雑草
都会から少し離れた街だからだろう、明るい色の、劣化したアスファルト舗装の上を歩く。この付近では住宅街よりも都会の舗装を見直すことの方が優先らしい。時折、アスファルトの亀裂を突き破るように生える雑草が見られた。
カブトは後ろで縛った長い髪を払いながらその雑草に視線をやった。雑草の強かさに惹かれたのだ。
無言で数秒眺めた後、目的地へ向けて再び歩き出す。周りの風景に釣り合わない一本下駄は小気味のいい音を立てた。
しばらく歩くとなぜそこに建てたのか、なぜそこで営業していて潰れないのかわからないような古びた旅館が現れる。
一応近辺には小さな遊園地や温泉もあるが、それでも観光客を呼び込むには弱い立地に感じた。
けれど客の少ない旅館の方がカブトにとっては都合が良い。だからこの場所を選んだのだった。
その理由とは――。
「あれ? もしかして、巫女さんですか?」
旅館の前を掃き掃除していた高校生くらいの少女に、そう声をかけられた。カブトの格好は完全な和装だ。色合いも巫女を想起させるような赤と白が使われている。
何より髪が女性のように長い。これがその勘違いを加速してしまう大きな要因だろう。
だからカブトにはまず、その誤解を訂正する必要があった。
「残念だけど、僕は男だ。こんなナリだけどな」
「あ、そうだったんですか! これは失礼しました!」
「いや、まぁ勘違いするのも分かるから気にしないでくれ」
手をひらひらと振って話題を打ち切る。ここに来るまで何度も繰り返したやり取りだったので手慣れていた。
「部屋は空いてるか?」
「あ、はい。ウチは万年スッカスカですから!」
「そういうの、店の人間は言わない方が良いんじゃねぇの……」
呆れるように笑い、少女の案内に従う。カブトは玄関から中へ案内された。
「私、涼子って言います。この旅館の一人娘なんですよ」
「僕はカブトだ。ここは家族でやってんの?」
「そうですね。おじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの代から続いてる老舗? らしいですよ?」
「ふぅん。まぁ、でも理由はわかるかもしんないな」
中に上がってみればなるほど、確かに年季は感じられるが手入れは行き届いている。埃ひとつ見当たらなければ、雰囲気も悪くない。都会の喧騒から離れて落ち着きたい時には打って付けに思えた。
一度訪れればまた利用したくなる。そんな旅館なのだろう。旅館に常連というのも利用頻度を想像すれば珍しいような気はするが、そういう客がいるのかもしれない。
「落ち着きますよね。私も結構好きなんですよ。ここの雰囲気」
「ん? 自分の家が好きなのか?」
「あ。はい、そうですそうです! ずっといたくなるような感じ、しません?」
「ああ、僕もそれは思う。確かに隠居してる爺さんとかに人気そうだよな」
「さっきから思ってたんですけど、なかなか口が悪いですよね……」
「そこは目、瞑ってくれ」
意識しても直せないものは直せないのだ。カブトはこれでも精一杯に気を遣っているつもりなのである。それでもこう言われてしまうのだから、日本語とは難儀なものだ。
「そういえば、何のためにこんな辺境に来られたんですか?」
受付で記入事項に取り掛かっていると、涼子は退屈したのかそんな話を振ってくる。
「そうだな、何て言ったら良いか……」
隠すようなことではないが、カブトの目的は少し説明が難しい。普通の人には理解できない目的であるため返答には悩んだ。
「当ててあげましょうか?」
「え? ああ、どうぞ」
どこから説明するべきかと考えていたところで涼子からそんな提案を受ける。わざわざ長々と話すのも面倒なので乗っかることにした。
すると涼子の目がすうっと細くなる。カブトの身なりなどから色々推察しているのだろうが、見透かされるようで正直良い心地はしなかった。
やがて涼子はクスッと笑った後、「わかりました」と言う。
「探し物、ですね?」
あながち間違ってはいない。カブトはそれを否定しなかった。
「そうだな。探してるもんはある」
「この街で見つかりそうですか?」
「どうだろうな」
隠すつもりはなかったのだが、詮索されるのも何となく嫌になり適当にあしらう。つれないカブトの様子に不貞腐れた涼子は「見つかるといいですねー」と棒読みで言った。
