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プロディートスの恋人  作者: karura
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ターコイズブルー

この二人……全然しゃべらないな。

 

 ガラスの天窓から差し込む柔らかい光が、色とりどりの植物たちを輝かせていた。その小さな温室は、熟れて甘い香りを放つ果実や朝露に濡れた青葉の匂いで満ちていた。父が母に贈った美しい二羽の小鳥が、嬉しそうに木々の間を飛び回っている。母を喜ばせるため、父がわざわざ遠い南国から番で取り寄せた鳥だった。母はこの頃、毎日温室に通いこの鳥たちを眺めていた。


「リディアス、おいで」


 ロッキングチェアに腰かけた母に名前を呼ばれ、嬉しくて駆け寄っていった。いつも自分が近づくと、すっと立ち上がってどこかに行ってしまう母が、珍しく膝の上に体を抱きあげ、髪をなででくれた。


「リディアス、見てご覧。綺麗な鳥でしょう」


「はい、とても!羽がキラキラと輝いていますね!……お母さまの髪のようです」


 父が母によく言っていたことの真似をしてみせた。母は父にこう囁かれている時、いつもうっとりと微笑んでいたからだ。父と同じこと言えば母を喜ばせることができると思った。自分にも同じように笑顔を向けてくれる、と。

 けれども母は、その美しい顔を少しも綻ばせることなく、その鳥たちをぼんやりと見つめていた。


「リディアス、覚えておきなさい。あの鳥たちは他の鳥たちよりも珍しいという理由だけで、この狭い温室に閉じ込められてしまったの。本当はもっと広い、楽園のような暖かな森の中で、誰にも邪魔をされず幸せに暮らしていたはずなのよ。私たちはあの鳥たちと何も変わらないわ。いいえ、あの鳥たちよりもずっとずっと不幸なのよ。」

 

母はおもむろに立ち上がり、温室の出口に向かって歩いていった。母を追いかけようとしたが、なぜか体が石のように動かなかった。「お母さま」と何度も繰り返し叫んだが、その声は母には届いていないようだった。母の姿はどんどん遠のいていき、やがて暗い靄の中に吸い込まれていった。









「待ってくれ……!」


 リディアスは自分の大声で目を覚まし、身体を包む空気のあまり冷たさに、自分が先ほどまで見ていた景色は夢だったのだと気が付いた。


「どこだ……ここは?」


 リディアスが目を覚ました場所は、見ていた夢と対をなすような、薄暗くて寒い部屋だった。彼は小さな窓の側に置かれた粗末なベッドに寝かされていた。窓にはひびが入っており、窓枠に降り積もった雪がパラパラと、室内に吹き込んできた。窓の外は酷く吹雪いていて、雪以外のものは何も見えなかった。低い天井にはいたるところに蜘蛛の巣がはっていた。唯一夢と似ていたのは、この国であまり見かけないであろう、青々とした数種類の植物が置いてあったということだった。独特な匂いからいって薬草の類だろう。自分の肩からも同じような匂いがする。


 リディアスはぼんやりとした記憶を辿りながら、夜のことを思い出した。確か、視察を終えて宿に帰ろうとした時だ。突然、仲間と一緒にこの国の兵士に拘束され、城まで同行するよう言い渡された。仲間の陽動によって自分だけがなんとかその場から逃げ出すことができたが、その際肩に銃撃を受けてしまった。追ってから逃れるために森に逃げ込んで……それから、どうした?

 

馬と共に森を抜けようとしたことまでは覚えているが、そこから先の記憶が全く出てこない。ただ、自分が何か大切なことを忘れているような、心に空洞ができたような感覚だけは、不思議とはっきりしていた。状況から考えるに、意識を失っていたところをだれかに助けられ、ここに運ばれたのだろう。親切な事に手当までされている。まだ痛みはあるが、少しならば腕を動かすことができる。受けた弾丸は貫通せず、体内に留まっていたはずなのだが、肩の感触から察するに既に摘出されているようだ。かなりの技術を要する手術のはずだが、すでに出血も止まっている。よほど腕の良い医者らしい。もしかすると、わざわざ医者の居る所まで運んでくれたのかもしれない。しかし自分は医者がいるような町から遠く離れた深い森まで逃げ込んだはずだ……そもそもあんな森の中で、どうやって自分の姿を見つけたのだろう。


