ウィンガーズ 1
本郷から言われた通りに、キャンパス近くのコンビニで待っていると、黒いBMWが駐車場に入ってきた。
といっても、あまり大きな車じゃない。多分、オープンカーにも出来るタイプの、2人乗り。
運転しているのは本郷だった。
別に車には詳しくないけど、大学生が普通に買える車じゃない、とは分かる。
あたしは、周囲に知っている人がいないか素早く見回してから、車のそばへ急いだ。
いかにもお金持ちのボンボンの車に乗り込むところなど、あまり見られたくない。
なのに、本郷はあたしの心中などお構いなしで、
「ちょっと待ってて。飲み物買ってくるから」
などと言い出しやがったけれど。
2シーターの車に乗るのは初めてだった。
座席の両端が高くなっていて、ちょっと乗り込みづらい。なんか、体が固定される感じで、乗り心地、悪い。バケットシートとかいうんだっけ。
普通の車よりいいシートなんだろうけど、乗り心地とは比例しないんだな…あたしの感覚がおかしいのか…?座り方の問題…?
もやもや考えているうちに、車は北部行きの幹線道路に入っていた。そういえば…
「かべっち…の家って、どこなの?」
一瞬、「かべっち」というニックネームを口にするのが、照れ臭かった。かべっち…ほとんど「真壁くん」と呼んでた気がするから。
本郷の言った町名を聞いても、なんとなくしか地図上の場所は思いつかなかった。
とりあえず、地下鉄の路線付近ではないことは分かる。帰りも本郷が送ってくれるはずだから、それはいいんだけど。
「…そう言えば、さあ…」
なんだか少し歯切れの悪い調子で本郷が口を開いた。
「この間、ABCスポーツパークで飛行パーティーした時…」
飛行パーティーって…ていうか、あれ、パーティだったんだ…?
「目撃されたっぽい」
一瞬、どういうことか、よく分からなかった。
だって、体育館1つ貸し切りにして、誰も出入りしないように見張りも立てて…
監視カメラがないことも、確認していたはずだった。
「いや、その外にいた見張りがさ、ほら、途中で職員が書類持って来ただろ。あれ、知らせる時に飛んだらしい」
ええええ!!いくら人通りの少ない場所だったとはいえ、外で飛ぶ?
「…ダメでしょ」
前を見たまま、本郷は苦笑したけど、目は真剣だった。
「まあ、軽率だよな。見たのが子供で、なんかの間違いだろう、で済んだみたいだけど。マイケルにも、気をつけるように言っておいたよ」
マイケルさんが、それをどのように聞いたのかは分からないけど、あの調子で
「ダイショウブー!」
とか言ってそうで心許なかった。
飛べる。
アーククラスと呼ばれる大きな翼を持つウィンガーは、その翼が背中にある数分の間、自由に宙を舞える。
まったく、夢のような、本当の話。
でも、その事実が知られれば……きっと、世界中にパニックが引き起こされる。
今のところ、そんな大きな翼を持つウィンガーが存在することも、彼らが『飛べる』ことも知られていない。
いつまで隠し続けられるか分からないけど、バレたら普通の生活が続けられるとは思えない。
あの人たちと会ったことは…失敗だった、かな…
マイケルさんのこともあって、車の中ではウィンガー絡みの話ばかりしていた。
カイのこと、他の同級生たちのこと、そしてナオさんのこと。
「あ、そうそう、ナオちゃんも今一緒にいるんだ」
あっさりと言った本郷に、あたしは目を見開いた。
「悪い、教えようと思ってたんだった。昨日の夜、エビさんが連れてったんだってさ。今日、彼女に会ってから出頭するつもりらしい」
「え、と…大丈夫なの?」
こんな逃亡劇を演じてしまったナオさんも心配だけど、かべっちも巻き込まれて平気なんだろうか。
本郷も、そこは気にしている様子だった。
「カイも早めにあそこを出た方がいいだろうな。本人もだいぶまともに話が聞けるようになってるから、そろそろうちに帰るように説得しようと思ってる」
その言い方には、あたしにも協力して欲しいという、響きが感じられた。
まあ、やぶさかじゃない。愛凪ちゃんのためにも、早く家に戻ってあげて欲しいし。
やがて、車は、片側1車線ずつの道路へと入った。
住宅と商店とが入り混じった町並み。でも、新しい建物はほとんどなく、あまり活気の感じられない道だ。
かなりの割合で、商店にシャッターが降りているせいもある。
『真壁モータース』の看板の出ている修理工場も同様に閉まっていたけど、入り口に貼られたロープや、そのポールは新しいものなのが見てとれた。
ロープの前の、ちょうど車一台分ほどの空きスペースに本郷は車を停めた。
何回か来たことがあるらしく、さっさと店の裏手の方へ回る本郷の後を追う。
ふと、その足が止まり、あたしも視線の先を追った。
「あれ…マイケルさんの…?」
思わず首を傾げたけれど、ハーレーに乗ってる人なんて、いっぱいいるしな、と思い直した。でも、
「うん、マイケルのだ。そういや、ナオさんと話がしたいって言ってたけど…」
本郷もあっさり同意した。
マイケルさんがナオさんと話をしたい?
