第1話 漆黒と純白
心象 という言葉を知っているかな。
心の景色、一人一人が心に形作っているイメージと言うと分かりやすいかもしれないね。
心象は、日々の生活で取り入れた情報や感情に影響されて日々変化している。
喜び、驚き、感動、悲しみ、怒り、そういった様々な要素によって作り上げられるものなんだ。
そして人間の行動や表現に、心象は少なからず影響を与えている。
例えば、そうだな……。性格なんていうのはその代表的なものなんじゃないかな。
心象がにじみだしたものが性格に影響を与える。僕は勝手にそう思ってるんだ。
…………
例えば
例えばその、心象がにじみ出したものが、性格を超えて肉体を超えて、外界に出てきたらどう思う?
そんなことはありえないって思うかい?
う~ん、まあそうだよね。僕も正直嘘みたいな話だと思うさ。
でもじつは、そんな嘘みたいな出来事が、君の知らないところで少しずつ起こってるんだ。
漏れ出した心象は像として現実に干渉し、場合によっては周囲一帯を飲み込むこともある。まさか人の心が持つエネルギーがこれほどのものだとは驚きだよね。
もし君がその『心象世界』に遭遇したら、とりあえず逃げることをおすすめするよ。
人の心は底が見えない。どんな景色に飲み込まれるか、まったく見当もつかないからね。
声が聞こえる。
それは、遠くからだんだん近づいてくるような、ぼやけた輪郭が徐々にはっきりしてくるような……。
あれ、そういえばさっき心象がどうのとか言ってた人、どこかで会った気がするな。でもあの人ってそもそも実在する人だっけ?
もしかしたら夢の中で会った人の夢をもう一度見てたとかいうオチ?
夢?あれ、もしかして俺、今夢の中にいる……?
「不知火!!」
ハッとして体を起こすと、教壇からこちらを見つめる中年男性の姿が見えた。
歳は40歳代くらい、体格は筋肉質でガッチリ、男性的な低い声がなんとも印象的。そう、国語教師の飯野先生だ!
「一回の授業で二度も起こされるヤツがあるか!」
覚醒しきらない頭でも、これはまずいと理解できた。こんなときは素直に謝るのが一番だ。
「す、すみません……。」
周囲の笑い声でかき消されそうな弱々しい言葉だったが、なんとか危機を切り抜けることはできたようだ。
「ニカイオコサレルノマジパネェ……ゴクリ」
教室の誰かから、よくわからないことでリスペクトされてしまった……。
その後の授業は、小説の神様と名高い志賀直哉の作品、『城の崎にて』を題材に進み、いつものように終わりのチャイムが鳴った。
休み時間、倒れるように机に突っ伏した。
眠い。どうにも最近とてつもなく眠い。このままでは名前が居眠り小僧になってもおかしくない。いや、それはいやだ、本名の「不知火 シン(しらぬい しん)」という名前は気に入っているし。
そんなことを考えていると、一人の女生徒が話しかけてきた。
「ちょっとちょっと、シンって最近居眠りしすぎじゃない?夜ちゃんと寝てるの?」
ショートカットにツンとした釣り目、幼馴染の片霧 コトハ(かたぎり ことは)だ。
「どうせ夜中までゲームしたり動画見たりしてるんじゃないの?最近授業で寝てる姿しか見てない気がするんだけど!」
「いや、そんなことないんだけどな……。昨日も11時過ぎに寝たし、まぁベッドでスマホいじったりはしてたけどさ、なぜか眠いんだよね。」
「ふーん、どこまで本当か知らないけど。さすがに飯野先生の授業で2回起こされるのはヤバいでしょ……。次同じことしたら命はないかもね~(笑)」
そうなのだ、ヤバいのだ。国語の飯野先生は「鬼の飯野」と呼ばれていて、空手や柔道、剣道に古武術など、多くの武道に精通した猛者なのだ。つまり怒らせたらヤバい。
「とにかく!最近のシンは寝すぎ!このままじゃ今度のテスト赤点だよ?」
「う~ん……言い返せない。」
「ま、まあ、もし本当にヤバくなったら、私が勉強見てあげてもいいんだけど……。」
(えっ、コトハってそういうキャラだっけ……?)
