ともだち
玄関を開けると、未生ちゃんの靴があった。よかった。帰ってきてる。
彩乃さん、落ち着いたのかな。ナオさんは連絡よこしたのだろうか?
リビングのドアを開けると予想通り、未生ちゃんがソファに座っていた。
「おかえり。未生ちゃん」
なんだか、妙に安心する。
未生ちゃんはたま〜に、お泊まりしてくることはあるけど、今回は事情が事情なだけに、一晩いないだけでも、落ち着かなかった。
いや、本当のことを言えば、未生ちゃんがいないことに不安を感じていたわけじゃない。
ナオさんが対策室に見つかった。そして逃亡した、ということに、あたしは動揺していたのだ。
自分も巻き込まれるんじゃないかって、心配している。
登録された方が気が楽、なんて言いながら、いざその状況が身近に迫ると、なんとか逃れたいと、自分が思っていることに気が付いて、あたしは自己嫌悪に陥った。
あたしの胸中など知るよしもない未生ちゃんは、
「ただいま」
と、笑顔で返してくれる。でも、ちょっと元気がないかな…
「大丈夫…だった?」
なんと言って切り出したらいいのか分からず、とりあえずそう言った。いろいろな意味を含んだ大丈夫、だ。
ふっと、未生ちゃんは視線を逸らした。
「ナオさんから、連絡ないんだよね…でも、仕事これ以上は休めないから、明日は出勤するって」
「そっか…。彩乃さんて、ショップの店員さん、だっけ?」
取り留めのない会話をしつつ、あたしは未生ちゃんの前に置かれたカクテルの缶を気にしていた。
未生ちゃん、お酒は好きだけど、あまり強い方じゃない。
「明日、講義出るんでしょ。飲みすぎちゃダメだよ」
軽い調子で、忠告しておく。
この間の桜木さんとの件もあるし。
未生ちゃんは少しボンヤリと頷いて、独り言みたいに彩乃さんとナオさんの話を始めた。
「彩ちゃん、親が離婚して転校したでしょ。お母さんについて行ったけど、すぐ再婚して、弟が出来たから…高校卒業して家出た後は、あんまり親と連絡とってないんだって。尚さんちもシングルマザーで、親とうまくいってないみたいで…」
第三者のあたしに、あまりプライベートなこと、教えない方がいいんじゃないかなぁ…
でも、遮る雰囲気じゃなくて、あたしは黙って聞いていた。
どうも、未生ちゃんと彩乃さん、ケンカ、とまではいかなくても、ちょっと気まずくなっているようだ。
「なんか…私には分からない、みたいなこと言われちゃった。前はね、彩ちゃんってアイドルとか大好きで、自分も女優になりたいとか言ってる子だったんだよ。でも、今はそういうの、全然興味ないみたいで。なんか、変わっちゃうんだね…」
数年ぶりに会った友達。
でも、その間にはそれぞれ別の時間が流れて、それぞれにいろんな経験もしていて。
昔と同じように話して、笑えることばかりじゃない。
カイのことを思い出す。
あたしの中のカイは、お調子者で、ケラケラ笑って妹の話をしている。
でも、今のカイはそんなキャラじゃないという。
会って、何を話せばいいんだろう…?
「……隼くんのことも許せないというか、信じられないというか…そういう仕事っていうのは分かってるけど、じゃあ、いつまで私に嘘ついてるつもりだったんだろう?とかね…」
未生ちゃんの話は、あちこちに飛んでいる。
ごめん…ところどころ、聞き流してました…
「未生ちゃん、それ、何本目?」
だいぶ目つきのトロンとしてきた未生ちゃんに、そう言ってみた。
そろそろ、やめさせたほうが良さそう。
「…3本目…」
素直に答える未生ちゃんは、酔っ払っているところもかわいいんだけど。
「それで終わりにしといた方がいいよ。…彩乃さんとケンカしたの?」
あたしの言葉に、未生ちゃんは、はっきり首を振った。
「そんなんじゃないの。ただ、未生が何言っても、お金の心配がなくていいよね、とか、家族が欲しい気持ちわかんないでしょとか…」
自分でも、何を言いたいのか、よくわからないのかもしれない。話しながらあくびも混じってきているのを、見計らって、
「未生ちゃん、一回、寝た方がいいよ。で、明日、講義終わったら、お店に様子見に行ってみたら?心配だから、様子見に来たよ、って」
「うん、心配なんだよ。未生ね、心配してるだけなんだよ…」
うん、分かる。未生ちゃんは結構世話焼きだ。そして、優しい。
彩乃さんだって、それは分かっているはず。ただ、今はきっとどうしたらいいか、なんて言ったらいいか、混乱しているんだ。
「明日…うん、明日、もう一回話してみないとね…」
部屋に入っていく未生ちゃんを見届けて、あたしは何か食べようと、キッチンに立った。
冷蔵庫の中を確認しようとした途端、着信音が鳴る。
うぁ…本郷だ…
「え…明日?…うん、なんとか…」
薬の服用をやめたら、思いの外、カイの回復が顕著らしい。
明日の午後は1コマだけで、夕方から空いていることを、何故か本郷は把握していた。