どういうことか、聞こうとしたけど、建物の向こうから聞こえてくる、叫び声とも怒鳴り声ともつかない声がそれを遮った。
「、、!!、、なんとか押さえろ!長くても10分くらい、、!」
何人もで騒いでいるから、一部しか聞き取れない。けど、かなり切羽詰まった感じ。
「何、騒いでんだ?」
声は自宅と思しき建物の向こうから聞こえる。本郷と顔を見合わせだ瞬間、今度は、
「ウアアアーッ!!グワアァァ!!」
人間のものかどうかも疑われるような雄叫びがあがった。
2人して、建物の脇を通り抜け、声の方へ向かう。
「10分て…10分て、何分だ?!」
ものすごく必死な、哀願のような問いが聞こえた。が、言っている意味が分からない。
10分は、10分じゃないかなぁ。
「なあに、やってんだあ?」
ふざけてるとでも思ったのか、本郷は苦笑いを浮かべながら、家の建物の脇から覗き込む。途端に、
「本郷!」
「本郷!」
複数の声が合唱のように聞こえた。
「げっ!」
本郷が、覗き込んだ姿勢のまま、固まったので、あたしはその後ろから、思い切り背伸びした。
え…何、なんで、みんなして翼全開で…
オレンジのマッチ棒みたいな頭と、痩せて泣き出しそうな顔の男性ウィンガーが、必死の形相で取り押さえているのは、どこにでもいそうな女の子…って!
愛凪ちゃん!翼!出ちゃってるじゃん!!
愛凪ちゃんの後ろからは、マイケルさんの太腕が肩をがっしりと掴んでいるが、三人がかりでも振り払われそうな勢いだ。
愛凪ちゃんは、闇雲に叫び声を上げて、自分を押さえつける手に噛み付こうと、身をよじった。
目の焦点は定まっていない。そのくせ周りの動きには素早く反応している。
体と思考が完全に分離している…というか、多分、本人の意識はぶっとんじゃっている。
ただ、目の前にある物を全て攻撃したいという衝動だけが伝わってきた。
まさに、暴走。理性を欠いたウィンガーの姿。
でも、こんな状態のウィンガーを実際に見るのは初めてだ。
愛凪ちゃんの…愛凪ちゃんとは思えない、目も口も限界まで開かれた顔が、こっちを見た。
「ギアアァァァ!!!」
白い翼が、思い切り開く。
ゴゥッと空気を割くような音がして、取り押さえていた3人が弾き飛ばされる。
これ、マジでまずい。尋常じゃない!
