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天秤

 カブトにはいよいよ、ウィードの目的が理解不能だった。

 ゲームをしようと彼は言った。なぜ、カブトとゲームをするのか。そもそも、ゲームとは何か。


「何のつもりだ」


「んん〜、つれないなぁそんなこと気にしないでよ」


 ウィードは拳銃と反対の手をひらひらさせる。そんな動作の中にも隙はなかった。何も考えていないように見えて、細かいところは徹底している。

 カブトはゲームとやらに参加する以外に選択肢がないようだった。


「それじゃ説明するぜ。そうだなぁ、名前を付けるとしたら『天秤ゲーム』だ」


「天秤ゲーム……?」


「そうそう。キミの価値観の天秤を、そして、オマエの正義感の天秤を歪めるゲーム」


 ウィードはズボンのポケットからリモコンを取り出す。無機質なそれはテレビのそれというにはあまりにもボタンが少なく、優しさが感じられなかった。


「これね、起爆装置」


「――!!」


 あっけらかんとされたリモコンの説明に憤るカブト。ふざけた人間だとは思っていたが、限度があるだろう。

 カブトはすでにゲームへの参加意思をなくしていた。こんな問答をする時間があれば、さっさとこいつを叩きのめすべきだ。


「――叩きのめす? やめときなよ。オレ、もう街全体に爆弾ばら撒いてるから。ボクを殺そうとした瞬間、この街はボンだよ」


「……ハッタリだな」


「ふぅん、じゃ試してみる?」


 睨み合う。カブトの殺意を受けてもウィードの瞳は揺れない。例えハッタリだとしても、それを証明することはこの場ではできなかった。

 街の人間全員が人質。つまりカブトはゲームに参加しながら、ウィードの隙を突いて起爆装置を奪う必要がある。


「……わかった。それで、そのリモコンがなんだ」


 殺意をどうにか飲み込み、話の続きを促す。そうこなくちゃ、と続きを話すウィードは楽しげだった。


「このリモコン、ボタンがふたつあってさ。それぞれ別の爆弾を起爆できるんだよね」


 言いながらリモコンにふたつのボタンがあることを見せて確認させる。無論、そのふたつが別々の爆弾を起爆できるとは限らない。すべてがハッタリという可能性もある。

 だがウィードの瞳に宿るその狂気を感じてしまえば、嘘として投げ捨てるのもリスキーな気がしてしまうのだ。そう思うことがすでに相手の術中に嵌っているのかもしれないと思いながらも、カブトは首肯して次を促す。


