8.37.防げない奇襲
圧倒的な兵力差を前にして、ライドル領兵士たちは完全に委縮していた。
どう見ても勝ち目のない戦いだ。
いくらヴァロッドといえど、ここまでの大軍を相手にすることはできないだろう。
それに加えて敵は攻城兵器もしっかりと準備している。
一発でもこちらに飛んでくれば、部隊は壊滅してしまいそうだ。
本当にエンリルたちだけであの大軍に勝つことはできるのだろうか。
そんな不安が彼らを襲う。
「ヴァロッド様……これ……」
「大丈夫だ。フェンリルたちを信じろ」
「に、逃げる準備とか……」
「背中を見せればすぐに敵は攻めて来る。どっしり構えて防衛に当たれ。俺も守る」
ヴァロッドは兵士の声を聞いてそう言うが、不安は取り除かれなかった。
もしフェンリルとエンリルがあの大軍に勝てなければ、あとはこちらが殺されるだけである。
逃げようにもここはライドル領から数日離れた場所だ。
森の中に逃げたとしても、危険な魔物は多く潜んでいるだろう。
勝てなければ、本当にここまでなのだ。
いくら反射の鎧を着こんでいるとはいえ、隙間を狙われてしまえば効力は発揮されない。
それを身に付けている者も少ない。
今まで魔物に戦いを任せるなんてことがあっただろうか。
やはり不安でしかないと、兵士たちの士気は次第に落ちていった。
先ほど兵士を励ますためにそういったヴァロッドだったが、かくいう自分も不安だった。
彼の持つ魔法は強力だ。
それ一つで兵士を完璧に守ることができるのだから。
ハバルと同じ強すぎる魔法。
故に弱点も存在する。
光魔法、ディフェンダーガーディアン。
彼が得意とする防御魔法。
範囲内の指定された人間一人にガーディアンが付き、その身を守ってくれる優秀な魔法だ。
だがこれは、守る兵士の数が多くなれば多くなるほど、魔法は効力が薄くなる。
さらに守ってくれる時間も短くなるのだ。
冒険者であれば守る人間は多くても十人程度だろう。
だが戦争となれば数百や数千といった数はざらとなる。
今、この五百人全員に魔法を使用したとなれば、守ってくれる時間はせいぜい十分。
さらに守ることができる攻撃は矢を跳ね返す程度のことくらいだ。
それを理解しているヴァロッドと、元冒険者仲間のギルドマスター、ディーナ、それと二振りの斧を肩に担いでいる力自慢のレイドは、浮かない顔をしていた。
どう考えても、守り切れるわけがない。
しかしヴァロッドは絶対に兵士全員に魔法を掛ける気でいる。
「……レイド。これはどうなるだろうね?」
「さーな。だがまぁ、ここまで来たらフェンリルとエンリルを信じるしかねぇだろ」
「魔物に命を預ける日が来るとはなぁ……」
「はは、ちげぇねぇ」
ざっざっと敵が近づいて来る。
一度止まって陣形が変わり始めた。
いつ何が飛んできてもいいように、ライドル領の兵士は防御の構えを取る。
ここで攻めてはいけない。
それだけの兵力もないので、今は本当にフェンリルたちに任せるしかないのだ。
先頭にハバルが立ち、その隣にはガルザが座っている。
エンリルとは違う種族だが、一角狼もフェンリルに付き従う存在として有名だ。
角を見て首を傾げる者もいたが、その角は強力な雷属性武器になり、毛皮はすべての雷魔法を防ぐ防具となる。
それを知っていれば、誰もが欲しいと思うだろう。
サニア王国兵士の中に紛れるゼバロスは、それを喉から手が出るほどに欲しがっていた。
「おお……! おお! これはいい! これはいいぞ! おいジェイルド! あれは私に寄越せ! 他のはすべて貴様にやろう!」
「あ、いいの?」
「エンリルの毛皮はもう所持しているからな。あっちの方がいい!」
「そう……。ふぁあ~……」
「これくらい欲に忠実な上司だったら、さぞやりやすいだろうなぁ」
