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共犯者

この世界にいる、彼女いない歴=年齢の成人男子たちよ。今君たちは、おそらく俺と同じような思いを胸中に抱き、苦悶し、絶望し、女性の巡りの悪さ、そして何より己が能力とルックスの欠如に、世の中とは何と不公平に出来ているのだろうと思っているのではないだろうか。そうだ、その通りだ、世の中と言うのは実に不公平にできているものなのだ。イケメンと呼ばれる諸兄たちには、俺たち毒男のこの一日に対する辛辣な気持などわかるまい。町を行けば目に付くカップル、店に入れば聞こえてくるラブソング、時たま会う友人と語り合えば「お前、今年のバレンタインこそ彼女作れよ」と約束される。あの辛辣な気持ちを、惨めな気持ちを、イケメンが理解できるはずなどないのだ。他愛のない日常生活にカメレオンの如く上手く溶け込んだそれらの刺に、俺たちがどれほど傷つけられてきたことか。どれほどの何気ない一言一言が針となって、俺たちの心をチクチクと蝕んでいったことか。我らが同士、毒男よ。傷を舐め合い、自分に絶望し、何もかも諦めていた、君たちだからこそ、今年のバレンタインデーは立ちあがらねばならないだろう。この忌々しき二月十四日の世の中に、粛清をもたらしてやろうではないか!


……などと、偉そうに掲示板に書き込んでみたはいいものの、所詮こんなもの、バレンタインデー嫉妬派のダメ男が意気揚々と自分の言いたいことを言っているにすぎない事を、俺は重々承知している。何かを叫んだところで何も変わらない。寧ろそれがいいのだ。何も変わらないからこそ、安心して本音が語れるのだ。

部屋で一日パソコンに向かうだけの日々を続けて早一年になる。こんな俺でも大学を出るまではそこそこ良い人生を送っていた。なぜかって、そんなの勉強してればどうにかなったからに決まっている。学生の間は勉強していい成績さえ取っていればどんな奴だろうとちやほやされるものだ。そのために女が寄ってきたこともあった。だが、ちやほやされていた割に今まで一度も恋人が出来たことはない。自分自身が面倒臭がりで他人の相手ができなかったから、という理由もあるが、一番は俺の運の悪さのせいだ。

俺はバレンタインデーが嫌いだ。嫌いと言うか、忌々しいものだとさえ思っている。俺の人生は、バレンタインデーの日に限って、碌な事がない。

小学二年生の頃に、寒い日だったにも関わらず半袖の体育着しか持っておらず、仕方がないからそれを着て長距離マラソンをこなしていた。翌日は授業参観を控えていたのに、そのせいで風邪を引いて出席できなかった。せっかく親が休みを取ってくれたと言うのに、風邪を引いて苦しかったのに、本当は親の前で良いところを見せるつもりが逆に説教される羽目になった。中学の頃はランニング大会がこの日にあって、走り始め早々に石に躓いて転んで骨折をし、病院に運ばれた。完治するまで二カ月と少しかかる結構なひびが入っていた。大学受験の第一志望の合格発表も、二月の十四日だった。といえばそろそろ予想がつくだろうか。もちろん不合格だった。

ちなみになぜかこれほど碌な事が起こっていないにもかかわらず、バレンタインデーのメインであるチョコレートに関しては何の思い出もない。一度も貰った経験がないのだ。ある意味それが忌々しいと言えば忌々しいのかもしれないが、そんなことを気にする余裕がないほどこの日には碌な事が起きない。最早俺にはバレンタインデーが忌々しいのか、二月十四日が忌々しいのか判断が付かないほどだ。しかしそんなことよりもまず、どうしてこれほどまでに運がないのか、その理由が知りたい。

さらに言うならばここ二年間の二月十四日はさらにひどかった。大学三年の秋、就職活動を始めて暫くの後に内定を見事獲得することが出来たにもかかわらず、それが冬には取り消しになった。言うまでもなく、取り消しになったのが二月の十四日だった。そして職のないまま大学四年になり、単位は足りている、あとは卒論を提出すれば卒業は出来る、というところまで来て、一人暮らしのアパートを留守にした最中に、隣部屋から出た小火で卒論のデータが入ったパソコンごと部屋が燃えてしまった。そこまで来るともう何かの陰謀を疑いたくなる域だった。俺は二月十四日に呪われているのだと、そう思いたくなるような経験ばかりしてきた。

他にも語ろうと思えば物心付いてからの二十三回分の二月十四日を語ることが出来るのだが、それよりも重大なことが今、俺の身には迫っている。

即ち、今年もまた例外なく二月十四日がやってくる、ということだ。

一年のうちに二月十四日と言う日が必ず存在しているのは、もう避けられない事実であるから仕方がない。問題は、この不可避の一日で碌でもないことが起きないようにするためにはどうすればいいのか、と言う点にある。