 リディアスは様々な憶測を立てながら、もう一度部屋の中を見渡した。小さな暖炉、二人掛けのソファー、食事をするための粗末な机と、二脚の椅子。暮らしていくための最低限の物だけがそろったような、味気のない部屋だった。人の姿は見当たらない。


「外か……?」


 この家の人間は、吹雪の中どこかへ出かけているのだろうか?リディアスはドアの外に人の姿がないか確認しようと思い、ゆっくりと身体を起こし、冷たい床に足を下した。

 その瞬間、何かを思いきり踏んづけてしまい、暖かく柔らかいものが自分の寝ていたベッドの下に寝そべっていることに気づいた。


「あぁ!!!!いっっっ……痛い!!!!何すんだ!!」


 リディアスもその声に驚いて床に視線を向けると、薄い毛布にくるまっていた少年と目があった。


「……すまない。不注意だった」


 リディアスがひとまず謝ると、少年はコバルトの瞳を大きく見開いた。この瞳に見覚えがある。リディアスは直感的にそう感じたが、彼と同じ瞳を持った人物とどこで会ったのか、または見かけたことがあるのか、思い出すことができなかった。これほど美しい瞳の持ち主を忘れるはずがないのだが……。


「まったく……目が覚めたんですね。思ったより早かった。大した生命力だ」


 少年はリディアスに踏まれた箇所を撫でながら、起き上がって毛布を畳んだ。この国の人間の多くがそうであるように、黒曜石のような真っ黒な髪に透けるような白い肌をしていた。


「君が、俺を見つけて、ここまで運んでくれたのか?」


「えぇ!湖で死にかけてたあんたを見つけて、わざわざ犬ぞりに乗せてここまで運んだわけですよ。朝一から弾丸の摘出手術をして、傷口を縫合して、薬草を煎じて化膿止めを作って塗って、今やっと眠っていたところです。どうですか?命の恩人を踏みつけた気分は?」


 少年はぶっきらぼうにそう言ったが、本気で怒っているというわけではなさそうだった。何より驚いたことは、どう見ても十代のこの少年が、自分を助けてくれた医者であるということだった。リディアスの国ではどんなに優秀な人材であろうとも、18歳から4年間アカデミーに通い、資格を認められなければ、医療行為を行うことはできない。リディアスはこの国の教育制度に特段詳しくはなかったが、貧しいこの雪国にもアカデミーはいくつか存在するはずで、通常はそこで資格を得るものではないのだろうか……。


「本当にすまなかった。寝ぼけていたんだ。……君は医者なのか?」


「えぇ、もちろん無免許医ですけど。あなたは外国人でしょ?だったら知らないと思いますけど、この国で免許を持ってる医者なんて、両手で数えられるほどですよ」


 彼は何でもないことのようにそう言って、古びた長方形のカバンから注射針を取り出した。


「あなた、身なりからして相当なお金持ちでしょ?………何があったかなんか知りませんけど、この国であんな大怪我をして生きてるだけラッキーです。この国では注射針1本、痛み止め1本買えない人がごまんといる……そろそろ痛み止めが切れます。この注射針と薬は信頼できる業者から買ったものですから……あなたからしたらそれでも嫌でしょうけど、今は我慢してください」


 少年は怪我をしている方のリディアスの腕を優しく持ち上げ、古びたゴムのバンドで固定し、ウォッカを垂らしてから血管に注射針を刺した。針はリディアスの国で使っているものより倍は太かったが、それほどに痛みは感じなかった。


「少しも嫌じゃない。こんなに腕の良い医者と巡り合えて俺は幸運だ。本当に感謝する。どうか名前を教えてくれ、ドクター?」


 リディアスがそう言うと、少年は美しい瞳を見開き、少し驚いた顔をしたが、雪のような肌と同じくらい白い歯を見せて笑った。


「ライラです。ドクターは付けなくていい……あなたは?」


「リディアスだ。よろしく、Dr.ライラ」


 リディアスがそう呼ぶと、照れくさいからやめてくれと言って、ライラはまた小さく笑った。


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