須藤さん
日曜日ということもあってか、団体で来た(といっても10人ほど)のお客さんも、食事だけで、1時間もせずにお帰りだった。
あたしは、ジーズに戻るのがおっくうで、お店がすいてきたからといって、店長に自分から「2階に行って来ていいですか?」なんて、聞く気はなかった。
ただ、店長は
「水沢ちゃん!もう、大丈夫だから、2階に行って協力して!ほらほら…」
と、食器の乗ったお盆を強引に奪っていく。
「そのまま、今日は帰って大丈夫だから!後で、報告聞かせてねっ」
後半は小声で、でもいつも通り親指をグッと立ててみせた。
ああ、やっぱり、普通の人にはウィンガーのネタって、芸能ゴシップと同じような物なんだな…
グズグズと着替え、裏口から上がろうか、店の入り口から行こうかと、外に出てからも、立ち止まって考えた。
なんとなく、仕方なしに表の階段の方へ向かう。
「桜木さん…?」
階段の下には、手持ち無沙汰な様子でスマホをいじる、桜木さんの姿があった。
そろそろ、未生ちゃんも来ているはずだし…なぜ、こんなところに?
不思議そうにしていると、
「さっき、未生が来てさ。かなり、怒ってて。友達の方もちょっと興奮状態で…一旦、席外せって上司に言われてね」
気まずそうに、そう言ってため息をついた。
ふうん、なんとなく、想像はつく。
なかなかにプライドの高い未生ちゃんのことだから、嘘をつかれていたと知って、黙っているはずが無い。
今はまだジーズに行かない方がいいんだろうな、と判断して、あたしも一緒に待っていることにした。
少し、落ち着いたら上司の人…あのウィンガーの須藤さんがが呼びに来てくれるという。
あまりいい話題も思いつかないので、下手に喋らず、静かにしていた。
こういう時、何気ない会話を続けられる人って羨ましい。
「あ、そういえば」
桜木さんが思い出したように口を開いた。
「何日か前に、デカい外国人と喋ってなかった?」
うげっ……もしかして…それは…
「ほら、大学の近くのボルダリングジムのところで、黒人さんのー」
ああああ〜やっぱり……
ここは…誤魔化したりせず、認めた方が得策でしょう。
あたしは頷き、
「マイケルさん…ですね。身長、2メートルあるそうです。英会話教室の先生やってて…」
2メートルという言葉に、桜木さんの口が「おお…」という形に動く。
「結構、子供にも人気あるって、ご本人は言ってましたけど」
マイケルさんとしては、お茶目キャラのつもりらしいけど、アクションスターか、プロレスラーかという、ゴリゴリの体格に野太い声。派手なリアクション。
あたしが子供だったら、近づけない。
「えー?かなり、ゴリマッチョな体してたよな。オレ、信号待ちの車の中から見たんだけど、一瞬、凪ちゃんが絡まれてるのかと思ったよ」
桜木さんの言うこともごもっとも。
しかし、あれを見られていたとは…
マイケルさんが、英会話教室の先生をやっているのは本当だし、適当な言い訳はつけやすい。
「一緒にいたのが、知り合いで。あそこのボルダリングの体験に来てたんです。それで、まあ、英会話教室どう?って言われて…一生懸命断ってました」
「え、え?凪ちゃん、ボルダリングとかするの?」
…突っ込むの、そっちか。
実は、あのジムに初めて行った時に体験して以来、ボルダリングはしていない。
あたしが行ってるのは、もっぱらトランポリンフィットネスの方で…
ただ、なんとなく言いづらいというか、面倒くさくて、
「たまに…週一くらいで、通ってるんです。運動不足だから…」
と、曖昧な返事をした。
これ以上、この話題、突っ込まないでくれるかな。
ただ、マイケルさんから注意がそれたのはよかった。
そのまま、他愛もないことを、ポツポツとしゃべっていると、ジーズに続く階段に人の気配。
「お待たせしてすいませんね。今、下のお店に連絡したら、もう上に行ったはずです、って言われましたよ」
アイドルみたいな笑顔で現れたのは、ウィンガーの須藤さん、だった。
自分の見た目が人を惹きつけることを知っている、華やかな笑顔。
未生ちゃんのそれと共通するものを感じる。
印象を強く与えるのを見越してか、ゆっくりした足取りで、階段を降りてくる。
なんか…ドラマっぽい演出だな、と、あたしの中の皮肉屋成分が呟いた。
キレイな顔。整った動き。