そこで俺は考えた。もしや何事かを為しとけようと俺が前進しようとすると、それを阻むように二月十四日が訪れ、碌な事が起きないのではないか、と。例えば大学三年の時の就活や、四年の時の卒論などは、俺が前に進もうとしたからそれらが全て消え失せる、などということが起きたのであって、ならばそれを逆手にとり、俺が何かをしようとさえしなければ、不幸な事故も起きることはないのではないか。

これに気付いたのが、去年の三月の初旬だった。就職先もなく、大学も卒業できなくなった俺に唯一残されたのは、惰性で生きて平和な二月十四日を迎える、それだけだった。もしかしたらこの考え自体が、何も出来なくなった自分を弁護するために俺自身がでっち上げた妄想に過ぎないのかもしれなかったが、もし仮にそうだとしても、どうせ俺が失うものは何もない。忌々しいと感じてきた二月十四日を何事もなく過ごす、それだけのために一年を棒に振る。暇つぶしにはちょうどいいし、試してみる価値は十分にあった。

そして俺は来るべき次の年の二月十四日、バレンタインデーのために、何もしない生活を始めた。

今まで齧りつくしてきた親の脛をさらに齧り続ける日々。働け、バイトをしろ、就活しろと喚き立てる母を無視して、自室で一日中パソコンと向き合い、ネットに溺れる毎日。ゲーム、食事、暇つぶし。時々掲示板等を見に行って交流らしきことをしてみたりもしたが、それも所詮電話線一本の繋がり。生産性と言う生産性を一切介さない不毛なバーチャル人間関係。二月十四日を平凡に過ごす、ただそれだけのために、この同情も憐れみも干渉もない、生ぬるいトークで慣れ合うだけの薄い触れ合いを、俺は一年近く続けてきた。

そして今年もバレンタインが間近に迫る。俺はあれからずっと引きこもり続け、生産的なことを何一つせず、だらだらと日常を過ごした。そして今日、どうでもいいなあ、と思いながら、掲示板にバレンタイン嫉妬組を呷るような文句を並べ立ててみた。何も変わらないだろう、と思いながらも、何となく。理由は、暇つぶしだ。

しかし昼食用にカップラーメンを食べてネットゲームをした後、再び掲示板を見てみると、予想外にもこれに反応してきた奴がいた。

そいつはハンドルネームこそないものの、自分は学生だと名乗り、あなたの投稿を見て奮い立ち、自分も反バレンタイン活動に参加したくなった、と書きこんでいた。正しく言うと、自分もバレンタインの日に東京の駅で行動を起こすので、あなたも頑張ってください、という内容だった。ネタなのか本当なのかわからないあたりが胡散臭いと言えば胡散臭い。

どこのコピペだかもわからないようなこんなものを見て反応してくるとはよほどの暇人か、それともよほど頭の弱い奴なのか、と俺はまた例の無気力感でそのやる気に満ち溢れる文字列に生温かい視線を送っていたが、その書き込みにやけに具体性に満ちた部分があることに気が付いた。

東京の駅、という記述だ。その他は個人を特定したり事件を起こすとは明確に言ってなかったのに、東京の駅で活動する、というところだけが、ピントの合わない写真の中で一つだけくっきりと映る被写体のように文字列から浮いて見えた。常識的に考えれば、何かの事件を起こしたいならこんな所に書きこまず、直接当日ことを起こすか、あるいは場所を特定されないように隠しておくのではないだろうか。では、だとしたらバレンタインの日に、こいつが東京の駅で何かを起こそうとしているのは事実なのだろうか。

俺の脳裏に嫌な予感が過ぎった。この一年間を棒に振ってまで二月十四日に事なきを得ようとしていたはずなのに、また何かに巻き込まれそうな気がしていた。しかし俺にもう失うものなど、何もないはず。これ以上事件に巻き込まれて、次に俺が失うものがあるとするならば、それは一体何だろう。

奇妙な好奇心が俺を突き動かそうとしていた。今までの無気力が嘘であったかのように、この日、東京の駅に行ったみたい、という気になって来た。何、大丈夫、東京の駅と一口に言っても、東京には地下鉄からモノレールまで多種多様な電車があり、一つの路線に限っても相当数の駅数がある。万が一、バレンタインデーに東京の駅に足を運んだとしても、この学生が現れる駅を引き当てるのは至難の業だ。あれだけの駅の数ならば当たるはずがない。

そうだ、当たるはずがないのだ。出かけたとしても、何事もなく終わるに違いない。起こるかどうかも分からないことをそこまで心配する必要はない。行きたいと感じたらなら、行けばいいだけの話ではないか。

俺は唐突に思いついた。決めた。今年のバレンタインデーは駅に行ってみることにしよう。何が起こるかは未知数だが、案外何も起こらず平凡に過ごせるかもしれない。確かに今までは最悪な事ばかりが起きていたが、果たしてそれが本当に必然的に俺の周りで起こるものだったのかどうかというのは、もう分からないかもしれないから。もし今年また嫌な事が起きたら、来年からこそ態度を改めよう。今年の二月十四日が、今後の行動を決めるための見極め、ということにすればいい。

暇つぶしだが、もう一ついい口実が出来た。運だめしだ。

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