せている。なかなかの演技力。
「あの…桜木さんのところに今日、未生ちゃん、泊めてもらえませんか?」
ここは早く話を進めてしまおう。
「え?」
明らかに桜木さんは顔をこわばらせた。なんとか、断ろうと理由を探してる。
お酒も入っているせいだろうけど、そんなあからさまな表情を見せられると、あたしの中で意地悪してやりたい気持ちがムクムク湧き上がった。
正面から桜木さんの目を覗き込む。
「未生ちゃん、桜木さんのうちに連れてってください」
明確に、感情を乗せてもう一度言った。
桜木さんの瞳の焦点が揺れる。
「ね、お願いします」
念押しで言うと、桜木さんはゆっくりと傍らの未生ちゃんを見た。
「まあ…そうだね…そうするよ」
ぼんやりした口調だけど、はっきりと桜木さんはうなずく。
あまり…というか、出来るだけ、これはやらないようにしているんだけど。
(桜木さん、怪しすぎるんだもん。仕方ない…)
自分に言い訳しながら、やっぱりこの力は気持ち悪いな、と思う。
相手の意思に介入すること。時には行動をコントロールすることも可能。
それが、あたしが翼と共に与えられた力、らしい。
その時の状況や相手によって、どのくらいの影響を及ぼすか、あたしも分からない。
ただ、始めは翼を出した時だけ、影響力を発揮していたあたしの言葉が、段々と普段の会話においても力を持ち始めた。
「そんなに嫌ならそう言ったらいいのに」
と言ったら、いつも大人しい子が先生相手に大演説をぶち上げてしまったり、
「こっちがいいと思う」
と言ったら、それまでは別の意見だったはずの子がみんなを説得し始めたり…
よくある話とか、たまたまだとか言われそうだけど、絶対違う。
状況的に不自然なのだ。
(なんか、ヤバイな…)
と、思ってからは、喋るときに、あまり強い意思を込めないように気をつけて、視線もガッチリ合わせないように気をつけている。
それを…やってしまった…
桜木さん、酔っ払っていたせいか、かかりやすかった。でもこれで、
(よし!作戦成功だね)
未生ちゃんに目配せしようとして、未生ちゃんが全くあたしの方を見てないことに気付いた。
足元、おぼつかない。桜木さんが話しかけても、会話が噛み合わない。
あ…れ…未生ちゃん…マジで…酔っ払っちゃってる?
ほとんど、泥酔状態…?
テーブルに運んだお酒の量を思い出してみる。あー、ヤバイ。相当、飲んでる。
あたしも忙しくて、未生ちゃんがどれくらい飲んでるかなんて、気にしてなかった。
でも、ここまできたら、桜木さんに託すしかない。
大丈夫…だよね…?
内心の不安を隠しつつ、あたしはタクシーを見送った。