第五話[仲間とともに]
おれは廊下の隅で動けないでいた。自分の結果を認められず、頭はそれでいっぱい。
「おれはやっぱり駄目なやつなんだ。」
期待だけさせといて、できませんがお得意のほら吹きだったんだ。
「おい、貴様。」
久しぶりに聞いたその声の主は、どこからともなく現れるあの死神だろう。だがおれは、その方を見ないで話す。
「何の用だ、社畜死神。」
死神はため息をついて、話を続ける。
「転生後も変わらないな、貴様は。」
お前がおれの何を知っている。おれは死神の方を向き、しかし目は開けずに、奴の腹に突進を食らわした。
「貴様、何をする!」
よろめいたであろう奴に、おれはまくしたてるように怒鳴り散らす。
「実験体みたいに言うなよ! どうしておれをこんなところに転生させた?」
死神は咳をしながら、静かに答える。
「ケホッ、貴様の身の丈に合った場所だと、私が、判断したからだ。」
むかつくんだよ。今度は前方に向かって飛び蹴りを食らわす。骨盤の固い部分に当たったようだった。
「勝手に決めんなよ、おれは第二の命を謳歌させようと、今日まで前向きに生きてきた。それなのに、周りにいるのは、かわいそうな怪物と過去を捨てきれないおじさん。もう疲れたよ。こんな孤島であいつらの介護をさせるぐらいなら、おれをとっとと天国に連れてけ。」
死神の元気のない笑い声が聞こえてきた。
「なぜ笑う? おかしなこと一つも言ってねえよ。無神経も甚だしいぞ!」
おれがもう一蹴り、奴を蹴る。すると今度は柔らかくも弾力のある所に当たり、おれは跳ね返って転倒した。足音が聞こえてくる。
「来るな来るな来るな、この疫病神があ。」
おれは奴に、片手で横腹を掴まれ、逃げ場がなくなった。しかし、奴はおとなしい口調でこう言った。
「目を開けろ、太郎。」
何をされるかわからないから、おれは言われるままに、ゆっくりと目を開ける。そこには、少しやつれ、老け込んだ死神の姿があった。髪はぼさぼさで、手入れが行き届いていない。死神は包み込むような声でおれにささやく。
「ここのところ、休まずずっとこれを探していたのだ。」
奴は右手に、小さな瓶を持っていた。その中には光る小さな球が入っていて、あちらこちらを右往左往している。おれは質問をする。
「それ、もしかして……、」
「もしかしなくても、浜辺千秋の彼女、大空羽美の魂だ。」
おれは耳を疑った。さっきまでは聞こえなかった風の音が、より吹きすさんで聞こえてくる。
「あの時はすまなかった。あの後天界のお偉いさんたちと掛け合って、大空羽美との対談を許してもらった。そして本人の許可をもらい、神様にも合意してもらって、彼女を魂に拡張してもらったのだ。」
死神はその瓶を見つめながら、おれを開放した。
「貴様が納得してくれるかはわからんちんけな作戦だ。それでも私の提案に乗るか?」
おれは恐る恐る死神に聞く。
「ちんけな作戦って?」
死神はおれの方を向いて答えた。
「この魂を何かに入れろ。できれば人間の女性、それもそっくりさんがいい。」
おれは疑問を抱き、首を傾げた。魂を入れるってどういうことだ。
「その肉体を一時的に使い、この子自身から奴に、私のことをあきらめてほしいと言ってもらうわけだ。」
「じゃあやっぱりその子は生き返れないんだな。また安易な期待を重ねさせて、千秋が今度こそ自殺したらどうするつもりだ。」
「それはもう個人の問題だ。」
死神は窓ガラスをこぶしでたたいた。
「もしそうなるんであれば、奴はこの子が大事だと思っていたのではなく、依存する唯一の対象と思っていたということになるからな。」
死神は魂が入った瓶をおれに渡した。
「彼女は彼を前に進ませるために、彼に嫌われるといったのだがな。」
おれは死神の持つ小さな瓶の方を見て言う。
「死ぬ寸前まで一緒にいたいほど、あいつのことを愛していたんだろ。一体どうしてだ。」
「千秋の未来を考えているからこそ、そのためだったら何でもする。それこそ、綺麗に着飾った言葉でいう、真実の愛ではないのか。」
死神の問いかけに、おれは深く共感した。おれが子供のころ、悪いことをしでかすとよく、父さんと母さんが叱ってくれた。それは、おれに同じ過ちをしてほしくないからで、嫌いだからではなかった。
「まあとにかく、彼女の思いを千秋に届けるためにも、私からお願いする。協力してくれ。」
おれはその様子を見て頷きそうになったが、我に返り言い返した。
