ジーズ・バー
予想通り、あたしたちはジーズ・バーに向かうことになった。
上司に連絡を入れるという桜木さんをおいて、愛凪ちゃんと2人、お店へ向かう。
愛凪ちゃんは、気まずそうで、口数が少なかった。
言ってないことや、言えないことがあって、心苦しいのはあたしも同じ。
ぎこちない空気のまま、黙々と2人で歩いた。
「お店、あたしも行って話そうか?マスターと顔見知りだし」
鮮昧の近くまで来た時、あたしはそう提案してみた。愛凪ちゃんはホッとした顔になる。
「あ…はい。助かります。あの…すいません、なんか急に変なことに巻き込んで」
会話も笑顔もぎこちないままだけど、愛凪ちゃんはカイの行方についてを警察に相談したことや、かべっちこと、真壁くんに会ったことなどを教えてくれた。
その過程で上司の人に相談し、あたしの名前を出したことも、ちょっと申し訳なさそうに、打ち明けてくれた。
この間みたいに、肩に力の入った喋り方になっている。
上司って、"須藤さん"のことだろうか…
笑顔を作りながらも、不安がよぎる。
愛凪ちゃんの話を最初に聞いた時は、警察やアイロウに相談するべきだと思ったけれど、本郷や真壁くんが関わっている事情を聞いてからは状況が変わっている。
本郷の言う通りならば、もう少し…そっとしておいてくれれば、事態はソフトランディングするということ。
でもこの流れだと…カイ、早く出てこないと、大ごとになりそうだよ…
「すいません、この間、水沢さん達に会ったこと、言ってしまってもいいですか?なんか、隠してると、その…」
愛凪ちゃんは更に追い討ちをかかてきたけど、それについては、あたしも覚悟ができていた。
「その方がいいかもね…早めに言っちゃった方が後々、面倒なことにならなくてすみそうだし。あたしもなんか、知らないフリし続けるの自信ないし」
ここで知らないフリして、辻褄合わなくなったら、後から弁解するのは余計に面倒だ。
「ホント、すいません!なんか、いろいろ巻き込んでしまって。今回の…さっきのウィンガーの人のことでも…いろいろ聞かれると思うですけど、もしかしたら、お兄ちゃんのこともまた、上司の人に話聞かれるかもしれないし…」
「いえ、そんな謝らなくていいですよ。でも、ウィンガー捕まえたりする仕事してるとは…」
まだはっきり対策室に勤めているとは聞いていないけど、もうごまかしようもないでしょ、という意味で言ったつもりだったけど、愛凪ちゃんの目元がキツくなった。
「捕まえるんじゃありません、保護です」
…へえ、そう教えられてるんだな…
「保護、そっか、なるほど…」
保護、ね。何から守ってくれるのか知らないけど。
ジーズ・バーのドアを開けると、微かに音楽が漏れてきた。
すぐに視界に入ってくるテーブル席には誰もいない。
「こん…ばん…わ」
そっと左手のカウンターの方を見るが、そこにもお客さんは誰もいない。
「ああ、凪ちゃん」
カウンターの向こう側で、タブレット端末をいじっていた元太さんが顔を上げた。
あたしの後ろの愛凪ちゃんを見て、首を傾げる。
「お客様、かな?」
少しわざとらしい仕草と声の調子。ああ、本郷から情報が入ってるんだな、と直感した。
緊張気味の愛凪ちゃんには、その不自然な感じは伝わっていないようだ。
「あの、ナオさんが、ちょっと…トラブルに巻き込まれて…」
そう言うあたしも、愛凪ちゃんに怪しまれないかと、ヒヤヒヤしている。だから、鮮昧に行って、先に事情を説明してくる、という理由で、早々に退散した。
じきに、桜木さんも来るだろう。
ここはひとまず元太さんにお任せしよう。
先程の顛末を説明し、ナオさんがウィンガーらしいことを(言っていいか迷ったけど、多分すぐに分かることだと思ったので)店長に話すと、予想外に大興奮された。
「まず必要なこと話してこないと!。ウィンガー捕獲に協力するのは、国民の義務でしょう!」
国民の…義務…?