ジェイルドの隣りに、その仲間のザックが呆れた様子で頬を掻いている。
魔法と剣術を使う闇魔導剣士。
エンリルの狩りであれば、彼は非常に優秀な魔法を所持している。
今は一匹なので使うことはないが、数が多くなればあの魔法を使うつもりでいた。
「で、ジェイルド。どうする?」
「……ぐぅ」
「おい」
「はっ。……ああ、一匹だし……俺らが行かなくてもいいでしょ」
「それもそうだな」
二人は小さく頷いて馬車に戻った。
「おい! お前たちが行かないでどうする! 綺麗に仕留めなければならんのだから!」
「ええー……。わぁーったよ。おいマティ。お前行ってこい」
「いいよ~。んじゃ角は貰うねゼバロスさん」
「ふん、いいだろう」
杖を軽く振りまわした人物は、華麗な身のこなしで馬車から飛び降りた。
マティア・クレイニー。
最強冒険者パーティーの魔法使いだ。
「ふふふふ~久しぶりのエンリル狩りだぁ~」
「エンリルじゃねぇけどな」
「同じでしょ」
「ちげぇよ」
軽い口喧嘩をしながら、頭上に水を展開する。
それを地面すれすれまで下ろして薄く伸ばし、一角狼に向かって猛進させた。
距離はあるがこの程度であれば彼女の射程範囲内。
この二年間でこの最強冒険者パーティーも成長したのだ。
半透明な水にライドル領の者たちは攻撃が来ているということを認識できていなかった。
あと一秒ほどで水が一角狼に届くといったところで、その水がバシャリと弾けた。
「あれ?」
「……なにをしている」
「防がれた」
ライドル領の五十メートル先で、水が何かにぶつかって霧散してしまった。
首を傾げながらもう一度同じ攻撃を飛ばしてみるが、やはり同じところで弾けてしまう。
明らかに何かにぶつかっている。
その証拠に、空中に水が残って地面へと滴っていた。
「なんだろう……?」
「敵襲ー!! 右翼に敵です!!」
「!?」
森の中に敵が潜んでいたかと、遠くから聞こえた伝令の声に周囲にいた全員が反応する。
だがおかしい。
森の中は偵察して敵がいないと判断されていた。
斥候が情報収集を行っていたのでこれは間違いない。
だというのに右翼からの敵襲。
一体何が潜んでいたんだと見てみれば、そこには水で作られた狼が兵士を襲っていた。
「!? あれ!! あの年老いたメスのエンリルの魔法!! なんで!?」
「あ!? 何がどうしたって!?」
「グゥ……」
「寝てんじゃねぇよリーダー!!」
水で作られた狼は、昔見たものとはまったく違う。
青白く発光しており、その中に込められている魔力は尋常ではない。
高位冒険者、もしくは隊長格の兵士であればそれをすぐに見破ることができるだろう。
だが、実際に何度か戦ったマティアは知っている。
あれは込められている魔力の分だけ、盛大に爆発することに。
「やばいよ!? 動きを抑えてできる限り遠くから仕留めて!! 防御特化の兵士は前に出て防いで!!」
「なぜお前が指揮を執っている!」
「んじゃ私は一回逃げるからね! ジェイルド! ザック! 一回撤退!」
「「あいよ」」
三人は脱兎の如く持ち場から逃げ出した。
マティアがここまで叫ぶのは本当に珍しい。
二人は彼女のことを信頼している為、何かあってそう言っているのだと直感する。
深追いはしない。
危なければ逃げる。
その指示が仲間のものであれば、ここは確実に逃げるのが吉である。
「おい!! 逃げ──」
ズパァアアン!!!!
水で作られた狼の近くにいた兵士が、上空高く、もしくは放物線を描くことなく真っすぐに吹き飛ばされた。
遠くの兵士には破裂した時の水飛沫が直撃し、体を大きく後退させる。
三百六十度全方位攻撃が可能なこの攻撃は、どれだけ離れていても誰かにダメージを与えることができるだろう。
そんな狼が……数えきれないくらい攻め込んできていたのだった。