この間、カイに会ってみることは了承しているし、
「さっそく、会ってみてくれないか?」
という、誘いを断ることはできなかった。
いずれにしろ、面倒そうな案件は早めに片付けた方がいい。
まだ開いていたリビングのカーテンを閉めながら、未生ちゃんが置きっぱなしにしていた空き缶を片付ける。
「彩ちゃんって、アイドルとか大好きで…」
未生ちゃんの言葉にダブって、あたしは「さやちゃん」を思い出していた。
*****
今でもだけど、人見知りのこの性格ゆえ、あたしは友達が少なかった。
小学校の時の友達といえば、5、6年生の時に同じクラスになった「さやちゃん」と、「たまちゃん」くらい。
さやちゃんは、ファイアスターターっていうアイドルグループが大好きで(確か、他にもファンのクラスメイトはたくさんいた)クリアファイルとか、ストラップとか、いろいろグッズを持ってた。
一人っ子のさやちゃんは、欲しいものはたいてい買ってもらえるらしく、新しいグッズを買ってもらっては、あたしたちに、嬉しそうに見せながら熱く語った。
たまちゃんはは、そんなさやちゃんに
「そんな、何個もクリアファイル使う?」
「推しのタオル?洗いたくないから使わないんでしょ、持ってても意味ないじゃん」
などと、結構辛辣だった。
見た目はおっとりした、おとなしそうな子なのに、たまちゃんは言いたいことはハッキリ言った。
ちょっと批判的な言動は多かったけど、今思えば、その言葉は結構本質をついていた。
あたしは、好きなものを夢中で語るさやちゃんも、自分の意見をちゃんと言えるたまちゃんも、すごいな〜って、思っていたのだけど…
小学校卒業と同時に引っ越すことになった時、2人と離れることを、寂しいと思っただろうか…?
たまちゃんは、あたしと同じく小学校の卒業と同時に県外に引っ越した。
住所が分かったら、連絡すると言っていたけど、連絡が来ることはなかった。
さやちゃんとは、暑中見舞いや、年賀状のやり取りを何回かしたけど、結局その後は、何年も連絡をとっていない。
小学校も高学年になれば、自分用のスマホやタブレットを持っている子が多くなっていたけど、うちの父親は、
「必要ないだろう」
の一点張りだったから、手紙か親に頼んで連絡してもらうしか、連絡手段はなかった。
まあ、あたしもそれに不満を持つほどでもなく…疎遠になるのは仕方なかったと言える。
今、2人ともどうしてるかなぁ?
ウィンガーになったという情報は入っていない。
学生してるか、もう就職しているか…
気にはなるけれど、是非会いたい、と思うほどでもなかった。
未生ちゃんと違って、あたしは薄情なのかもしれない。
今、2人に会っても、未生ちゃんみたいに必死に何かしてあげようとはしないと思う。
さやちゃんや、たまちゃんとの記憶は、ぼんやりしているくせに、ウィンガー同士の記憶は結構鮮明だ。
当然か。
あれは…衝撃的で、刺激的な日々だった。
自分が翼を得た時も、他の子が翼を発現して暴走しそうなのを止めた時も、みんなで飛ぶ練習をした時も、はっきり思い出せる。
「水沢さん、お願い…」
「水沢、あのさ…」
「水沢…」「水沢!」「水沢さん!」……
懐かしい顔、顔、顔…本郷も、カイもそこにいる。
周りより、ゆうに頭ひとつ高い位置から、浅黒い顔が皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
「よぉ、女王さま…」
*****
ハッと息を飲んで、あたしは妄想から覚めた。
この頃、昔の…小学校時代のことをよく思い出す。
ちょくちょく同級生の話題に触れているんだから、当然かもしれないけど…
思い出されるそれは、懐かしさよりも、どんよりとした、重たい空気をはらんでいる。
なんでだろう。そんなに、悪い思い出ばかりじゃないんだけど。
小競り合いや、女の子同士のいざこざはそりゃあったけど、たいてい、あたしはそこには巻き込まれずに過ごしていた。
全体的には仲のいいクラスで、運動会や学習発表会はやたら盛り上がっていたものだ。
かべっちとノッキが2人同時にウィンガーになった時だって、誰も彼らを拒絶しなかった。
……ウィンガー
他にも、何人も翼が出た子達がいたのに、"最初の2人"以降は、みんな隠していた。あたしは、隠し通す手伝いをした。
なんでって……頼まれたから。
みんながそうしようって言ったから。
みんながれい子先生が怪しいから、こっそり調べようって…
鍋のお湯が沸いている。
小走りにキッチンへ戻り、一旦弱火にした。
パスタがちょうど一人前残っていたはず…あった。
『自分で考えて動けよ!』
頭の上から声が聞こえた気がした。
嫌な記憶。嫌なやつ。
不快な思い出を振り払いたくて、あたしは投げ込むようにパスタを鍋へ投入した。
お湯が飛び散って、当然ながら
「熱っっ!!」
あたしは飛びのいた。
ああ!塩も入れてない!!
………ったく…




