第八話「若気の至り」
あの騒動の後、おれは抱えていたストレスが一気に抜け、部屋でぶっ倒れていた。横には死神が眠っている。あんとき、ロナウドにいろいろ計らってもらい、夕食が終わるまで、おれは風を患う死神に何度も頭を下げ、夜の十二時になるまで羽美ちゃんのことを待ってもらった。そして、その時刻が来てから、死神に現れてもらい、冥界に戻してもらった。そんな無理を死神にさせたのだ。部屋で寝かせるぐらいしてあげないと。後は、そうそう、ロナウドとみなさもこの城に住むことになった。二人には初めからそうするという条件で力を貸してもらったわけだし、何よりこの城の住民が万が一鬱にでもなったときは、役に立ってもらえそうだ。
「むにゃむにゃ、大きい綿菓子おいしー。」
死神のこの様子を、天界にいる神様が分かってくれたのか。強制送還が来ない。それとも、彼女の後輩たちが、死神を気遣ってくれたのかな。ならよ死神、ここらでおれと一発やりましょうか。
「うう、また残業、低所得、死神職鬼畜。」
まさか夢の中でも働いているなんてな。やっぱりそっとしておこう。
おれはキッチンへ来た。バボイは、読み聞かせでもしてもらったのか、本を抱いて眠っている。昨日の夜遅くまで起きていたから当然か。そういえば、バボイには羽美ちゃんが生き返らないこと、いやそもそも亡くなったこと自体ちゃんとわかっているのか。久しぶりに会いに来た母が、次の日にはなくなりましたなんてシャレにならん。
「おっはよー、ゼオ君!」
いや寝てるやついるんだから叫ばないでよ。後ろを振り返ると、ピンク色のユニホームを着て、タオルを首にかけたみなさが立っていた。おれはみなさに尋ねる。
「おはようみなさ、その恰好は?」
「アイドルは日々体を鍛えているの。にしてもあきれた。この城をざっとランニングしてきたけど、トレーニング器具何にも置いてないのね。」
「すでにモデルの域まで達している君が、これ以上トレーニングしてどうする気だ。ムキムキになって気持ち悪いバランスになるぞ。」
「女の子は筋肉が付きづらいから、そういうことはめったにないわ。むしろやりすぎるくらいがちょうどいいのよ。まあ今は体形維持のためだけに、無理なく進めているけどね。」
そんな会話をしていると、うなり声が聞こえてきた。恐る恐る後ろを見ると、バボイが眉をひそめ、おれを見つめていた。
「ごめんな、うるさくしちまって。」
おれが謝ると、奴は今度はみなさに目を向け、目を輝かせだした。まさかこいつ。
「マンマ、オハヨウ!」
「かわいいね、おはようバボイ君!」
どこがだよ。返事するみなさの足を鼻でつつき、首を入り口に振って合図した。
おれはドアの外で、みなさに仮説を説明する。
「ひょっとしたらと思ったんだが、バボイ、まだ羽美ちゃんが生きているって思っているかもしれない。それで姿が似ている君のことを羽美ちゃんと思ったのかも。」
「だったら、死んじゃったって直接あの子に言ってあげればいいじゃない。男らしく本当のことを言いなよ、仮にも雄でしょ? 」
「ちょ、股を見て言うな。」
「でもやっぱ言いずらいのね、うーん。」
彼女は首を傾げ、突然思いついたようにこっちを見た。
「分かった、こうすればいいのよ。」
彼女は扉を開け、キッチンに入っていく。なんか不安なので、おれもついていく。彼女はすやすや寝ているバボイに向かってでかい声で叫んだ。おれは耳を抑え、聴覚を軽減する。
「起きたらウサギの肉あげるー!」
「うおい!」
「バボッ!」
起きたと同時に、奴はおれをじっと見つめてくる。よだれが出ちゃってるよ、瞳孔が開いちゃっているよ。みなさはこのまま話を進めるつもりらしい。彼女は真剣な表情で話す。
「突然だけどバボイ君、私、君のお母さんじゃないの。ママは天国へ行ったの。」
真正面から言っちゃったよこの人、おれを餌に仕立て上げる必要あった?