書類を書き終えると、いよいよ部屋へ案内される。客がいないからだろう、涼子は二階の端にある「とっておき」の部屋をあてがってくれた。
「夕暮れ時、窓から山の方を見るとちょうどあのふたつの山の間に夕日が沈んでいくんですよ。それをここのイスに座って眺めると、きっと落ち着きますよ!」
「なるほどな、覚えておく」
涼子は嬉しそうにこの部屋の良さをプレゼンテーションしてくれた。決して広いわけでも設備が充実しているわけでもないが、確かに眺めは他のどの部屋よりも美しいと思った。
手前に広がる住宅街。奥には遠さだけが理由ではない小さな遊園地が見え、さらに遠くへ目を向けるとふたつの山がある。そして山同士の裂け目から流れてきたような川が窓からの景色を見事ふたつに分割していた。
ここから見られる夕焼けはさぞ綺麗なことだろう。「ごゆっくり」と言って涼子が部屋を後にしてからも、カブトはしばらくその夕焼けを空想していた。
件の夕焼けまではまだ時間がある。それに今日は特に探し物をする予定もなかったので付近を散歩することにした。
涼子に挨拶してから旅館を出る。
この辺りは住宅が多く、特に当てもなく歩けば本当に何も見つけられないような気さえした。
まるで迷路だった。景色に変化がない。それが延々とループしているように、誰かの住処が視界の両端を塞ぎ続ける。
なぜこんな場所に旅館を建てたのか、と最初は考えた。だが、おそらく順番が違うのだろうと思い直す。
涼子の家は老舗だ。百年も前からここで旅館を営んでいる。そして元々旅館があったこの場所に後から住宅街が広がっていったのだ。それは、涼子の家から観光客という養分を奪っていく雑草のように。
そういえ目線で見てしまうと、辺りに広がる住宅のすべてが寄ってたかって旅館を責め立てるように見えてしまい、酷く不快な気分に襲われた。実際はそんなわけがないというのに。
頭の痛くなるような錯覚で隣の壁にもたれると、たまたま近くを歩いていた高校生に背中をさすられた。
「ちょ、大丈夫!?」
「あ、ああ。すまねぇ……」
「良いってことよ!」
カブトは高校生に肩を貸してもらい、散歩を再開する。高校生は気を利かせて世間話を振ってくれた。
「この辺に住んでる人?」
「いや、遠くから来た」
「だよね〜、この辺には神社も寺もないから珍しいと思ったよ」
カブトの和装を見た感想だろう。確かに住宅街には釣り合わない。それこそこの男子高校生の着る制服のような現代的な装いこそがマッチするのだ。
「それならさぁ、最近この辺りで起こってることについても知らないんじゃない?」
「この辺りで、起こってること?」
「うん」
高校生は笑顔のまま話し始めた。
「最近、通り魔事件が多発してるんだ」
「犯人は捕まってないのか?」
「みたいだね」
言われてみればこの住宅街にも陰鬱とした空気が漂っている。人通りもなかった。これらはそういうことなのだろう。
「日中だろうが堂々と現れるのにその足取りも、目的も、何も掴めてないんだと」
「地元警察もお手上げってやつか……」
「ずーっと捜査が後手に回っちゃってるらしいよ? ニュースで言ってた」
「そうか、そりゃ大変だな」
「遺体には急所を狙った刺し傷。そして献花のように乗せられた雑草。その猟奇加減から『ウィード』なんて呼ばれてるみたい」
「ウィード。雑草ね」
道端に視線を移す。そこにはやはり雑草が生えていた。
そのすべてがどこにでも生えている。ひとつとして同じものがないとしても、植物に詳しくないカブトにはその違いを見抜けない。
それが例え世界にひとつだけの花だとしても、他の雑草と同じような見た目ならば埋もれるだけだ。オンリーワンは同じく雑多に溢れたオンリーワンの中では輝けない。
それを皮肉っているのだろうか。猟奇殺人犯の精神など、とてもわかったものではないが。
「不思議な事件だよね。ボクも参っちゃうよ」
困ったように笑うこの高校生もまた、狙われる可能性があるのだろう。それでも間接的に今この辺りをふらつく危険性を説いてくれたのだ。
通り魔とはそういうものだ。彼らに明確な目的はない。殺人を犯すことで達成される何かを常人が理解することは永遠にないのだ。
常軌を逸したもの。それこそが異常者、狂人となり、猟奇殺人犯となるのだ。
