比嘉さん
「なんか飲むか?まあ、お茶か水だけど」
下に降りると、かべっちがそう言って冷蔵庫を開けた。
愛凪ちゃんの手や顔を拭いたタオルを洗いながら、チラッと目を走らせる。
今はカイやナオさんがいるけど、普段は一人暮らしらしい。
男一人暮らしの冷蔵庫として、あたしがだいたい想像した通りの中身が見えた。
ペットボトル、缶ビール、ソーセージなどのおつまみ系。野菜の姿はないのに、缶詰がいくつか突っ込まれている。それだけ。
キッチンもリビングも、結構整理はされていた。多少の埃やべたつきも、我慢できないほどじゃない。
女の子だって、もっと足の踏み場もない部屋に住んでる子はいる。
2階の部屋もそうだっだけど、古くて少し埃っぽいこの家は、その分なのか、穏やかな空気が流れているみたい。
かべっちはそれなりに、快適に暮らしているようだった。
予想通り、もうマイケルさんの姿はない。ナオさんの話を聞いたら、調べたいことがあると帰ったそうだ。
一言、愛凪ちゃんに謝って欲しかったな…
ペットボトルから注いだウーロン茶をナオさんに差し出しながら、聞いてみた。
「ナオさんの話って?」
ナオさんは、どことなく後ろめたそうだった。
本郷やかべっちの顔をチラチラ見比べながら
「いや、なんていうか、証拠がある話じゃないんだけど…」
歯切れが悪い。
「チラッとオレが沖縄にいた頃の話したら、あの、マイケルって人、心当たりがあるとか言い出して…」
本郷とかべっちはサイダーがぬるいだの、そんな言い合いをしていたけど、こっちの話もちゃんと耳に入れていたようで、
「それ、アイロウに関係する話?ナオちゃん、なんかオレらに教えてないこと、あるだろ」
と、話に入ってきた。
「教えてないとか、隠してるってわけじゃない。ホント説明しにくいネタでさ。ただ、さっきあのマイケルさんが、向かい側の崖から誰か見てたって気にしてて…」
ナオさんが言い訳気味に首を振りながら言うと、
「愛凪ちゃんが翼出した時、店の方からも出て行く車がいたんだよ。多分、近くでも誰か見てたぜ。どっちかは須藤だと思う、という話したら、立山が昔、須藤と関わったかもしれないって言い出してさ。マイケル、その話聞いたら調べてみるって、ちょっとおっかねえ顔して出て行ったんだ」
かべっちがそう続けた。
須藤さんが見ていた?愛凪ちゃんの、あの暴走を見ていたのに…無視?
崖の向こうから見ていたにしても、とっくに駆けつけてこられる時間だ。
……なんで?
悶々と考えていると、不意に、どっかで聞いたようなメロディが流れた。
テーブルの上のスマホが震えている。
表示を見たかべっちの顔が、いかにもヤンキーらしい苦々しい顔に変わった。
「噂をすれば…須藤だぜ」
やっと、連絡よこしたのか。
多分、ここに来るだろう。
あたしたちは、早々に立ち去るべきか、このままここにいて、正直に事情を説明した方がいいのか…
本郷を見たけど、とりあえず、かべっちの応対を見守っている。
あたしの予想と裏腹に、愛凪ちゃんの話より、ナオさんのことが話題らしい。
「…ええ。確かに。立山はうちにいます…ーーいや、おじさんは関係ありませんよ。オレの独断で…」
これもあたしは全く予想していなかったのだけど、そこで、いきなりナオさんがかべっちのスマホを奪い取った。
ええ〜?!