「ひとつはさっきの女。もうひとつは本物の元カレくんに付けてある」


「ふざけるな! そんな、出まかせが!!」


「出まかせだと思う?」


「――くっ」


 また、この顔だ。

 きょとん、と。何で自分を信用できないのか不思議がるような顔。その前提が当たり前であることを肯定できないカブトに疑問すら抱いているような顔。


「例えば、この変装をするためには元カレくんの情報が必要だよね? だからボクは必ず彼に接触してる。その時に爆弾を付けてあるとは思わないかな?」


「――――」


「女の方だって、ひと突きで殺さずに敢えて逃した。それは爆弾を取り付けることができたから、とか」


 自身の危険性を説くように、淡々と話すウィード。そのすべてが事実に思えて、おいそれと話を打ち切ることもできなかった。


「……クソッ」


 ふざけた説得力だ。すでにカブトはこの男の手のひらの上にいる。今はまだ、その上で踊ってやるしかない。


「それで僕に、何をさせる気だ」


「話が早くてオレは助かるぜ。つまりあれだ、選んでもらうんだよ」


「選ぶ?」


 嫌な予感がした。

 ふたつの爆弾。天秤ゲーム。選んでもらう。それはつまり――。


「ふたりのうち、どっちを殺してどっちを生かすのか。カブトが選んでよ」


「――――」


 どこまでも人を馬鹿にしたゲームだった。命を弄ぶというのはこういうことだろう。どうして殺意を抱くことなく人を殺せるのか、カブトには不思議に思えてならなかった。

 この男は生かしていてはならないのではないか。カブトの本心すら、湧き出す感情に流されそうになる。自身の負の感情に飲み込まれそうになる。


「これ、丁寧なことにGPSがついてるからさ、それぞれの位置情報を教えてあげるよ。どっちか選んで、爆弾を外しに行ってあげな」


 そう言って、ウィードは二人の居場所を話した。女は帰路についた後まだ家に到着しておらず、住宅街を歩いている。男の方はホテルに泊まっているらしかった。


「選びなよ。キミが正しくあろうとする限り、ボクがその無意味さを教えてあげよう」


「――くっ」


 再びその背に黒の翼を生やす。時間がなかった。最短距離で女の元へ行き、その後ホテルへ向かう。それしかない。

 とにかく加速する。弾丸のように速く空を飛んだ。だけどそれは自身の考えを振り切るためでもあって。


「違う! 女の方が近いから、先に向かうだけだ!! 決して、人の命を選んだわけじゃない!!」


 カブトは人の命に優劣をつけたりなんてしない。すべての命は平等なはずだ。例え少しの間違いを犯したとしても、それで死ななければならないということもないだろう。

 そうだ。だから、優劣をつけたわけではないのだ。ふたりともを救うために、その手順として、先に女を救うこと選んだだけなのだ。

 ――本当に? 男が浮気したという事実に対して、お前は本当に負の感情を抱かなかったのか?


「黙れ!!」


 心の声に蓋をして、さらに加速する。

 そして眼下に女が歩いているのが見えると、目の前へ降下した。


「きゃあ!?」


「悪いな、ちょっと確認させろ」


 腕を引き、こちらへ寄せるとポケットや上着の裏をめくって爆弾の存在を調べ始めた。女は無遠慮なその態度に憤り、離れようとする。


「やめてください! 誰か、助けてください!!」


「僕が助けに来たんだよ、良いから黙ってろ」


 上着の内ポケットに盛り上がりが見えた。何かが入っているがゆえのものだろう。

 カブトは手を突っ込んで中身を取り出す。ウィードの言っていた爆弾はおそらくこれだ。

 ボタン電池をそのまま少し大きくしたような見た目。しかし動作中であることを証明するように青いランプが点灯していた。


「見ろ、これがあの犯人に取り付けられていた爆弾だ」


「爆、弾……?」


 それを見せられたことでようやく女も状況を飲み込めてきたのだろう。顔から血の気が引いていき、再び尻餅をついた。

 カブトは爆弾を握り潰し、破壊する。ランプは動作停止を意味するように消えた。

 それを投げ捨てると、女に向き直った。


「さっきの男は通り魔ウィードが変装していた。夜道は気をつけろよ」


 何の役に立つのかもわからない忠告をすると、またすぐに飛び立つ。何のために? もうひとりを救うためだ。

 女が暴れたために時間を浪費した。爆弾を破壊したことがウィードに伝わり、もうひとつのボタンが押される前に男の爆弾を外さなければならない。

 ホテルは住宅街からは遠く、高速道路のインターチェンジ付近にあった。

 普通に前へ飛んでも間に合わない。カブトはある程度の高さまで斜めに上昇し、ホテルを目掛けて急降下した。

 重力を味方につけ、限界を超えて速度を出す。すでにその速さに目は遅れていた。

 だが辿り着きさえすれば、救えるはずだ。救えるはずだった。


「ぐわっ!?」


 唐突に目の前で起こった大爆発。風に乗って熱が飛んでくる。それはつまり、間に合わなかったということを意味する。

 もうホテルは目前だったというのに、ボタンは押されてしまった。

 へなへなと駐車場へと降下し、炎上するホテルを無言で仰ぎ見た。隣を避難する宿泊客やスタッフが駆け抜けていく中、カブトはただ立ち上る火を眺めていた。


「やぁ、失敗したね。カブト」


 避難客の間を縫ってウィードが出てくる。すでに先程の男の服からは着替えていた。それが勝負服だとでもいうのだろうか、カブトを真似たように和装になっていた。


「て、めぇ……」


「キミは失敗した。先にホテルを救うべきだったんだ」


「……ッ」


「確かにさっきの話だと男は浮気した罪があって、どちらを救うかの二択を提示されたら選びたくないのはわかる。けどその選択が、結果的に同じホテルに宿泊していた他のお客さんたちの命を奪うことになった」