「ありがとう、もう大丈夫だ」
カブトは肩を貸してくれていた高校生にお礼を言った。散歩に付き合わせたせいできっと通学路からも離れてしまっただろう。
「全然! 困った時はお互い様だよ!」
高校生は楽しそうに笑う。カブトとの会話が良い息抜きになってくれたのだろうか。
通り魔事件が多発しているこの街の雰囲気には釣り合わないかもしれないが、笑えなくなってしまえば人間は終わりだ。
そろそろ日も沈む。暗くなることを考えれば、高校生をこれ以上付き合わせるわけにもいかない。
カブトは背を向けた。それを合図に高校生も元の通学路へ戻ろうとする。
その別れ際。カブトは最初から感じていた違和感について尋ねた。
「ところで」
高校生の足が止まる。こちらを振り返るのがわかった。
あえてカブトは高校生の方を振り返らない。今はまだ彼の顔を見るべきではない。
「その、殺人事件についてだけど」
核心に踏み込む。
初めから違和感はあった。
明らかに、この高校生は事件について知り過ぎている。それにそんなことがあったら学校は休校措置や集団下校などの対策をとるはずではなかろうか。
通り魔事件が多発する最中、こんなに堂々とひとりで高校生が歩いているという違和感。カブトはそれを確認せずにはいられなかった。
カブトは振り返り、高校生の顔を見た。同時に尋ねる。
「犯人は、――お前か?」
瞬間、時が止まったように高校生が真顔になる。それまでそよ風に靡いていた雑草も音を無くした。
あらゆる喧騒を置き去りにして、二人の間を言い表せぬ重厚感が支配した。
これが名探偵が犯人を言い当てるシーンならばもう少し爽快感があっても良いものだ。それほどに息を潜めたくなるような重さだけがそこにはあった。
電線に止まる鳥は羽ばたくのをやめ、ブロック塀の隙間で暮らす虫でさえ呼吸を止めるような無言の圧力。
とても普通の高校生から発されるようなものではない。カブトは推測を確信へと変えた。
やがて息が切れたように高校生は笑った。
「冗談キツイって! やだなぁ、もう!」
普段通りの笑顔。気付けば風も吹き、鳥はどこかへ飛び去っていた。
街は元通りだ。元通りの、通り魔に怯える雰囲気が充満した歩きにくい街だ。
「ボクが通り魔だったらとっくに刺してるよ? 間違っても困ってる人に手を貸したりなんてしないね」
カブトは無言で高校生の顔を見つめた。そこに先程の重苦しさの根源はない。
あの真顔。目の前の高校生の本質を写したような表情を見てなお、その言葉を信じることはカブトにはできなかった。
「全く〜。手を貸してくれて、かつ注意までしてくれた相手にそんなこと言っちゃダメでしょ?」
「それはそうだな、悪かった」
「ま、謝ってくれるなら良いかな。ボク、優しいし」
胸を張るように笑ってみせた。その仕草も、何もかもが作り物だ。カブトには最初からこの高校生のすべてが、演技にしか見えなかったのだ。
もしかしたらただ良く見られようと猫を被っているだけなのかもしれない。この心配は杞憂なのかもしれない。
だとしても心が疑うことをやめない。目の前の少年が只者でないことを、カブトの心は決定付けていたのだ。
「それじゃ、ボクはここいらでお暇するよ。カブトも気をつけてね」
「ああ。僕のことは心配するな」
手を振って去っていく高校生。
その背中からカブトは目を逸らせない。
もはやカブトの中では決定的なのだ。
「――僕は、一度も名乗ってない」
高校生がカブトの名前を知っていた理由。手口のわからない猟奇殺人犯との繋がり。
すべてにきな臭いものを感じながらも、帰路につく。
「あいつはただの殺人犯じゃねぇ」
カブトは警察でさえ解決の糸口を掴めないこの事件を、一般常識で考えることを辞めた。疼く右目を抑える。手のひらの下では、瞳は紅く発光していた。
「僕と、同じだ」
確信を得る。
ウィードと呼ばれる猟奇殺人犯は何らかの異能者だ。それは同じ異能者であるカブトだからこそわかった。
カブトの目的。探し物とは、この異能に通ずる。だから涼子には話せなかった。
普通の人間に異能は理解できない。だからこそこの事件は、カブトのような異能者が解決する必要がある。
綺麗な夕焼けに浸る場合ではないかもしれないと、今にも沈む太陽を見て思った。