「急には受け止められないと思う。」
バボイの顔からはかつてないほどの怒号があふれ出していた。おれは逃げる準備をする。
「マンマ、ウソ、ダメ。コンナニマッテタ。マタバイバイ、イヤダ。」
みなさはその場を動かず、まっすぐバボイを見つめていた。
「おい、そいつをどうにかしたいって気持ちは痛いほど分かる、けどそいつが暴れたら、みなさの命が危険だ。」
おれはみなさに向かって叫ぶ。不意に彼女はおれを罵倒してきた。
「千秋君を助けて、この子は放っておくの?」
なんで痛いとこをついてくるんだ。おれはしぶしぶバボイを呼び止めた。
「おい、バボイ。」
バボイはこっちを睨みつける。本能が逃げろと言ってくるが、踏みとどまる。
「みなさの言っていることは本当だ、羽美ちゃんはもう、この世にいない。」
かなわない希望を見せて失望させるよりも、事実を伝える方が、時間はかかれど早く受け入れられるはずだ。おれもみなさのそばに来た。
「さあ、来るなら来い!」
ところがバボイは表情を緩め、悲しそうな顔をした。
「バボイ、ドコカデ、カンガエテタ。ソウナンジャナイカッテ、オモッテタ。ケド、」
小さなその黒い瞳から、大粒の涙を流していた。
「マンマ、イッテタ。ガマンスルコ、エライッテ。ダカラ、ズット、ガマンシタ。マタパッパトマンマト、アエルヒマデ。」
みなさは、黙ってバボイを抱き寄せる。おれもバボイに、頬をすりすりした。
バボイを一旦そこに置き、おれはみなさに連れられてロナウドの部屋に来た。彼の部屋は、パソコン室をそのまま使わせるのだそう。
「とっとと修理しろベリ!」
中に入って、千秋がロナウドを罵倒している光景を目にする。おれは千秋に声をかけ、バボイの件について聞いた。
「バボイには、僕から本当のことを言ったベリよ。でもあいつ、全然信じようとしなくて。最終的に、羽美ちゃんがいつか会おうねと言って落ち着いたベリ。すまんベリ。こう、問題を残す形になって。でも、」
「でもなんだ?」
「僕が一人でいた年月は十年。その間、孤独を不本意に味わってしまったバボイは、事実を受け入れづらいベリよ。ましてや優しいお母さんベリ、簡単に記憶から消し去れないベリ。」
おれは机の上でちょこんと腰を下ろし、ため息をつく。その隣では、みなさがロナウドにしがみ付いて何かを言っている。おれは耳を傾けた。
「お願い、私嘘をつけるようになりたい。」
「君がそんなことを言うなんて珍しい。今日は暴風、ところにより落雷かな?」
「真面目に聞いて!」
みなさが机をたたくと、場の雰囲気ががらりと変わった。みなさは話を続ける。
「心が読めるんだよね。事情は分かるんだよね。だったら伝授してよ私に、嘘をつく方法。」
「もっと分かりやすく言ってほしいね。」
みなさは一呼吸すると、静に呟いた。
「トラウマを、克服したいの。」
その表情に何かを思ったのか、ロナウドは口元に手を当てながら考える。そして意を決したように、みなさと顔を向い合わせた。
「誰かのために頑張る人は嫌いじゃない。ただ君の場合は小さいころからの癖だ。それを治すことは、」
ピエロはアタッシュケースから白衣を取り出し、袖を通してこう言った。
「決して簡単ではないぞ。」
みなさは万遍の笑みを浮かべた。
「覚悟のうちよ、ありがとうロナウド。」
話し終わった後みたいなので、おれはロナウドをパソコン室の小さな物置に呼び寄せ、話を聞く。
「何もかもありがとうなロナウド。」
「いいんだよ、僕はもうこの家の住民なんだ、安心してここに暮らせている、そのために一応一役買ってくれたあの子に、何かしてあげたいと思ったまでさ。」
「後、一つ聞いておきたい。」
おれは彼と目を合わせた。
「みなさは、どうして嘘がつけないんだ?」
ロナウドは赤い髪をもみながら、シャッターがかぶさった窓を見る。
「みなさ君はね、小さいころ無形兵器に襲われたのさ。前、みなさが言ってたろ? 五分ほどで終わる、詳しく話すよ。」
彼はシャッターを上にあげ、日の光を浴びた。
「この世界にはね、形にはできないけど存在するものがある。それは何だと思う。」