「お前が、それを言うのか……!?」


 元はと言えばすべての元凶はこの男だ。この男が爆弾を取り付けさえしなければ、こんなことにはならなかったのだ。

 だからカブトのせいでは、ない。


「逃げちゃダメだよ。キミは都合の良い時だけ、自分の負の感情に甘えるんだね」


「――――」


 負の感情が提示する言い訳に逃避しようとした。それを見事に暴かれ、カブトはウィードの瞳を見ることができない。

 否、現実を直視できなかった。

 今もなお火の手を増すホテル。この結果をもたらしたのは他でもない、カブトの選択だ。

 逃げ遅れた宿泊客や、男の連れは死亡してしまうだろう。結果的にカブトは、無関係の人間をたくさん殺した。

 その怨嗟の声が、嘆きが、呪いを通じてカブトに流れ込んでいた。

 後ろ指をさされる。黒い影の錯覚たちが、お前のせいだと合唱していた。


「僕の、せいで――」


 顔を覆う。

 カブトは確かに女を救うことができた。最初に救おうと思った人間は最後まで守り通すことができた。

 しかしそのために事件に無関係だった人間たちの死体を山のように積み上げた。

 少しずつ崩れ始めるホテル。焼けた壁が外れ、火の玉のように地面へ落ちた。

 それを合図に、楽しげに嗤うウィードは唇を下で濡らすと、指を弾いた。


「それじゃ次に行こうか」


「……は?」


「次だよ。今度は間違えないように頑張ってね?」


 ゲームは終わらない。この男はただカブトの心をへし折るためだけに、無関係の人間を巻き込み続ける。

 救わなければならなかった。

 ひとりでも多く、無関係の人々を救う必要があった。カブトが正しくあるためには、そうすることが賢明だったのだ。

 次に天秤に乗せられたのは会社員と無職だった。社会の歯車となる会社員と、何の役にも立たない無職。

 残業中だった会社員の元へ向かうと、会社に残っていたのは彼ひとりだった。爆弾を外し、ビルの窓から住宅街を眺めた時、そのうちの一軒が炎上するのが見えた。

 カブトの選択は無職の我が子を、それでも大切に育てていた家族を皆殺しにした。


『お前のせいだ』


 子どもと老人が天秤に乗った。老人ホームに暮らす老人を先に救うべきだと判断して、カブトは老人に取付けられていた爆弾を破壊した。

 それにこの二択なら、ウィードは老人の側に罠を仕込むと考えていたのだ。だがその浅はかな考えが間違いであることをすぐに知る。

 子どもはその時たまたま自宅で誕生日パーティーを開催していた。子どもの友達やその家族を何人も招き、カブトはそのすべてを皆殺しにした。


『お前のせいだ』


 次に天秤に乗ったのは人を殺し獄中で死刑を待つ犯罪者とこの街を牛耳る暴力団組織の人間だった。

 今度の天秤は意図が読めなかった。どちらも決して正義ではない。どちらも救わない選択肢を試しているつもりなのだろうか。

 そんなものに乗ってやる気はなかった。

 カブトは暴力団組織の人間に取り付けられた爆弾を破壊する。その選択が正しいのかよりも、死刑囚よりはこちらを先に救おうという気持ちが働いてしまったのだ。

 そして、その選択は正義のために働く警官たちの命を奪うことになった。


『お前のせいだ』


 気付けば無関係の人々でできた屍の山は、数え切れないほどに積み上がっていた。街中に火の手は上がり、隣町からも消防車が駆けつける大騒ぎとなっている。

 こうなると街中に爆弾を仕掛けてあると言ったウィードの言葉も嘘ではないような気がしてしまった。


「何が、したいんだ……」


 再びこちらに合流してきたウィード。この場所は遊園地だった。

 猟奇殺人犯に誘導されるように、カブトはこの場所へ来ていた。


「ほらほらカブト、おいでよ」


 手招きするウィード。それは観覧車だった。すでに閉園しているはずだが、無邪気な少年は勝手に設備を動かしているようだった。

 心も折れかかっていたカブトは、ゆらゆらとその案内に従う。呪いは今もなお、カブトの選択を糾弾し続けていた。


「どうだった、天秤ゲーム。楽しかった?」


「……あぁ、最高に悪趣味だ」


 カブトは額を抑える。このゲームを楽しめるのは異常者だけだ。人の命を何とも思わずに弄ぶことのできる異常者のみが、このゲームを楽しむことができる。

 ウィードは次の二択を考えるような目で、眼下に見える住宅街を見下ろしていた。もうやめろ、と言おうとした声も掠れて音にはならない。

 ウィードから見ればこの観覧車から覗ける景色のすべてが、雑草の生い茂った草原でしかないのだろう。その何本を引っこ抜いたところで何の感慨もない。揺れ動く感情を持たない。