これで、翼を出したら…絵になるだろうな…
そんなことを考えながら、でもあたしは目を逸らした。
須藤さんの視線が、真っ直ぐあたしに向いていたから。
「水沢凪さん、ですね」
そばへ来るなり、アイドルスマイルのまま、そう切り出す。
「まさか、こんなところで野宮れい子クラスの出身者に会うとは、思いませんでしたよ」
首筋に走ったザワザワという感覚が、全身に降りてきた。
野宮れい子。れい子先生。小学校。5、6年の時の、あたしたちの担任。
小柄で丸顔で、いつも髪は一つ結び。
だいぶ年配に見えていたけど、当時40代半ばだったはずだ。
あたしが思い出すのは、ニコニコ笑う顔ばかりだけど…
キョトンとしていた桜木さんが、
「あ!小学生が立て続けに発現したクラスの…最初の2人の担任!…って、凪ちゃん、あのクラスだったのか?」
大きな声を出す。
「あれ、でも地元、未生と同じなんだよな?」
そう、未生ちゃんには小学校まで絵州市にいたことは言ってあるけど、それが例の八川小学校だとは言ってない。
「中学になる時に引っ越したんです。それっきり…」
あたしは思い切って、須藤さんの顔を見た。なんの悪気も無さそうな、人懐こい笑顔。
桜木さんは、ちょっと驚いているみたい。
「あまり、自分から話題にするような話でもないので。…アイちゃんから聞かれましたか?」
「うちの部下が、いろいろ話聞いてもらったみたいですね。ご迷惑かけたんじゃないかって、気にしてましたよ。彼女の方のことは、私の方で出来る限り対処しますので、安心してください」
ニッコリ笑う須藤さん。ぱっと見は、親切ないい人そうなんだけどな…
桜木さんが、何か言いたげにあたしたちを見比べている。
でも、須藤さんは
「後で説明するよ。水沢さんをいつまでも外に立たせてるわけにいかないでしょ。水沢さん、ジーズで少しお話しを聞かせて下さい。お友達も来てますから」
そう言って、それ以上桜木さんに説明はしなかった。
『臨時休業』の張り紙がされた入り口ドアを開けた途端、
「ナッピ!」
未生ちゃんが、駆け寄ってくる。ふんわりと、お酒の匂い。
奥の方のテーブル席にいる女の人は、そんなあたしたちに目もくれず、うなだれていた。泣いている…
未生ちゃんは、桜木さんの方を見ようともしなかった。
あたしをテーブルの方へ引っ張って行くと、
「彩ちゃん、この子がナッピ。ここの下の居酒屋さんでバイトしてるの」
そう言って、うなだれる友達を励ますかのようにあたしを紹介する。
顔を上げてこちらを見た彩乃さんは、予想通り、可愛らしい人だった。
涙でマスカラは落ちてるし、化粧も崩れちゃってるけど、元がカワイイ人は、どんな状態だってカワイイのだ。
未生ちゃんほど、人目を引く美人、というわけではない。だけど、グループアイドル的な、万人受けする可愛らしさ。男子には、相当モテるはず。
未生ちゃんは、あたしを押し込めるようにように席に座らせ、自分は彩乃さんの隣に、寄り添うように腰を下ろした。
酔った勢いも加わってか、興奮気味に事情を話し始める未生ちゃんを、須藤さんも桜木さんも止めないので、しばし流れに任せる。
こんな時の未生ちゃんは、下手に諭したりしない方がいい。
やがて、須藤さんが、話の切れ目を見て声をかけてきて、あたしはカウンターの、愛凪ちゃんの隣へ移動した。
未生ちゃんの、まだ不満そうな視線が追いかけてくる。
桜木さんもカウンター席に来ようとしたけど、
「もう一回、よく話すといいよ」
須藤さんのその一言で、仕方なさそうに、
未生ちゃんの前にーあたしが座っていた席にー腰をおろした。
須藤さんと愛凪ちゃんに挟まれて座り、居心地の悪いこと、この上ない。
さらっと、当たり障りない質問だけで、済めばいいんだけど…
須藤さんから、改めて名刺を渡され、そのまま出しておいていいものか、すぐしまった方がいいのか、ちょっと迷った。
名刺もらうことなんか、ほとんどないし。
とりあえず、バッグにしまっておこう。
あたしの一挙手一投足が見られているようで、緊張する。
須藤さんの顔は、相変わらずにこやかだ。なんというか…そつのない、笑顔。
「立山尚さんについては、だいたいのところ伺ったので、確認程度なんですが…」
須藤さんのその言葉通り、ナオさんに関しては、大したことは聞かれなかった。
少し、拍子抜けするくらい。