―――放課後、やっぱり眠い頭を引きずりながら帰路に就いた。
俺の通う「生姜崎高校」は、小高い丘の上にある。そこそこ名の知れた進学校なのだが、「生姜崎」という名前のせいで、他校の生徒からは「ガリ高」と呼ばれているし、生徒はもちろん「ガリ」と呼ばれている。
校門を出るとすぐに大きなバイパスに当たる。そのバイパスを2kmほど歩き、橋を一つ渡る。そして、団地とスーパーに囲まれた小さな駅から電車に乗る。
このスーパー、いつも横通るけど入ったことは無いんだよな。ときどき全身をブランド物で固めたおじさんが出てくるけど、あの人って地元なのかな……?どうでもいいんだけど。
どうでもいい思考ルーティンを終えたら改札をくぐる。
改札を――
???
あれ?
あれ、今何してたんだっけ?
えっと、確か今日は友達の誕生日で、誕生日会でプレゼントを渡したら、僕のプレゼントだけ「いらない!」って言われて。
いやいやいや、違う違う、確か今日は僕の一番好きだったあの子の命日だ。僕の目の前でトラックにはねられて?
いやいやいやいや、それも違う、ああそうだ、今日は単身赴任のパパが帰ってくる日じゃないか!でも仕事が忙しくて結局帰ってこれないって電話があって……。
……なんで?
なんで僕の人生ってこんな悲しいことばかりなの?
どうして、どうして僕は皆に選んでもらえないの?
僕はどうして、どうしていつもガッカリしてるの?
欲しいものなんていくつも無いのに、本当に欲しいものは一つも手に入らない!
いつもいつも真面目に頑張ってるのに!!!
勉強だって頑張った!!大学だって入って、就職先も決めた!!それなりの大企業だ!!
でも内定の直後にパパの不倫が分かった。
当然パパとママは離婚だ。僕はもういい歳だからって一人暮らしをさせられた。結局一人だ。誰のために頑張ったんだ?僕は?僕はここまで頑張ったのに。誰も褒めてくれやしない。普通の生活ができたって、欲しいものは何も手に入らない!!
(なんだこれは)
ふっ、と意識が戻ってきた。
俺は学校の帰り道で電車に乗ろうとしてたんじゃなかったか?
チガウチガウ!僕はいつだって一人だ!今日も悲しいことばかりだ!今朝だってそうさ、会社へ行ったら上司のミスを全部僕のせいにされた。始末書まで書かされる大失態だ!!くそくそくそくそなんなんだあいつは!なんで僕の周りにはこんなやつばっかりなんだ!!
(違う違う!俺は電車に乗って家に帰るんだろ?なのにおかしい、周りは真っ暗で、体の感覚がだんだん消えていく。まるで眠りに落ちるときみたいだ。)
(ダメだ。意識を保ってられない。眠い……。)
ズブズブと布団に沈みこむように、俺の意識は消えていった。
(明日は、いいことあるかなあ……?)
―――
私の名前は速水 リン(はやみ りん)、心の情景を現実に表す能力者「心象使い」だ。
心象が使えるようになったのは2年前。アウトドアが大好きで、自然をリスペクトしまくってたら、いつの間にか自然現象を操れるようになった。
「リンちゃん。あんまり無理するなよ?今日の現場はどうやらA級の心象使いがいるみたいだ。心象世界の形成も確認されている。」
話しかけてきた男性は冬木 ソウ(ふゆき そう)。心象研究所に勤める、心象研究の第一人者だ。いつも寝ぐせがつきっぱなしでヒゲはろくに剃らないけど頭はキレる。
「そうですね。心象世界のぶつかり合いは相性次第ですからね。まあ、だからこそハク先輩にきてもらったわけですが。」
「私のことはあまりアテにしないで~~~。」
こっちでニコニコしながらワタワタしているのは小太刀 ハク(こだち はく)。こちらも心象使いで、純白の心象を操る。
純白の心象はものすごい。あたり一面を純粋な喜びで覆い、誰もが無垢な子供の心に帰ってしまうのだ。最大射程は半径1kmというのだからかなりヤバい。
「ハクちゃん、もしかしたら君に全力を出してもらうことになるかもしれない。どうやら今日の相手は漆黒の心象使いだ。」
「漆黒の……。もしかしてクロさんですか?」
「恐らくね。すでにヤナギ川駅を中心に、半径100mが心象世界に飲み込まれている。こんな芸当できるのはクロ以外にいないだろう。」
ハクさんの目元がかすかに動いた。相変わらずニコニコしているが、それなりに緊張しているのだ。
「そろそろだ。」
現場に着いた私たちが見たのは一面の黒。まるで空間を切り取ったように、真っ黒な球体が鎮座している。
