さなえちゃんを探しに
お引越しはとっても大変。
だって私は洋服をたくさん持ってるから、それをぜーんぶタンスの中にしまったり、靴もまとめたり、お化粧道具のこまごました物もみんな段ボールにしまわなければならないでしょ?
お母さんが手伝ってくれて、大切なものをぜんぶ段ボールに入れた。もしかするともうちょっと小さなおもちゃが出てくるかもしれないって、お母さんは段ボールの上を他のみたいにガムテープではとめないで、軽く閉めただけだった。
◇
お引越しをしてしばらく、段ボールは必要なものから開けていくから、私の入ってる段ボールが開けられないことはよくあること。それはわかってる。今までだって、さなえちゃんのお引越しのたんびに、段ボールが開けられるのをいい子で待っていた。
だけど、今回は何か違う。
お引越し先に着いても、さなえちゃんの声が聞こえないの。
段ボールの中は真っ暗なまま。
「ねえ、まだかなあ」
小さい声で言うと、段ボールの中が少しごそごそって動いたような気がした。みんなが気づいたんだ。
「こら、リカ、静かにしてなきゃダメでしょ」
近くでお姉ちゃん、リエちゃんの声がした。リエちゃんと私はいつも一緒。本当は私のほうが先にさなえちゃんの家に来たんだけどね。
「うん」
私たち人形は、人間たちに動いたり喋ったりしているところを気づかれちゃダメだから、普段は大人しくしてるんだけど、今は真っ暗だし、段ボールの外に誰かがいる様子もないから大丈夫だと思ったんだけど。しょうがないから静かにしてよーっと。
それからしばらくの間、静かにしていた。
私だけじゃなくて、リエちゃんも、一緒に段ボールに入ってるはずの双子の妹ミキとマキも微動だにしない。
しばらくの間って言ったって、私たちにはどのくらいの時間なのかわからない。時計も見えないし、光も入ってこないし、それに多分人間とは感じ方が違う。だから、もしかすると引っ越ししてから数日って思ってても、ひと月も一年も、もしかすると数年も経っているかもしれない。
そこまで考えて、急に気になった。
「さなえちゃん、私たちのこと、いらなくなっちゃったのかな」
私たちおもちゃが一番怖いこと、それは私を大事にしてくれる子どもが大きくなってしまうこと。ううん、大きくなったって良いの。だけど、何も言わずにさよならするのは、とっても辛い。
今までさなえちゃんが遊んでくれたおもちゃだって、小さい従姉に貰われていった子もいるし、小さくて汚くなっちゃったから捨てられた子だって勿論いるの。だけど、さなえちゃんは捨てる時だって「今までありがとうね」って言ってくれたもん。だから、私たちだって「こちらこそ、遊んでくれてありがとう」って気持ちでいたのに。いつだって、そうやってさよならする準備はできている。子どもはいつか大きくなるってわかってるから。
だけど、何も言わずに捨てられちゃったのかもしれないって思ったら、寂しくてたまらなくなっちゃった。
「そ、そんなぁ」
暗闇からミキちゃんとマキちゃんの泣き声が聞こえてきた。
「こらリカ、そんなこと言っちゃダメ!」
お姉ちゃんにも怒られた。でも、
「そうですねぇ、もう、三年になりますからねぇ」
少ししわがれた声がゆっくりと言うのが聞こえた。
「のんびりクマさん!? クマさんもこの段ボールにいたの!?」
そんなバカな!
