ウィンガーズ 2
「愛凪!愛凪!」
金切声をあげて駆け寄ってきたのは、無精髭の男性。さっきまで、愛凪ちゃんを取りおさえようとしていたウィンガー。
…ん?これ、カイ?
「…あ、なるほど」
よく見れば、昔の面影がある。
8年って、これくらい人を変える年月なんだな。
いつものあたしなら、黙ってただ「うん、うん」と頷いているはずなんだけど、
「誰かと思ったわ。すげぇ、やつれてるから」
翼が出てる時って、思ったことをストレートに口にしがちだ。
あたしを見上げたカイの顔は泣き出しそう…というより、すでに半ベソだった。
「…み、みずさわぁぁぁ!来てくれたんだなぁぁぁ!!」
両手を広げて突進してきたカイを、あたしは冷静にかわし、軽く背中を押して方向転換させてやる。結果、カイは本郷に抱きつき、本郷も仕方ないと思ったのか、しっかり抱きとめていた。
「本郷もぉぉぉ…ありがとうなぁぁぁぁ…」
「うわっ…お前!鼻水っ!」
コントのようなやり取りをしている2人を尻目に、オレンジの頭が愛凪ちゃんを抱え起こそうとしていた。
マイケルさんの大きな体が、覆い被さるように近づいてきたけど、
「あんたはいい」
軽く手をあげただけで、巨体の動きを制してしまう。
なんか、ピリピリした空気が流れていた。
オレンジの髪の毛に、ピアスで彩られた耳。剃って形を整えられた眉。
「あ…真壁和久?」
だいぶ昔と印象が違うけど、間違いない。思わずフルネームを呼んでしまったあたしを、呆れたようにかべっちは見返した。
「ああ?今頃気づいたのか?」
「いや、なんで、ヤンキーがいるのかと思ってて…」
またしても、本音を口に出してしまう。
「誰がヤンキーだよ。お前なんか、昔と全然、変わんねぇな!」
言い返してくるかべっちだけど、気を悪くした様子はない。反してあたしは
「それ、褒めてないよな」
半ば本気でムッとして言い返していた。
「カイ!妹、自分で運べよ!」
かべっちに言われて、カイがワタワタと妹に駆け寄ってくる。
だけど、愛凪ちゃんを抱き上げようとした途端、カイの翼は消えた。
よろめいて倒れ込みそうになり、慌てて愛凪ちゃんを支えている。
翼を出した後の「あるある」だけど、脱力してうまく力が入らないらしい。
小さく舌打ちして、手を貸そうとしたあたしの横から、本郷が乗り出した。
「あ〜あ、ほら、どけろ」
涙でぐちゃぐちゃの顔で、情けなさそうにへたり込むカイを押しやり、愛凪ちゃんをお姫様抱っこする。
揺すられようが、声をかけられようが愛凪ちゃんはグッタリと目を閉じたままだ。
「お前の使ってる部屋に運べ。万が一、誰か来るとまずい」
かべっちに言われるままに、カイはコクコク頷き、よろめきながら本郷を家の中へと案内して行った。
さて、とあたしも翼を消して、改めて小さな庭を見渡す。
隅の方で、ナオさんが……明らかに腰を抜かしていた。
「あたしのこと、聞いてないの?」
本郷たちから、あたしが変わり種のウィンガーだと、耳にしていなかったんだろうか?
近づくあたしから逃げこそしなかったものの、ナオさんの唇は戦慄いていた。
目がまるでスキャンでもするようにあたしの頭から足先まで、丹念にたどっていく。
「い、いや、その…特別、とは聞いてたけどさ…まさか…黒…い…とは…」
語尾はものの見事にフェイドアウトしていった。
「特別ねぇ…そう、あたしの翼、黒いんだわ。昔、コウモリみたいって言ったヤツもいたな」
思わず口の端から、ケッと漏らした笑いに、かべっちが鼻で笑う音が重なった。
「言ってたなあ、コウモリだの、カラスだのって」
その顔に悪意はない。純粋に懐かしそうな口調。
あたしとしては…気に触る言われようだったんだけど。
でも、この場では思い出を語るよりも、もっとしなきゃならないことがある。
あたしはかべっちとマイケルさんを見比べた。
「何があった?説明しろ」
久しぶりに会った途端、同級生女子にこんな命令口調で言われたら、普通どん引くだろうに、かべっちは嫌そうな顔もせず、マイケルさんへ顎をしゃくった。
「あいつが妹の翼、引っ張り出したんだ」
マイケルさんは太い首をすくめてみせる。…ちょっとイラッとさせられる仕草だ。
「引っ張り出した?愛凪ちゃん、まだウィンガーじゃないだろ」
「すぐ、ウィンガーになります。だから、出せましたね」
訛りのある日本語だけど、マイケルさんは悪びれた様子はなく、ハッキリと言った。
ああ、そういうことか…
だから、あんなに脆くて弱々しい翼だったんだ。
それにしても…
「なんで、わざわざ引っ張り出した?」
マイケルさんは、胸を張った。大きな体が、壁のようだった。