「この球体がクロの生成した心象世界だ。中心地はヤナギ川駅、心象深度は75、並みの心象世界をぶつけても干渉することはできないだろう。」
心象深度とは、心象が現実に及ぼす影響の大きさのようなものだ。深度が深いほど、心の情景である心象が現実に強く影響する。
「あちゃー。これじゃ私の出番はなさそうですね~!ハク先輩!お願いします!」
この心象世界を見るのは初めてではない。心象の主「葉月 クロ(はづきくろ)」は漆黒の心象使い。自身の絶望した心をあたり一面に具現化し、だれかれ構わず心象世界の中に取り込んでしまう。
心象世界の中に取り込まれると、クロの絶望が際限なくフラッシュバックするらしい。過去に取り込まれた人の話によると、何を見たかよく思い出せないが、自分の心を繰り返し握りつぶされたような感覚だったらしい。
「さて、どうするかな……。リンちゃん、上空から心象世界の中心を割り出せるかい?」
「多分できると思います。ちょっと行ってきますね。」
私、速水リンが得意とするのは「自然」の力を操ることこと。心の中の私はいつだって自然と戯れる少女だ。風に乗って空を舞い、木々や花々だって私のお友達なのだ。
風に乗って空を舞う自分をイメージする。すると、フワリと体が浮かび、空気の塊が私を上空へ押し上げてくれる。
「あ~、見えます見えます!中心は北口を出たちょい先あたりですね。」
「オッケー、ありがとう!今の時間帯なら人もまばらだし、飲み込まれた人数はざっと15人くらいかな。次の電車まではあと10分ほど。電車が着く前になんとかしよう!」
「ソウさーん、私はまだ上にいたほうがいいですかー?」
「悪いけどそこでモニタリングしててくれるかなー?あと、助けられそうな人がいたらよろしくー!」
「了解でーす!」
なんだか便利に使われてる気もするけど仕方ない。この心象世界を打ち消すのはシロ先輩の方がぴったりだし。適材適所ってやつだ。
「それじゃあハクちゃん、心象世界の展開、頼めるかな?」
「はい!いつでもOKです!」
今回の作戦はこうだ。
まず、ハク先輩が純白の心象世界を展開して漆黒の心象世界を打ち消す。
その間に、取り込まれた人たちを私の能力で回収。
漆黒の心象は長時間展開できない。長くてせいぜい10分、一度かき消せば今日は再展開できないだろう。
心象の主、クロを捕まえられるかは運次第。私の能力で捕縛できればいいが、今回は取り込まれた人が最優先だ。
ハク先輩の目つきが変わった。目じりがちょい上がるのは集中力が高まってるってことだ。
「じゃあ、カウントダウン10からで。最初から最大出力で一気によろしく!リンちゃんもよろしくー!」
「了解です!」
「おっけーでーす!」
いつも作戦開始の瞬間はちょっとだけ緊張する。何度も体験してきたのだけど、こればかりは慣れない。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1…今!」
瞬間、あたり一面がまばゆい光に包まれた。ハク先輩の純白の心象世界だ。
黒い球体は一気に掻き消え、漆黒に隠されていた景色があらわになる。中にいた人は1、2、3…全部で9人。これなら一気に回収できる。
「リンちゃん、今のうちに!」
ソウさんの掛け声で心象を一気に展開する。植物の「ツタ」を再現して9人を一気に回収する。改札の前、階段の下、ホームのベンチ……。ツタは縦横無尽に駅内を走り次々に被害者たちを回収していく。
「回収OKでーす!」
そのとき、視界の端で人影が動いた。
「あっ!」
心象の主、葉月クロだ!
建物の陰に隠れていたのか、さっきは目視できなかった。虚ろな目と力の入っていない姿勢が特徴的だ。
ハク先輩がクロの姿を見て少したじろぐ。
「クロさん……。」
一瞬の間の後、クロの眼光が獣のように鋭くなる。
「まずいっ……!」
急いで被害者たちを安全圏まで引き寄せ、自身も離脱する。
クロは、ハク先輩の心象世界が一瞬緩んだのを見逃さず、周辺はまた漆黒に覆われた。
「しまった再展開……!!」
だが漆黒の球体は数秒で消え、元の景色に戻ったとき、クロの姿はそこには無かった。
「逃げられた……。」
駅を見下ろし茫然としていると、下からソウさんの声がした。
「お疲れ!被害が無かっただけでも上出来だ!」
とりあえず作戦は成功。しかし、私の心には、テストで60点を取ったときのような後味の悪さが残っていた。