犯行動機
諸君、私はバレンタインデーという行事が嫌いだ。
二月の上旬、道行けばチョコレートを売りさばくお菓子屋が目に入り、どこもかしこもバレンタインバレンタインと騒ぎ、ここぞとばかりにCMはチョコの宣伝し、ニュースは売れ筋のお菓子屋を紹介する。ピンク色の空気を放ちまくる浮足立った恋人連れの人々。毎日毎日誰にあげるだの誰にもらいたいだの、お返しは何にしようかなだの、あいつにあげるチョコは安くない、ホワイトデーには三倍にして返してもらうだの、ちっとも実用的でない会話。義理チョコだの友チョコだの自分チョコだの、無駄に多種多様なネーミング。世の中のスイーツ大好きなありとあらゆる連中がここぞとばかりにチョコレートを大量購入し、見知った者に徹底的にばらまきたがる行事。それがバレンタイン。高々知り合いにチョコレートをプレゼントする、それだけのために、国全体が総力を結集して菓子の宣伝をしたがる、無駄に労力を使うだけの大々的なイベントが毎年必ずやってくる。そしてこの日、どこかで必ずこう言うものがいるのだ。「ハッピーバレンタイン!」
さてこれを聞いて、諸君はどう思うか。私はこう思う。馬鹿野郎、何がハッピーバレンタインだ、と。
バレンタインデーにハッピーもバッドも何もあったものではない。バレンタインデーはバレンタインデーであり、それどころか他の日と同じ、三百六十五日ある一年うちのたった一日でしかない。この日は単なる二月十四日であり、そもそもバレンタインデーなどと名付けること自体が間違いなのである。二月十四日は、二月十四日でいいではないか。わざわざお菓子会社の陰謀に国を挙げて乗らずとも、一カ月以上前から今年は誰にチョコレートをあげようか、などと思案しなくても、二月十四日が二月十四日として来てくれればそれだけでいい話なのである。何を好き好んでこんなイベントに多額の金を投入する必要があろうか。バレンタインに一喜一憂しているのは一部の暇人だけだ。打ち込めるような趣味もなく、自慢できるような素晴らしい経験をしているわけでもない、イベントごとにしか現を抜かせないかわいそうで頭の弱い連中だ。だからこの、二月十四日をバレンタインデーなどと呼んでいる連中は、まるまる全部そういうイベント好きのかわいそうな奴ら、と認識して一向に構わない。事実、私もそうするつもりである。
そんな頭の弱い連中に、私のこういった発想を聞かせると必ずこう言われる。そうか、お前には恋人がいないもんな、好きな人もいないもんな、そうかそうか、学生のうちからこんな一年に一回の大イベントに参加できないなんて、何とかわいそうな奴、ほら、かわいそうなお前にも、私からチョコをやるよ、これで元気出せよ、と。
馬鹿にするのも大概にしてほしい。私は別に恋人や思い人がいないからという理由でバレンタインデーが嫌いなのではない。そんな僻みったらしい、惨めな理由でこのしょうもないイベントが嫌いなわけではない。何の意味もないただの二月十四日をバレンタインデーと勝手に意識し、下手にチョコレートを買いまくって他人にばらまく、その行為とミーハーなイベント感覚が嫌いなのだ。イベント自体が嫌いなのであって、イベントに乗りたくても乗れない脳内で不埒な妄想ばかりしている連中とも違う。意味のない行事に乗るほど私は暇ではない、ということだ。結果として乗るか乗らないか、ではない。そもそも乗りたくないだけだ。だから常にイベントに乗り気の連中に恋人だの思い人だのがいないという理由で私がバレンタインデー反対派だと勘違いされるのは釈然としないものがある。が、何度言ってもなぜかこの考えは周囲の者には理解して貰えない。必ず、そりゃあ恋愛が楽しめないのならバレンタインデーも楽しめんだろ、とかわいそうな奴扱いされてしまう。そして毎回慰めとばかりにチョコを貰うのだ。この考え方の相違から生まれるチョコレートのほろ苦さと言ったら、何と皮肉で屈辱的なことか。まあ、私の周りはバレンタインデーの存在自体に疑問を持つものがいないから仕方ないのかもしれないが。
それはともかく、これで私が如何にバレンタインデーという行事が嫌いか、ということがご理解いただけたかと思う。いや、例え今理解していただけなかったとしても、時期が来ればそのうち分かるようになる。二月の上旬、あの道行けばいつも視界に入るチョコレート菓子の看板を見るようになれば、自ずとバレンタインと言う行事に嫌悪感を催すようになるだろう。重ねて言うが私は決して恋人や思い人がいないからバレンタインデーが嫌いなわけではない。大枚はたいてチョコを買い、それをばらまくのが嫌いなだけだ。出来ることなら日本国内からこの行事を取り除いてやりたいとすら思っている。いや、日本全土でなくてもいい。せめて私の住む町からだけでも、この行事を消滅させたい。
そう思案した挙句、私はとある結論に至った。そうだ、二月の十四日、この日からバレンタインというイメージを消し去るためには、この日に何か事件が起きればいい。それもバレンタインデーが原因となるようなものがいい。そうすれば、人びとはバレンタインデーに責任を押し付けて、二度とこんな行事をしようとは考えなくなるだろう。とすれば、何か一発派手な事件をお見舞いしてやろう。それがいい。
かくして、私は今年のバレンタインの日、バレンタインにちなんだ無差別テロを起こしてやることを決意した。この日記には、そのテロが成功した折、警察が証拠品として押収出来るようにあらかじめテロの経緯とその心境を克明に記録しておくものである。捕まったところで特に未練もないのでいっそのこと最初からこういうものを準備しておこうと思った次第だ。計画実行までにどの程度の時間がかかるかは分からないが、二月十四日はもう目の前だ。急いで手段を考えねばなるまい。