「待てよ、なんでさっき、おれを笑った。おれがこの境遇にいることが、そんなに面白かったかよ。辛そうに引きつっていたおれがそんなに面白い存在かよ! おれを転生させたのはお前だろ、その責任を取れよ、責任を取れよ!」
おれは涙の出ない目で、死神を睨んだままその場を動かなかった。すると死神は、また静かにほほ笑んだ。
「だから貴様ももう、責任を感じる必要はないと言っているのに。おかしなことを言うものだ。私はほとんど何もしていない。自分で足掻いた結果じゃないか。つくづく昔の私にそっくりだな。さっきもそう思って、つい笑ってしまった。」
瓶を両手で持っているおれの頬を、死神は優しくなでてきた。
「誰にも助けを求めないくせに、助けてくれないやつを恨む。友達が欲しいのにそっけない態度をとる。効率の悪い方法で頑張っているのは、ほかではない自分。それが逆に事態を悪化させる。」
奴の頬を伝う涙一粒。死神はおれに一言、吐き出す様に吐露した。
「貴様のような人間を助けるために、死神になろうと思ったのだがな。失敗したのかね。」
失敗なら、文字通り天国に連れていかれたりするのかな。だとしたらおれはもう罪悪感を背負わずに済む。でもなぜだろう。体が壊れるくらいに叫ぶんだ。死にたくないと、逃げる準備を始めている。おれだって本当は、この城へ来た時少し期待していた。新たな場所、新たな出会いを通し、思い通りに進んでいく自分を。
「だが掟は絶対だから、貴様が使命を果たさないと天国へ送ることなどできない。本当に済まない。だからせめて、その間だけでも、この子の気持ち、千秋を自由にしてやりたいという気持ちにこたえてやってくれないか。」
あいつがどうなろうと、知ったことじゃない。そう心で呟いた時だった。
「ウサギ、ウサギ。」
どこかから声がする。その声は徐々に近づくと、同時におれの前に突如闇が押し寄せた。それはおれを取り囲み、だんだんとウサギの形へと変貌していく。そいつらは口々に歌を歌いだす。
「♪ウーサギウサギ、何見てはねる。」
「♪自分よーり弱いやつ見てはーねーるー。」
違う、違う違う。そんなんじゃない。
「♪ウーサギウサギ、何見てはねる。」
「♪人のー、不幸の蜜をなめてはーねーる。」
黙ってくれ、頼む、黙れ!
「♪ウーサギウサギ、ウーサギウサギ。」
「寂しがり屋のウサギ、友達が欲しくて誰かに引っ付く。」
「寂しがり屋のウサギ、皆に褒めてもらいたい優等生。」
「寂しがり屋のウサギ、一途に誰かに甘依存。」
「クスクスクス。」
「アッハッハッハ。」
「黙れ黙れ黙れー!」
おれは叫ぶ、だが奴らは声を一つにし、とどめ針をさしてきた。
「正直に言おうよ、一人は嫌だって!」
頭の中が錯乱する。視界がゆがみ、今が分からなくなった。ここはどこだ、おれは何だ、どうしたいんだ、千秋を救いたいの、救ってどうなるの。希望に見合う対価はあるの。おれが今やっていることは、おれがやるべきことなの?
「太郎、どうした、太郎!」
死神の声は聞こえるのに、そこにいるのはおれじゃないおれのようで、まるでテレビの向こうの人物が話しているようだ。これは間違いなく逃避。人間の時も良くやってた、いやなことがあると保健室、もしくは早退。その瞬間だけは嫌な空間の枠組みから逃げることができた。そうすることで、この世界自体を物語だと仮定付け、今は第何話かの途中経過、だからいつかは逆転劇が起きると思っていた。早退したときはアニメ見ていたな、あれタイトルなんて言ったかな、撃っていいのは打たれる覚悟がある奴だけだってセリフ出てくる奴。あれも人の命と向き合うことに主人公が悩まされてたな。一緒だ、苦笑。ああ、こんなこと言ったら、いろんな人に怒られるんだろうな。なんだよ、口が滑っただけじゃないか。まあでも、おれの言葉なんて誰も興味ないだろうし、いいよな別に。にしても、そんなおれを見た父さんと母さんは、どんな気持ちだったかな。ろくでもない息子だと思ってたんだろうな。学校でうまくやって行けず、友達作らず孤独死しました。ろくでもない最低最悪な息子、山田太郎! そう、最低、おれは最低なんだ、そういうやつなんだよ、開き直ってしまえば。でもそれって本当に、楽になれる方法か。現にそうやって今まで逃げてきたから、後になって足し算のように積み重なって、今に至ったんだろ。
「おい太郎!」
今を生きているおれはもう、ここにしかいない。そこから逃げたら、本当に何もしないままおれが終わって……違うだろ。おれが、本当に望むことは、本当の気持ちは。