予想外に気を吐く店長の勢いに飲まれ、あたしは追い出されるように、鮮昧を出た。
「い、忙しい時は呼んで下さいっ」
一番年の近い厨房スタッフになんとかそれだけ言って。
今度は従業員用の裏口から、そっとジーズを訪れる。
愛凪ちゃんは、途方に暮れた顔で、ソワソワと店内を見渡していた。桜木さんは、まだ来ていない。
16、7歳の女の子をバーに1人きりにするのは可哀想だったな、と少し反省。あたしだって一人でバーに入ったことなんかないのに。
あたしの顔を見ると、愛凪ちゃんも、元太さんも表情を緩めた。
元太さんも、どの程度話していいものか、戸惑っていたのかもしれない。
「お客さん来たら…」
込み入った話はここではできない、と言おうとしたけど、
「臨時休業にしちゃったよ」
元太さんは、アンニュイな微笑みを浮かべながら、あっさり言った。
「日曜日はお客さん、少ないしね」
正直なことを言えば、週末だってジーズの席が満席というのは聞いたことがない。
学生のあたしだって、経営が大丈夫なのか時々心配になるほど、ジーズはゆったりと時間を過ごせるお店なのだ。
愛凪ちゃんは、なんとかナオさんのことを説明し終えていたようだ。
カウンターに座り、あたしが捕捉する間に、元太さんはウーロン茶を出してくれた。その間、愛凪ちゃんに気付かれないように、チラチラとあたしと元太さんはアイコンタクトを交わす。
元太さんの驚き方はちょっとオーバー気味に感じたけど、愛凪ちゃんが不審がる様子はない。
ちょうど、一息ついたところで、店のドアが開いた。
さっきより落ち着いた桜木さんの顔がそこにあった。
さっと店内を見回し、元太さんへ視線を走らせる。軽く会釈しながら、相手を見定めているのが分かった。
カウンターに座る、愛凪ちゃんとあたしを見て、唇の端になんともいえない苦笑を浮かべる。
今まで見たことがない、ちょっと小馬鹿にした笑い方。…苦手だ。
元太さんと名刺の交換をし、桜木さんは状況説明と、事情聴取を始めた。
手慣れた様子で、質問をしていくが、愛凪ちゃんの話はあまり聞こうとしないし、まともに視線も向けない。
あたしは、聞かれるまでは何も口を挟まずにおこうと決めていた。
「我々は専門家ですので、翼が見えてない時でも、ある程度ウィンガーを判別する手段を持っているんです…」
……そうだ、普通の人なら、まずそこに疑問を持つはずだった!
あたしは、シーカーだという前情報を知っているだけに、あっさり受け入れちゃってたけど!
……ツッコミが入りませんように…
桜木さんと元太さんの会話をドキドキしながら見守った。
「履歴書、あれば見せてもらいたいんですが」
桜木さんに頼まれて、元太さんが奥のスペースへ消えると、
「あの…あたし、いた方がいいですか?鮮昧の店長には、簡単に事情説明してきたんですけど」
なんとか早めにここから立ち去りたくて、あたしは身を乗り出した。
「ああ、今日バイトだったんだよね。うちの上司の人があと30分くらいで来れるから、そしたらちょっと話聞かれるかもしれない。店の方、大丈夫?」
やっぱり、そうなるのか…
仕方なく、あたしが頷くと、桜木さんは未生ちゃんといる時のような笑顔を作ってみせる。
なんか、今は…さわやかな笑顔には見えない。
「助かるよ。あ、そういえば、さっき約束って言ってなかった?」
ギクっと喉の奥が震えた。
えーと…えっと…そだ!
「あ…あの、未生ちゃんが…」
「え、未生?!」
桜木さん、身を乗り出してくる。
「未生ちゃん、今日、友達とゴハン行くって言ってませんでした?」
「ああ、なんか中学校の時の友達と会うって」
ちょうどいい、言い訳ができてよかった〜
「その友達が、立山さんの彼女さんなんです」
「え?!」
「一緒にゴハン食べてから、彼氏が働いてる、ここに来るって…。あの時もちょうどその話してたんです」
「…マジか…」
桜木さんの表情が、驚きから段々、険しくなってくる。
ここで未生ちゃんに会いたくないのは、明らかだった。
「こちらですね」
元太さんが奥から、ファイルを持って出てきた。
「今は、彼女と一緒に暮らしてるらしいんですよ。その彼女が、もう少ししたら、来る予定だったんですが」
下手に隠し立てするよりも、知っている情報は提供した方がいいと判断したのか、元太さんは聞かれる前からそう言った。
「さっき、聞きました。その女性と一緒に来る予定の友達が、実は、私の知人で」
桜木さんがそう応じると、元太さんの眉がグッと上がる。
「ホントですか!それはまた…世間は狭いですね…」
履歴書を見る桜木さんの目がわずかに細まった。
「ホストクラブから、ここへ来たんですか」
ナオさんに対して、明らかにいい印象を持っていない声音。まあ、あんな逃げ方した時点で好印象を持ってもらえるはずもない。
「ええ。ここから…歩いて10分もかからないところにある…なんだっけ、ああ、スパークルって言う店です」
元太さんは淡々と、だけどナオさんが、ちゃんとした人であることを訴えるように、身の上を語った。
所々ー実家が大阪だとか、借金があるとか言う話ーは、あたしも聞いたことがあったけど、なかなかハードな生い立ちらしい。
「親御さんが立山くんの名前使って借金してたみたいで…今の彼女と付き合うようになって、借金も返す目処がついたんで、やめることにしたって…」
あまり人に聞かれたくない話だろう。てか、あたしが聞くべき話ではないと思う。
居心地が悪くて、仕方なく、出してもらったウーロン茶を見つめていた。
話しているうちに、カウンターの固定電話が鳴った。
「ああ、下からだ」
表示を見た元太さんが、下を指差す。鮮昧からのようだ。
受話器を取った元太さんは、ひとこと、二言話しただけで、桜木さんの方を見た。
「団体さんが来たみたいで、出来れば凪ちゃんに来て欲しいそうなんですが」
桜木さんは、時計を確認してから頷く。
「もうそろそろ、上司がくると思うんだけど…うん、凪ちゃんから話聞くのは後でも大丈夫だから。仕事終わったらまた来てくれるかな?」
というわけで、あたしは居心地の悪い思いをしただけで、バイトに戻ることになったのだった。