「…だから、そういう危険もある仕事で…」
テーブルの方で、ボソボソと喋る桜木さんの声が耳に入る。
未生ちゃんは、あまり声を落とさず、自分が受けたショックを語り続け、彩乃さんは、ほとんど口を開かない。
須藤さんの耳にも、会話の内容は全て聞こえているはず。
でも、そんな素振りは見せず、自分がウィンガーであると、あたしに言う気もないみたい。ならば、あたしも知らないふりを決め込むしかない。
「立山さんについてお聞きしたいことはこれぐらいです。それで、後はー」
須藤さんが愛凪ちゃんの方を見たので、なんのことかは、だいたい想像がついた。
「彼女のお兄さんの件、ですが…」
やっぱりね…
「すみません。ほんとに…ご迷惑かけて」
そう言って、頭を下げる愛凪ちゃんは、チラチラとテーブルの桜木さんを気にかけている。
あまり聞かれたくないんだろう。
「あの…この間、水沢さんと本郷さんに会ったこと、話しちゃったんです…すいません。本郷さんにも黙ってて欲しいってお願いしたのに」
愛凪ちゃんは、俯いて、申し訳なさそうに、そう続けた。
「ああ、大丈夫だと思いますよ。そういうの、気にするタイプじゃなさそうだから」
愛凪ちゃんには、そんなこと気にして欲しくない。こちらには隠し事をしている負い目がある。だから、極力軽い感じでそう言った。
実際、本郷が気にするかどうかなんて知らない。だけど、こういう事態になった以上、後から繋がりが分かって、変な詮索されるより、早めに事実は表に出しておいた方がいい。
本郷も、それには同意するはずだ。
「もう聞かれたかもしれませんが、海人さんについては、アイロウに所在不明届けを出しました。警察にも捜索願いを出したので、何か進展が有れば、と期待しているところです。真壁和久さんにも伺ったんですが、同級生で連絡を取り合っている人は思いつかないようで。水沢さんは、どうです?」
当然、あたしは首を振った。
それにしても…うちのクラスの男子、妙に連帯感あるんだよな〜
あたしがここで、
「その真壁さんのところに、カイはいますよ」
と、暴露したらどうなるんだろ…
須藤さんの、穏やかで余裕のある顔が、どう変化するのだろうとか、ひねくれたことを、あたしは考えていた。
「私、友達2人しかいなかったので」
まあ、ひとまず、あたしは部外者だということを言いたくて、そう言ったら、須藤さんの表情が微妙に変わった。
「え、ああ、2人…」
なんだ…?あたし、変なこと、言ったかな…?
「1人は私と同じで、小学校卒業と同時に引っ越して…それっきりです。もう1人は最初は暑中見舞いとか、年賀状とか出してたけど…1年くらいで連絡しなくなりましたね。あ、うち、高校入るまでスマホとかタブレットとか買ってもらえなくて。友達との連絡手段って、あまりなかったものですから…。だから、小学校の同級生とは全く、関わりなくなってました」
そんな説明で、納得してくれただろうか。
「なるほど。同じ大学の本郷さんしか、今は連絡取れる相手はいない、ということですね」
ええ。彼とも関わり合わない大学生活を送りたかったですが。とはもちろん口に出さず、あたしはただ頷いた。
あたしを見る須藤さんの目が、まだ探るような光を宿しているのが気になったけど、それ以上は、同級生についての質問はしてこなかった。
「ナッピ、私、彩ちゃんのところに泊まる。一緒にいてあげたいから」
須藤さんとの話が一段落して、テーブル席に近付いていくと、未生ちゃんがそう言った。
「えっ、明日、講義あるんでしょ。私は大丈夫だから」
彩乃さんは首を振ったけど、
「いいってば。このままだと一晩中寝ないで、泣いてそうだもん」
未生ちゃんは引く気はなさそうだ。
涙で、さっきよりも更に腫れぼったくなった瞼の彩乃さんを見れば、あたしも未生ちゃんの意見に賛成だった。
「うん、あたしもその方がいいと思う。一緒にいてあげて」
彩乃さんの目が、また潤んだところを見ると、本当は一人になりたくなかったのだと思う。
あたしの事情聴取は終わりらしいし、未生ちゃんと彩乃さんは須藤さんが送ってくれるというので、あたしも帰ることにした。
桜木さんが、地下鉄まで送ろうかと言ってくれたけど、この時間に帰るのは慣れている。丁重にお断りした。
早いところ本郷に連絡しないと…