のんびりクマさんは、さなえちゃんの一番のお気に入りの柔らかぬいぐるみで、いっつも一緒に寝ていたのに。手放すはずがない。
「クマさん、本当に三年も経ったの?」お姉ちゃんが聞いた。
「そうですよ。どうやらさなえちゃんの新しいお家には来たようなんですけどねぇ、あれからもう、三年と半年ですねぇ」
「そんなに!?」
私たちは、リエちゃんですら、つい大きな声で叫んでしまった。
あれからもう三年半も経ったのだったら、さなえちゃんは中学生、ううん高校生になってるはずだ。
もう子どもじゃないんだ。
引っ越しで私たちを段ボールに入れて連れてきたものの、やっぱりいらないって思うくらいオトナになっちゃったんだ。
「じゃあ……仕方がないね」お姉ちゃんの声が寂しく響いた。
仕方がない。
それは、私たちがもう、いらなくなっちゃった、ってこと。
さなえちゃん、ずっと私たちと遊んでくれた。
幼稚園の年長さんの時に、私が初めてさなえちゃんに会った時から、私はさなえちゃんの宝物だった。とっても嬉しそうに私のこと抱っこしてくれた。
小学一年生の時のクリスマスには私の洋服をたくさん買ってくれた。普段着のミニスカートが大好きで、よくスカートめくりされたけど、いつの間にかパンツまで買ってくれてた。
お誕生日や何かイベントがあると、ドレスも買ってくれた。
2年生の時のクリスマスプレゼントにすごい立派なお家を買ってくれた。2階建てで上の部屋にもベッドがあったから、それでリエちゃんが一緒にやってきた。
3年生の時にはミキちゃんとマキちゃんもやってきた。
その頃にはもう、さなえちゃんのお友達が遊びに来ても、お友達は「ええ~、リカちゃんでなんか遊んでるの~?」って言ってたけど、さなえちゃんは全然気にしないで、友だちに私のこと貸してあげて、一緒に遊んでくれた。そしたらお友達はさなえちゃんの家に来るたびに、私たちとも一緒に遊ぶようになった。
さなえちゃんはずっと私たちと遊んでくれた。
時には外に連れてってくれたこともあった。風船の紐にくくってお散歩したこともあった。あれはすっごく怖かったけど、楽しかった。
お引越しが決まって段ボールに入れる時も、ちゃんとベッドに寝かせてくれた。また遊ぼうねって言いながら。
今までありがとう。
言えなかったけど、さなえちゃん、ありがとう。
……なーんて、辛気臭くなると思ったら大間違いよ!
さなえちゃんの新しいお家に来たってんなら、探し出して一言モンクも言ってやらなきゃ気が済まないわ!
「私、ちょっとモンク言ってくる!」
暗闇の中、立ち上がると天井に頭をぶつけた。
「え、リカちゃん、何言ってるの?」
「だから、モンク言ってくる。遊ぶ気もないのにずっと段ボールに入れっぱなしなんて、酷いじゃん。捨てるなら捨てるで思い切ってくれて良いって言ってくる」
「やめなよぉ」双子の妹に言われた。
「さなえちゃんいなかったらどうするの?」
リエちゃんにも反対されるかと思ったら、そうでもなかった。でも鋭い。いなかったらどうしよう。
お引越ししてさなえちゃんが飽きたから段ボールから出してくれないんじゃなくて、さなえちゃんがいないって可能性もあるよね。
「それも含めて、さなえちゃんを探してくる!」
「じゃあ、ぼくも一緒に行きましょう」
と、クマさんがついてきてくれることになった。
◇
段ボールから出るのは簡単だった。
もともと段ボールのふたはほとんど開いていたし、私のお家から手を伸ばせばもう天井だから。それにクマさんが一緒だから、段ボールから飛び降りる時もクマさんの上に着地させてもらえた。さすがクマさん。柔らかすぎる。
「見つかっちゃダメよ、気を付けてね」
段ボールから出ると、お姉ちゃんの声が聞こえた。お姉ちゃんは私たちが段ボールに戻ってきたとき登れるように、お洋服をつなげてロープを作っておいてくれるんだって。
段ボールから出ると、うっすら明かりが見えた。そっちに行けばどこかのお部屋に出られそう。
クマさんと一緒にゆっくり歩いて行く。
明かりは一筋、たぶん扉の隙間なんだと思うけど、そこまでたどり着くのも簡単だった。
だけど、この扉を開けるのはどうしたら良いの? 私はこんなに小さいし、クマさんは柔らかすぎるし、押しても引いても扉が動く気配がない。
仮にこの扉がうまく開いたとしても、ここがどこかの棚の上とかで、うっかり落ちちゃったら今度は元に戻れなくなっちゃう。
行くってことは、帰りのことも考えなきゃならないんだわ。
そんなこと言っても、とにかくここが開かなきゃ何も始まらない。そーれ!
― ガタ、ガコ!
と、扉が開いた~~あ~~~れ~~~~~~~~~!
