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恵民署の蝶と花  作者: 水族館イコー
花の精
3/14

二、美しき提調


「そう畏まら無くても良いですよ」


 駕籠に揺られてやってきたのは、朱色の官服に身を包んだ、顔立ちの整いすぎている男だった。

 位が高い人物だろうに、迎えにやってきた元長やその他の医官、医学生、医女に柔らかい口調でそう言うと微笑んだ。

 噂どおり、いや、噂以上の容姿であった。すらりと背が高く艶のある美しい髪。宝石を閉じ込めたような瞳に、ぽってりとした涙袋は色気を醸し出す。鼻はすっと高く、桜のような淡い色の唇が奏でる声はいつまでも聞いていたくなる。

 しかし。

 朱色の官服に、丁寧に金の刺繍が施されているのだが、その胸章の柄は不思議なものであった。


(何かの、花…?)


 官服の胸章の柄は陛下、王妃、武官、文官でそれぞれ決まっていたはず。だが、そのどれにも当てはまらない胸章に気づいた蝴蝶フーティエは疑問を抱く。

 他に疑問に思っている者は居ないものかと、恭しく頭を下げる医女を横目で見るが、殆どが極楽浄土に肩を震わせ、それどころではないようだった。



(本当に顔が良いな)


 ちらりと覗いた蝴蝶は、そう感想を心の中で独りごちる。医女だけでなく医官、医学生もが甘い極楽に誘われているなか、蝴蝶だけはそうでなかった。

 確かに眉目秀麗なのは認めるが、蝴蝶の中でこの世で一番美しいのは自分なのだ。鏡にうつる自分に酔う事はあっても、他人に酔う事は無い。

 むしろ、毎日私という天女で耐性をつけているはずなのに、こいつらはこの程度でもいいのか、とさえ心の中で呟く。


「いえいえ、そういう訳にもいきませんよ…ささ、こちらに、花精ファジン様」


 元長はへこへこと腰を低くして、応接間まで案内する。花精はにこやかに微笑みながら後を歩いた。




 花精が応接間に連れられてから半時程だろうか、皆応接間をちらちらと気にしている。それは蝴蝶も例外ではなく、仕事をしながらも様子を伺っていた。


(今だな)


 女の勘、と呼ぶそれが蝴蝶は非常に優れていた。蝴蝶はそれを神にも愛されてるが故と考えているようだが、兎に角よく当たる。

 今も蝴蝶は応接間の前を、わざと通るタイミングを勘に頼り測っており、それに従い通る。


 すぱん、と音をたてて開く応接間の襖。


 ほらねと鼻をならして得意気になりそうになるのを堪えて、蝴蝶は「わ、」という声をあげると目をぱちくりとさせ、出てくる人物に自分の顔をよく見せる。

 狙い通り出てきた人物、花精はしっかりと蝴蝶と目を合わせた。

 先程まで朱色の官服を着ていたはずの花精は、何故かただの医官と同じ服に着替えていた。蝴蝶は不思議には思ったものの、慌てて顔を下げ「すみません」と後ずさる。


「構いませんよ」


 花精から優しいお声がかかるのと同時に、元長から「気をつけなさい、蝴蝶!」と叱りの声もかかる。

 そしてそのまま花精と、花精と一緒にやってきた連れの屈強な男、元長の御一行が過ぎ去るまで顔を下げる。


(おかしいわね)


 蝴蝶のたてた計画では、花精は「顔を上げてもう一度見せてくれ」と言う予定だった。もう少し上手くいけばその場で求婚される可能性まで考えていた。

 顔をあげた蝴蝶は首を傾げながら、応接間の先にある台所まで向かう。



 恵民署ヘミンソには幾つか病床ベッドを用意してあり、入院が可能になっている。そんな患者のための給仕をするのが、蝴蝶の主な仕事であった。

 ここで働く養父に自分も診察や薬の処方、調製をしたい、と言った事があったが「日々の食事が身体の基礎を作る、日々の食事が病に勝つ身体を作る。その大切な食事療法を深く理解しているのはここでは蝴蝶が一番だ。」と言われ納得してこの仕事をしている。


「生きる上で食べる事は欠かせないもの、私が患者の命を握っているようなものよ」


 粥をかき混ぜながらそう独りごちる。

 何度かうまく乗せられたなと思ったことはあったが、結局はその結論に至り、やりがいも見つけている。


「そうですね、良い心がけです」


 聞きなれない声が、蝴蝶の背中から聞こえる。

 びくりと肩を震わせて、慌ててそちらを見れば、やはり医官の服に身を包んだ花精の姿があった。陽の光だけに頼り、とても明るいとは言えないような台所にも関わらず、花精は眩しい限りに輝いていた。

 あまりの顔の良さにそう錯覚してしまうだけだが。

 同じく台所にて作業をしていた何人かの医女は、突然の来訪に頬を染め頭を下げている。


「花精様、何故このような場所へ?」


 蝴蝶も頭を下げ、そう尋ねると花精は台所をぐるりと見渡した。


「これからここで働きますからね、魚運ユーユン様から色々と案内してもらっていたのですよ」


 花精とは不思議な人物で、自分よりも位が低くなった長を丁寧な敬称で呼ぶ。

 蝴蝶はなるほどな、と納得するのと同時に、ここに案内した元長こと魚運を蹴りたくなる。


「ひとつ、申し上げても宜しいでしょうか」


 台所など入った事ないであろう花精は、物珍しそうに色々と見ていたところ、蝴蝶の言葉に「どうぞ」と応える。



「ここから少しでも早く出ていって下さい」



 な、といち早く声を漏らして顔を青くしたのは、魚運だった。

 花精は目を丸くし、蝴蝶はそのまま顔も上げず、他の医女達は、蝴蝶のその発言が予想出来ていたのか、気まずそうに袖に顔をさらに埋めた。


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