 この男はただ雑草の抜き方に、今度はどんな工夫をしてやろうかと目を輝かせているのだ。

 そしてその雑草たちの天秤が、少しずつカブトの心を折る。お前のせいだと、カブトの選択を呪うのだ。

 殺してやる。お前を殺してやる。黒い影はこちらに純粋な殺意を向けていた。

 もう、はっきり言って限界だった。

 何が正しくて何が間違っているのか、カブトにはもうわからない。どちらを選んだところで、必ず誰かが死ぬのだ。そうして積み上がった死体の山は、永劫にカブトを責め続ける。

 なれば提示される選択に意味なんてなく、すべてを見捨てることこそが正しいのだと、カブトはそう考えた。

 お前のせいだ。ああ、わかっている。これまでのすべてはカブトのせいだ。

 だからもう、選ばない。どちらも選ばなければ、そもそも事件に関わることを辞めてしまえば、そこからはカブトのせいにはならない。

 それはただの、ウィードによる殺戮を受けた被害者たちだ。


「――決めた」


 ウィードが呟くのが聞こえた。無駄だと乾いた笑みを浮かべる。カブトはもう関わらない。

 助けようとしたところで誰かを殺すことになるなら、それでカブトを蝕む呪いが増すだけならば、助けようとする意味なんてないのだ。

 だからもう誰も助けない。助けようとしない。そう思って――。


「――ここでボクを殺すか、キミが泊まっている旅館の子を救うか、選んでよ」


「――――」


 思考回路がおかしくなったのかと思った。目の前の男が言ったことを正しく理解できたのかが不安だった。


「ここでボクを殺すと言うなら、ボクは旅館を爆破してからその選択を受け入れよう」


「お前、何を」


「キミがボクを殺さずに旅館に行くと言うなら、それを止めはしない」


 これまでの二択と趣向が異なる事実に疑問を覚えた。今まで以上に目論見が読めない。

 だが、こいつは街中に爆弾を仕掛けていたはず。こいつを殺そうとすれば旅館だけでなく街そのものが犠牲になるのかもしれない。

 では涼子を救うことを選んだら?

 涼子を救うことができる。それで想定されるデメリットは、なんだ。


「――――」


 こいつは何を考えている。何がしたくて、こんな二択を提示したのか。


「……そうか」


 わかった。カブトにはこの男の狙いが読めた。こいつは、カブトを試しているのだ。

 最初からずっとそうだった。こいつの目にはカブトしか見えていない。カブトの何がそうさせるのかはわからない。しかし明確に、ウィードにとってカブトは他の雑草とは異なるのだろう。