「何って、空気とか?」
「空気は存在している、でないと僕らは窒息死しているぞ。」
「じゃあなんだよ。」
「言葉だ。」
言葉、一体何のこっちゃ。
「例えば、ウサギって単語を聞いたら君は、一体何を思い浮かべる?」
「耳が長いモルモット。」
「そう、絵に描ける形、言い換えれば概念があるよね。それじゃあ、」
ロナウドは少し考え、こういってきた。
「[孤独]って単語を聞いたら、何を思い浮かべる?」
おれは少し考えてみる。だが、簡単に答えが出せない。誰しも、孤独の基準は違うはずだから。
「そうだね、違うね。こんな風に、言葉にあるのに、誰もがこれだという正確な形が浮かばない言葉たち。それらが[無形]と呼称されている。」
難しそうだし、そういうものとだけ思っておこう。とにかく続きを聞く。
「ある時何者かによって、そんな無形の言葉たちに沿って、たくさんの化け物が生み出されたんだ。」
彼はこぶしを握り閉めている。
「それが僕ら、無形兵器。何のために作られたのかも、誰が作ったのかもわからない。実態があり、加えて能力と番号だけを与えられている。主な活動は、人の頭にある無形を食らいつくし、精神を崩壊させることなんだ。」
身の毛がよだつような話である。ロナウドは背中の番号をおれに見せ、唇をかみしめていた。
「個体によって、食い物にしている無形はすべて違う。みなさ君を襲った無形兵器は、彼女の嘘を食べてしまった。そして僕は、」
彼は一粒の涙を見せ、歯をくいしばる。
「力があったのに、目の前にいたみなさ君を守ってやれなかった。」
彼は涙をぬぐい、おれの方を見る。
「でも完璧にはまだ食われていない。僕は彼女のそばに十五年以上もいた。その中で、一度か二度、奇跡的に嘘をつけたことがあるんだ。それに今や二十代、精神年齢も上がっている。」
ロナウドは、おれの小さな手と無理やり握手してきた。
「もう目の前で守れないのはごめんだ。だから僕は、心を救うカウンセラーになったんだ。ゼオ、今度は僕に協力してほしい、頼めるかい?」
おれはその手をぎゅっと握った。
「当然だ、一緒に奇跡を見よう。」
おれはまた一つ、この城の住民のことが理解できた気がした。
それから、その日だけのみなさの猛特訓が始まった。みなさによると、早ければ早い方がいいという。おれは質問をする。
「この紙に描かれてあるのは?」
そこには人参の絵。千秋に描いてもらった。
「そんなことより歌を歌いたい。」
こんな風に答えたら、ロナウドが頭上からたらいを落とす。
「自分を殺すんだみなさ君、意味のない本音など消し去ってしまえ!」
スパルタピエロと、たらいをぶつけられる元アイドル。虐待にしか見えねえ。
次は数学の問題。一般高校生が少し頭をひねれば解けそうな、いかにも答えたくなる問題。
「気持ちにウソが付ければ合格。要するに問題を解くなって、言おうとしてたのに。」
またみなさの頭上からたらいが落ちてきた。みなさは問題が解けたようでうれしそう。
「どれどれ、そんなに簡単なのか?」
おれは回答と見比べる。うわ~、全部間違ってる。
今度はバボイの写真を撮り、それをみなさの正面に張り付け、ひたすらリハーサル。にしてもみなさ、バボイになんていうつもりなんだろう。
「私は、羽美ですわ。違うもん!」
みなさ、まさか羽美ちゃんを演じてバボイと話すために。どうしてそこまでしようとするんだよ。みなさは両手で顔を抑えた。様子を見ていたロナウドが急いで駆け寄った。
「どうして私は嘘が言えないの。これじゃあ、バボイ君を救えない。」
ロナウドは、みなさを強く抱きしめる。
「みなさ君、君は……優しすぎる。」
みなさは力なく言い返した。
「優しくない、私はただ、寂しそうにするあの子を放っておけない。過去に自分が、同じような境遇にあったから。」
みなさがそう言った後、二人は互いに何も言わず、ただ抱き合っていた。おれは二人を見て、なんて美しいとすら思えた。肉体美とかそういうのは違くて、心の奥から魅せられているような、情熱に焦がれる感覚だった。
続