「ウィンガーが、ウィンガーを捕まえる。よくない。彼女には、自分がしていること、分かってほしかった。それに、彼女の翼がでる、時間の問題です。ウィンガーになって、アイロウに取り込まれる前に、私たちの仲間に出来るかもしれない」
「仲間?」
首を傾げるあたしに、
「なんか、めんどくせぇことになってるみたいだぜ。やっぱ、アイロウって、胡散臭いよなぁ」
かべっちが口を挟んできた。
「まず、中に入れ。おい、立山!」
声をかけられたナオさんが、青い顔のまま、やっと立ち上がった。
「あのさ、あたしはアイロウがどうこうとかは、興味ないんだわ」
庭に面したガラス戸からリビングに入ると、あたしはマイケルさんの前に立ち塞がった。
マイケルさんは、顔色ひとつ変えず、あたしを見下ろしている。
「だから、どういう理由だろうと、ウィンガーになってない人間を無理矢理ウィンガーにするとか、有り得ないから!」
あたしとマイケルさんを交互に見比べていたナオさんは、助けを求めるように、かべっちに視線を移した。
マイケルさんは、真っ直ぐあたしを見て口を開いた。
「彼女はウィンガーになっていた。だから、翼が出せた」
「違う。体と精神状態が翼の負荷に耐えられるようになった時に、翼は出せるようになるんだよ。未熟な翼は精神を壊す。だから、愛凪ちゃんはあんな暴走したんだ。翼を引っ張り出す力があったって、誰にでも使えばいいってもんじゃない!あんたは、いろんなウィンガー見てきてるはずだろ!あんな状態からまともなウィンガーになったヤツ、いるの?」
一気にまくしたててから、あ…翼の影響だな、ちょい興奮しやすくなってる自分に気がつく。
バツが悪い。
意味もなく、ウロウロその場を歩き回る。
唖然とするナオさんの隣で、かべっちが笑いを堪えているのが見えた。
「水沢、オレらにも分かるように説明、できるか?」
見た目にそぐわず、冷静な口調でかべっちが言う。少し面白がっている雰囲気も感じられる。
ふぅ、と息を吐いた。まだ、翼の影響があたしの中に残っている。
興奮しているというか、気が立っている。いつものことだけど、口調が荒くなる。普段使わない言葉も飛び出す。
ただ、頭の中は冷静というか、物事を客観的かつ多角的に考察できている自覚もある。
確かに、説明をするなら今のうちかもしれない。
「翼を受け入れるだけの肉体的、精神的状態ができた時に翼は出る。それでも最初のうちは、受け入れきれなくて、暴走したりするんだ。愛凪ちゃんの翼、触った?」
かべっちが頷いた。
「ちょっとかすったくらいだったけどな。ティッシュでも触ったみたいだった。なんつうか…実態が薄い」
実態が薄いとは、言い得て妙だ。
「あのまま、折れたりしてたら、取り返しのつかないことになってた」
あたしの言葉に、さすがにマイケルさんは声を詰まらせる。かべっちは眉間に皺を寄せ、ますます柄の悪い風情をかもしだした。
ウィンガーの翼は消えれば、なんの痕跡も残らないくせに、その存在がある間に折られると、その持ち主の命をたちまち奪う。
症例が少なくて、一般には知らない人も多いけど、事実だ。
ウィンガーの弱点と言える。
「未熟児で生まれれば、特別なケアが必要だろ。愛凪ちゃんはその状態。あんたがそうしちゃったんだよ」
あたしのやや早口の日本語がちゃんと通じるといいんだけど。
でも、明らかに動揺を浮かべたマイケルさんを見る限り、だいだいのところは伝わったらしい。
「…まあ、なんでそんなこと分かるのかは分かんないんだけどさ。いつものことだけど…」
言い訳みたいに付け加えておく。ああ、あたし、昔も似たようなこと、よく言っていたな…
翼を得た途端、あたしには直感的に理解できる事柄が急に増えた。
他の子の翼の出し方、消し方(強制的に消す方が難しい。出す時は普通の人間でも、翼が出ている時はウィンガーだから)
飛び方、そのための翼のコントロールの方法。
自分の言動が、他人の言動に影響を及ぼせること(これが暴走気味の相手をコントロールするときに役立った)
などなどなど…
「どうして分かるの?」「どうして出来るの?」
聞かれるたびに
「分かるから分かる。だから出来る」
としか答えられない気持ち悪さ。
そして、みんながあっさり受け入れてくれる心地悪さ。
マイケルさんも、もう反論せず、元気がなくなっている。
大きな図体が、少し萎んだようにすら見えた。
納得してくれたのはありがたいけど、素直すぎやしないか?
なんで、あたしの言葉は、こんなに簡単に信用されるんだ?
それが新たな苛立ちを産む。
「…少し、クールダウンしたい。しばらく、声かけるな」
出来るだけ、抑えたトーンでそれだけ言うと、あたしは2階へ向かった。