「寂しい。」
口が動く、死神は首を傾げ、眉を寄せる。それでもおれは続ける。
「おれは寂しがり屋のウサギ、ゼオなんだ。わがままウサギなんだ。」
おれは小さな手を、死神に差し出す。
「さっきのお願い、承る! でも、こっちも頼みがある。」
おれは精いっぱいの声で、死神に思いを届ける。
「これからもおれに会ってほしい、時間の空いた時でいい。おれの見方でいてくれ! おれの友達でいてくれえ!」
死神は、しばらく真顔でおれの顔を見つめていた。変な奴だ、気持ち悪いとか思われていないか。だがすぐに、その心配も消えた。
「いっ、いいぞ、私でよければ是非。というか私は、今までだってそうしていたぞ?」
死神はうなじを抑え、頬を赤らめてそっぽを向いた。続けて死神は、もじもじしながらびっくりすることを言ってきた。
「プッ、プロポーズしてもいいんだぞ? そして付き合おう、あわよくば結婚まで、子供は何人ほしい、老後はどうする?」
「ちょっと待ってえ? なんでそうなるの?おれウサギだよ、つーか、死神って結婚するし子供産むのかよ、もうそろそろ人間だなおまえら!」
突っ込むおれを、死神は黙って抱き上げた。そして赤ちゃんを寝かせるように、毛並みを撫でてくれ、意外なことを言ってくれた。
「貴様が人間だったころからずっと見ていたよ。できないことを必死に頑張って、できなくて泣いちゃう姿は、カッコ悪いやつだなって思ってた。けど、そんなどこかで見たような姿。それは私自身。失敗しているのは私だけじゃないって思えた。だから、本当は貴様は、私のヒーローで恩人。結婚できるならしたいぐらいだ。」
どうして恩人か、それはわからない。恩人だから、それがこの死神がおれに会いに来る理由で、いろいろ教えてくれる理由。それはこんなにも単純で、こんなにも共感できるものだった。そのあと死神は一呼吸置き、それを鮮明にする言葉を、おれに吐いた。
「私も今まで寂しかった、だからこれからは、苦難をともに乗り越えよう。」
おれは肩に背負っていた重い荷物を一人で持ち、途中でつまずいて立ち上がれなくなっていた。それでも、そんなおれに一人だけ声をかけてくれた女の子がいた。けどその子の名前を、おれは知ろうとはしなかった。おれは可哀そうだから、助けてもらうことは当たり前、そんな風に思っていた。なくしていたもの、なかったもの、それらは冷たい周りのせいだと、いうなれば自然災害、人があらがうことのできないものと決めつけていた。そこで、自分の主観にこもって、ひたすら春が来るのを待っていた。だが、いつまでたっても来なかった。ただ季節は新たな災害を呼び寄せ、おれの内面を支配していく。そうして運命までもおれに牙を向け、ついに道の途中で倒れ、朽ち果てた……はずだった。
「何をぼーっとしているのだ、私は今、思いをすべて解き放ったのだぞ。ひゃ!」
ったく、こんな時に何だよもう。発情ですかいな。あー柔らかいなー。
「素直ではないな、くっ。貴様は、はあん。これはイエスってことでいいのか、ふっ。」
暖かいな死神は。口には出さない。でもそのうち言うぞ、ありがとう、おれの荷物をともに持ってくれて。胸に埋もれながら、おれは首を縦に振った。
死神が強制送還された後、おれは思わずにやけちゃう。
「よし、完全復活。このおれゼオだぜ。」
そういえば、死神に蹴ったり突進したりしたこと、まだ謝ってない。次来た時、全身全霊のお詫びをしなければ。とりあえず今は気を取り直して、千秋の現状改善に思考をめぐらす。まず、彼女が生き返らないという事実は、彼女の口から自然に伝えてもらう。彼は今、依存先を求める野獣と化してしまっている。ここは辛かろうがそうする。それと後一つ、千秋が羽美ちゃんとまともに会話するためには、彼自身も冷静である必要がある。おれが今できることは。
「今はともかく、ネトゲ依存から脱却させないとな。」
さあどうしたものか。千秋のセリフからして、完全に自分の世界に閉じこもっているだろう。しかも現実のことも相まって、戻すことはとても困難だろう。おれはそれ専門の医師ではないから、どう直したらいいものか。
「医師……、確か千秋が、この島に医者を呼んだことがあるって言っていたな。」
そうだ、医師だ。この案件を専門に取り扱う人に来日してもらおう。おれはすぐさまパソコン室へ行き、医療内科を探す。待ってろ、おれにできること、それをやり遂げてみせる。友達になってくれた死神のためにも。
続