扉が開いた勢いで私は下に落ちてしまった。
― カタン
「あら?」
かなり高いところから落ちたみたい。人形だから痛くはないけど、目が回って硬直しちゃった。でもそれが良かったみたい。
気が付くと私は誰かの足元に落ちていた。
お母さんだ。さなえちゃんのお母さん。
「リカちゃん? ひっかかってたのかしら」
お母さんは落ちた私を摘まむと顔の高さに持ち上げた。
お母さん、だよね? お顔がずいぶんしわしわになっちゃって、髪の毛もグレーになってる。あんなにはつらつとしていたお母さんなのに、いつの間にか落ち着いたおばあちゃんになってる。
「落としちゃってごめんなさいね。もうちょっと待っててね」
お母さんはそう言いながら、手を伸ばして私をポイと段ボールに戻した。ああ、なるほど、ずいぶん高いところに段ボールがあるんだわ。
「あったあった、クマさん探してたのよ」
そういう声が聞こえたと思ったら、ガコと扉の音がして辺りは暗くなった。
「お帰りなさい。ずいぶん早かったわね」
「……ただいま」
お姉ちゃんはまだ洋服ロープを作っていなかったみたい。急に私が段ボールに放り込まれたものだから、慌てていつもの人形に戻ってた。
「見つかっちゃったの?」
双子の妹に聞かれた。
「うーん、動いてるところは見られてないと思うけど」
「さなえちゃんには会えた?」リエちゃんに聞かれた。
「ううん。さなえちゃんじゃなくて、さなえちゃんのお母さんに拾ってもらった」
「じゃあ、失敗だったの? クマさんは?」
「クマさんはお母さんが連れてった」
私がそれだけ言うと、みんなは黙ってしまった。
結局失敗だったからだ。みんなは少し期待していたんだと思う。もしかすると、私のことを見たさなえちゃんがみんなのことを思い出して、段ボールから出してくれるかもしれないって。
だけど、私は失敗して箱に戻された。
私はこんなちっぽけな人形だし、たとえ動けたって何にもできないんだ。
お母さんはクマさんを探して連れてったけど、私のことは箱に戻した。もう用がないからだ。
ああ。
さなえちゃん。
本当に、さようならだね。
今度こそ分かった。辛気臭く、心の中でさよならを言うよ。
私たちはそれから、暗い段ボールの中でじっと眠った。次に出される時は、ううん、もしかすると箱から出されないで捨てられちゃうかもしれない。
だから今のうちに言っておくの。心の中で、さなえちゃん、バイバイってね。
◇
「えーっと、どれだっけ、小さい段ボールだよね? これかな、奥に入っちゃってるやつ。よっと!」
段ボールが揺れるのを感じて私は目を覚ました。
なになになに、何事!?
「よーし、これこれ」
誰、さなえちゃん? それにしては声が大人っぽいけど。
段ボールはずっと誰かに運ばれてるみたい。もしかしてこのままお引越し? 前のお引越しからまだ一度も開けてないのに。
そうこうしていると段ボールはどこかに置かれた。
「はい、エミリ、そこに座ってね」
「はーい」
子どもの声が聞こえる。小さいころのさなえちゃんの声とそっくり。
「幼稚園入園おめでとう!」
パッと段ボールが開いて光が入ってきた。
覗き込む小さな顔と大人の顔。
「うわあ~、リカちゃんハウスだ~!」
「大事にしてね。ママの宝物なんだから」
そう言いながら大人が私を持ち上げる。
さなえちゃん!? まさか、さなえちゃん大人になったの? て、ママ!? さなえちゃんが!?
さなえちゃんからエミリちゃんに私が手渡されると、小さくて柔らかい手が私を掴んだ。そしてそのままギュっと抱っこされる。
「うわあ~、やったー。ママありがとう!」
本当にさなえちゃん、ママになったんだ。
さなえちゃんは私のお家を段ボールから取り出して家の扉を開いたり、ドレスを出したりしている。リエちゃんのことを立たせて手を振ってる。
「この子もリカちゃん?」
「この子はリエちゃん。リカちゃんのお姉ちゃんで、スチュワーデスさんよ」
「可愛い~! リカちゃん、リエちゃん、よろしくね!」
エミリちゃんに抱っこされて、私とリエちゃんはウィンクをした。
さなえちゃんにまた会えた。よかった、また会えて。
さなえちゃんは大人になったけど、私たちを捨てはしなかった。少しの間会えなかったけど、心の中にはずっと一緒にいたんだ。
私たちはさなえちゃんの宝物。
そしてこれから、エミリちゃんの宝物になる。
エミリちゃん、こちらこそ、これからもよろしくね。