 だからカブトがどこで壊れるのかを見定めている。それを楽しみにしているのだ。

 つまり、今回の二択は。


「――僕に涼子を見捨てて、お前を殺す選択をさせようとしている」


 ウィードを殺せば、これから彼が行うことになる多くの虐殺を未然に防ぐことができる。だからここで、殺すべきなのだ。

 だけどそうすると涼子が死ぬ。ただの他人ではない。見知った仲の少女が、命を奪われる。

 ゲームのことを悪趣味だと言ったが、これはそれが極まっていた。

 ウィードはどうしようもないクズだ。ここで殺すべきだ。ここで殺さなくてはならない。だけど――。


「――涼子は、見殺しにできない」


 窓の外を眺めるウィードの肩を掴み、後ろへ投げ飛ばした。背後では身体を打ちながらもカブトの選択に腹を抱える声が聞こえてくる。

 きっとこの選択も間違っているのだろう。またどこかで、罪のない雑草が抜かれてしまうのだ。

 だけどそれでも。それでも見知った人間の命を見捨てる選択は、カブトにはできなかった。

 観覧車のドアを蹴破り外へ出る。ちょうど最も高い位置に来ていた。角度を調整しながら急降下すれば、旅館まではすぐにたどり着ける。

 カブトは振り返らなかった。ウィードの高笑いを無視して、自分の選択を呪いながら、旅館へと滑空した。

 笑い声が聞こえなくなると、周囲は静まり返る。もう時間は夜中だ。あちこちで上がる火の手と避難者や消防士の立てる音も、ここまでは届かないようだった。

 塀を超えて旅館の敷地に入り、扉を勢いよく開ける。


「涼子!!」


 その名前を叫びながら、ひとつひとつ部屋を開けていった。

 寂れた旅館だからか、宿泊客すら見当たらない。誰か人はいないのか。せめて、涼子だけでも救わなくてはならない。

 そう思う時点で、この選択をした時点で、自分が命に優劣をつけてしまっていることに気付けないまま。

 旅館を駆け回り、あらゆる部屋をしらみ潰しに探す。従業員が普段どこで生活しているのかを把握しておくべきだった。

 大声で叫んではいるが、誰も返事を寄越さない。この場所には誰もいないのではないか、そう思った時。


「カブトさん」


 背後で涼子の声が聞こえた。

 良かった。彼女だけでも助けなければならない。

 そうして振り返る。涼子もカブトの様子を不審がり、駆け寄ってきていた。

 そしてあろうことか彼女は、手に持ったナイフをカブトに突き刺す。


「な、にを――」


 腹ではない。左胸。凶刃は骨で守られている心臓を、正確に貫いている。

 それはとても、ただの高校生の少女にできるような芸当には思えなくて。


「りょう、こ……?」


 カブトは倒れる。さすがに心臓を貫かれてしまえば立ってはいられない。

 そうして涼子を見上げると、彼女はカブトがよく知る笑顔で嗤っていた。

 忘れていた。ウィードは、変装が得意だった。


「今回の選択の意図を教えてあげますね」


 涼子は、いや涼子に変装したウィードは、彼女の姿のまま悪辣に嗤ってみせた。


「今回はどっちを選んでもゲームオーバーだったんです。どの道オモチャはもう壊れちゃってたし、殺そうと思ったんですよ」


 口調も、声も、涼子のままだ。涼子のまま、しかしすべてがカブトの知る彼女とは異なる。異なる?


「でもせっかくワタシのことを選んでくれたカブトだから、ひとつサービスしてあげるね」


 ウィードは血のついたナイフを適当なところに放ると、旅館の爆弾を起爆した。至る所に仕掛けられた爆弾は連鎖し、すぐに旅館を炎で包む。


「ワタシが涼子に変装したの、今が初めてじゃないんだ」


 その言葉を聞いてハッとなった。

 カブトは事の顛末を理解したのだ。

 涼子は初めから、『涼子』ではなかった。カブトがあの時、旅館の前を掃除している彼女に出会った時から、彼女の正体はウィードの変装した偽物だったのだ。

 確かに彼女は最初に見事、カブトの旅の目的を的中させてみせた。あれこそウィードの能力。心を暴く力だった。

 ではあの時、夕焼けが沈む景色を勧めた彼女は、何を思っていたのだろうか。あの頃から、カブトというオモチャの遊び方しか考えていなかったのだろうか。


「ああ、ああああ……」


 湧き出す怒りが。

 湧き出す悲しみが、カブトの心を覆い尽くす。涙となって溢れた感情は、それだけではとても発散しきれない。

 呪いは大きくなりすぎた。もはやカブトにも抑えきれないほどに、巨大な黒へと変わっていた。

 焼け落ちる旅館。しかし、心臓を貫いた傷も、すべてを焼き尽くす炎も、カブトを殺してはくれなかった。

 転愚の呪い。それはあらゆる負の感情を引き寄せる力であるが、同時にあらゆる災厄を呪いとして肩代わりする力でもある。

 だからこうしてカブトを襲ったあらゆる致命傷は、転愚し、呪いとなってその身に宿る。カブトは自身にかけられた呪いのせいで、ここで死ぬことすら許されない。

 なれば、もはやカブトにできることはひとつしかなかった。


『お前のせいだ』


 ああ、そうだよ。

 悪かったな。僕のせいで、迷惑をかけた。

 だから僕が責任を持って、お前たちの無念を晴らそう。


「――草刈りの時間だ」


 カブトはヒーローにはなれなかった。

 ヒーローのなり損ないは呪いによって黒に塗れ、焼け崩れた旅館の跡地に立ち上がり、呻くように殺意を告げた。

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