そのまま飛びつくように、愛凪ちゃんはこっちへ突進してきた。
「くおっ!」
躊躇うことなく、掴みかかってきた二の腕を、本郷が正面から押さえた。
白い翼を大きく広げた本郷と、互角の力比べとは…
翼を出した本郷が、力負けするのをあたしは見たことがない。
…これは、しょうがない…
フッと一呼吸。翼を出すと同時に、あたしは地面を離れた。
「そのまま、手ェ離すなよ」
そう声をかけて、本郷の肩の辺りまで浮かび、その頭越しに愛凪ちゃんの頭へ手を伸ばす。
翼を出した瞬間から、ビリビリと空気の刺さる感触が伝わってきていた。
愛凪ちゃんの周りが、奇妙に乱れている。
気とか、波動とか、オーラとか、いろいろ言い方はあるだろうけど、そういう類のやつ。多分。
あたしだって、よく分からない。ただ、最初からそういう物を認識して、感覚的に理解できた。
見えるわけじゃない。感じる、と言った方が近い。
あたしが頭上に手をかざすと、愛凪ちゃんの頭がいきなり振り上げられた。
何か自分に害をなす気配を感じ取ったみたいに。
焦点の定まらない瞳を、あたしは覗き込む。途端に、その顔に感情が戻った。
ただし、それは恐怖の色だ。未知のものに対する怯えの色。
ちょっと失礼な話だよ。こんな我を忘れた状態でも、黒い翼ってそんなに恐ろしく見えるのかねえ。
まあいい。とりあえず、この子は早いとこ戻さないと。精神がやられてしまう。
「ひっ…ひぁっ!!」
伸ばしたあたしの手から逃れるように、愛凪ちゃんは体を引く。やっと呼吸することを思い出したような、引き攣った息づかい。
あたしは構わず、頬に指を触れた。
こんなに青ざめているのに、熱い。
愛凪ちゃんの内側も、周囲も乱れ暴れ回るようなエネルギーで大混乱している。
流れを、整えてやらなきゃいけない。
乱れた流れの中に、意識を集中して、あたしが思う通りの流れに修正する。
**********
これも、あたしが翼を持った最初の時から出来たこと。
アーククラスのウィンガーでも、このエネルギーの流れというか、『気』というのか、これを感じることは出来ないらしい。
つまり、これもあたしの特異能力。
相手に見えず、感じることも出来ないものを、解説するのはいつも一苦労だった。
でも、そこは子供だったからなのか、みんな
「水沢は特別なんだ」
と、最終的に納得してしまった。
一番納得できなかったのは、あたし。
背はちょっと低い方だけど、勉強も運動もまあまあなこなし、クラスでは目立たず、友達は少ないけど、その分、女の子同士のトラブルにもあまり巻き込まれない。
そんなあたしが、『特別』って…
そもそも、黒い翼のウィンガーなんて、聞いたことない。その上、こんな気持ち悪い能力も付属していて…
**********
愛凪ちゃんのエネルギーは、荒れ狂い、騒ぎ、縦横無尽に駆け巡っていた。
「う…あ…ぁ…」
開きっぱなしの口から、微かに声が漏れて、頬を涙が伝う。
少し、エネルギー流の速度が落ちたかな。
タイミングを逃さず、一気に流れを変える。
ふっと、愛凪ちゃんから力が抜けた。
「OK。手、離して大丈夫」
ゆっくり離れる本郷と入れ替わり、愛凪ちゃんの前に着地した。
中途半端に手を突き出した姿勢のまま、愛凪ちゃんは固まっているけど、もうさっきまでの戦闘態勢ではない。
そうっと、愛凪ちゃんの体を抱き寄せ、背中の翼に触れた。
脆い。
ちょっとの刺激で、空中分解しそうな、弱々しい翼。
本郷の翼のいわゆる骨格部分なんかは、鉄パイプでも通っているような、頑丈さを触っただけでも感じるのに、愛凪ちゃんのは、ちょっと動かしただけで砕けそう。
未成熟、という言葉が思い浮かんだ。
こんな翼、触ったことない。あたしの知っているウィンガーの翼は、もっとしっかりしていて、力強い。
とにかく、この翼を傷つけることなく、引っ込めないと…
愛凪ちゃんと、目が合った。
こちらの存在を、認識できている。
「ゆっくり、息を吐いて。こっち見て。ほら、戻っておいで」
翼を出した時のあたしは、どうも言動が荒くなる。
とっとと戻ってこい!と、一喝したくなるのを堪え、出来るだけゆっくりと穏やかな声がけを心がけた。
愛凪ちゃんの瞳が揺れた。
(だ…れ…?)
唇は、そう動いたように見えた。
「大丈夫。力抜いて、ゆっくり、息はくんだよ」
一音節ごとに区切って、ハッキリと声をかける。
言われた通りに、愛凪ちゃんの体から、ゆっくりと力が抜けていく。こわばっていた腕が、ダランと下がる。そして…背中の翼は溶けるように消えた。
「…水沢さん…」
はっきりと焦点の戻った目で、愛凪ちゃんはあたしを見た。
その目が、あたしの背中の方に向いたけど、恐怖の色は浮かばなかった。
「大丈夫そうだね…」
愛凪ちゃんはぼんやりと頷き、それから、崩れるようにあたしの腕の中へ倒れ込んだ。