「もしもし、立山尚です。対策室の須藤さん、ですよね」
呆気にとられて見てるのは、あたしだけじゃない。
「真壁さんはオレに頼み込まれて、匿ってくれただけです。出頭はするつもりでしたよ。ただ、考える時間が欲しかったんです。ちょうど、よかったですよ。オレ、あんたと、2人でじっくり話がしたかったんだ」
なにか決意したような、ナオさんの顔、口調。気遣い上手なバーテンさんはまるで影を潜めている。
かべっちは、スマホを奪い返そうとしていたけど、
「あんた、3年前に沖縄に行ったことあるだろ」
ナオさんのその言葉に動きを止めた。
本郷やかべっちと顔をみあわせながら、ナオさんの会話に聞き耳をたてる。
悪いけど、須藤さんの受け答えにも耳をすまさせてもらう。
「ヒガさん」「ジミー」「タチバナ会」
そんな単語が入り混じる会話。それにマイケルさんも関わっているらしい。
そして、明らかに素知らぬ風を装いながら、警戒心を露わにしている須藤さん。
愛凪ちゃんを心配する言葉などは、一言もなかった。
「ああ、それとあんたの部下の女の子だけど」
切り出したのは、ナオさんの方だ。
『あなた方で無事対処できたんでしょう。お兄さんもいらっしゃるようですからね。高野さんに関しては、真壁さんも善意で匿っていたんでしょうし、それを咎めるようなことはしませんよ』
あたしの耳に聞こえてきたのは…なんだそのそっけない言い方。しかもそこに嫌味まで含まれている。
通話を終えると、ナオさんは無言のまま、
部屋の隅に置いてあるコンビニ袋に向かった。取り出したのは、自分のスマホらしい。位置情報を探られないように、電源を落としていたんだろう。
「ふぅ…」
電源を入れたスマホを片手に、ため息をついたナオさんを、あたしたちは全員で凝視していた。
「おい、説明しろ」
「話をまとめてくれ」
本郷とかべっちの声が重なる。
ナオさんは、ちょっと疲れたような笑みを浮かべて頷いた。
*****
それは3年前、ナオさんが沖縄に住んでいた頃まで遡る話だった。
あまり恵まれていない環境の中知り合った、隠れウィンガーの『比嘉さん』のこと。
無戸籍で、身寄りもなく、暴力団の用心棒をしていた比嘉さんは、突然姿を消してしまった。
その頃はまだ翼が発現していなかったナオさんだけど、登録されれば身分や安全が保障されるのではないかと、勧めていたという。
姿を消す前、比嘉さんはアイロウで働いているウィンガーに会ったとナオさんに話していた。
その名前が、スドウセイジ。
状況からして、比嘉さんはアイロウに保護されたのだろうと、ナオさんは考えて、そのうち連絡が来るんじゃないかと、待っていた。
大阪に引っ越し、色々と大変なことが重なったナオさんは、比嘉さんに会えないかと、アイロウにダメもとで連絡。結果は門前払い。当然と言えば当然だけど、何度目かに電話に出たアイロウ職員の対応に、ナオさんは疑念を抱いた。
須藤さんの名前を出すと、こちらの身元を探るような反応が返ってきたのだという。
しつこく電話をかけてくる相手に対して、当たり前の対応とも思えるけど、ナオさんはそう思わなかった。
ただ、だからといってナオさんに何かできたわけじゃない。
そうしてモヤモヤした思いを抱えたまま、この街にやってきたナオさんは、自分もウィンガーになってしまったわけだ…
*****
正直、アイロウに対する疑念、不信感というのはあたしたち、つまり八川小学校6年1組出身の隠れウィンガーが、ほぼ共通して抱えているものと言っていい。
だから、ナオさんの話を思い過ごしとか、考えすぎとかで簡単に片付けることはできなかった。
本郷は、比嘉さんが名前を変えて別人として生活している可能性などもあげた。
ナオさんも、それは考えたことがあるらしい。でも、
「比嘉さん、落ち着いたら必ず連絡くれるって言ってたんだ。そういうの、律儀な人なんだよ」
ナオさんは、比嘉さんを信じているようだった。
「なんていうか、アイロウに対する不信感、ての?翼が出てから余計に強くなった。絶対、あの最後に電話した時の女の様子はおかしい。あ、でも、もう逃げたりしないぜ。出来れば彩乃に、ちゃんと謝りたかったけど…須藤と話すのが先だ」
絶妙なタイミングで着信音が鳴る。
「須藤だ」
表示を見たナオさんが、ニヤッと笑った。
須藤さんはさっきよりもずっと落ち着いた口調で切り出した。
『立山さん、あなたのお話をよく検討させてもらいました。私どもとしても、是非、詳しく聞かせていただきたいので、とにかく対策室まで、来ていただきたい。もちろん、登録の件もあります。ああ、逃げたからといって、罪にはなりませんから、ご心配なく。突然のことで、パニックになるのは当然です。そこは、穏便に対処しますから』
丁寧な口調の中に、所々、嫌味を感じるのは、あたしだけ?
『ああ、真壁さんや高野さんとの接点はこれきりにして下さいね。反社会勢力の絡みに一般の方を巻き込んではいけませんから』
それって、軽い脅迫でないかい?
須藤さんの話し方が、次第に癇に障ってくる。
あの、アイドルばりの綺麗な顔が、あたしの脳裏で嫌らしさを倍増していた。
綺麗な顔が、マイナスに働くことってあるんだな…
とにかく、ここは、黙って成り行きを見ているしかない。
やがて、もう一度かべっちに電話を代わったけど、かべっちは今日一番、極悪な人相で電話を切った。
家族を、お世話になっているおじさんを盾に取って、ナオさんに関して手出しするな、なんて言われれば、当然だ。
アイロウのやり方なのか、須藤さんの独断なのかは、分からないけれど、やり方が卑劣だと思う。
とにかく、ナオさんは須藤さんに言われた通り、対策室に出向くことを決意した。
登録されることを決心したというより、須藤さんを問いただしてやろう、という意気込みが勝っている。
本郷が送っていくことを申し出たので、あたしはここで待つしかなくなった。




