第一部 超怒級怒濤重低爆音 4
学校への道。数は減ったとは言えやはりあちこちに地元民ではない車や人間がいる。カメラやボイスレコーダーを持って生徒へ声を掛けている。
男子生徒は面白がって受け答えをする者もいるが、もちろん詳しいことを知っているわけではない。取材に来た方が望む情報が得られるわけでもなく、マスコミのほうもだんだん男子生徒を避けて、女子生徒に標的を絞る。
生徒には箝口令が出されているのだがやはり全員が徹底するには高校生は幼すぎる。それに興味があるのは本人達も一緒だ。数人がインタビューに応じてしまっている。
「こら、君たち!早く学校へ向かいなさい!」
教員も見回り、追い払うのだが路地裏で声を掛ける人間もいるらしくイタチごっこになっている。さらにはなんとK市やM町の列車に乗り込む生徒を捕まえて話を聞こうとする輩もいるらしい。
普通のピアニストならここまではやられない。
しかし有紀は露出度が違う。
毎日TVに出るような安売りはしないが、写真集やコラボ、インタビューへは積極的に答えるし、アニメ等への楽曲提供や演奏シーンでの音源出演、また人気実力の高いボーカリストへ楽曲提供、ライブでのゲスト出演など・・・・
『わかっている人間がコントロールしている』絶妙な露出で、一般人からの知名度も抜群、ミュージシャンからも高い評価を得ている。
「困ったもんだわ・・・・」
女優やアイドルじゃないだけまだマシなのかもしれないけれども、教員一同登下校の見守りの負担が非常に大きくなってしまい、それが担任であり、実質『安田有紀担当』の島へ冷たい視線で向けられる。
できる対策は時間を待つだけ。本人はしばらく明日香と行動させれば登下校は大丈夫なはずだ。
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「それではいってらっしゃいませ」
スライドドアがスーッと自動で閉まると黒塗り大型ワゴン車が静かに走り去る。
車移動で乗る機会が多い有紀でも驚くほどの豪華な車内。
最大10人乗り、座席の変更をしなくても後部8人が乗れる、よく送迎などに使われるものを椅子や手の触れる内装をことごとく革張りにし、座席ごとにモニターがあって
「これを登校に使うのか?」
というほどの車を運転手付きで校門まで横づけで難なく登校は完了した。
「毎日車なの?」
有紀が下駄箱へ靴を入れ、校内用のサンダルへ履き替えながら茜に聞いてみる。
「ふ、普通はあんなことだ、だめだけど島先生が認めてくれたにょ・・・・」
茜が下を向いたまま顔を合わせてくれないながらも答えてくれる。
少々上から目線の『自分とやるにふさわしいかの見定め』という提案。
もちろん、自分がピアノに専念したいという気持ちが一番。
しかしこの杉原茜を見てみたいという気持ちも心の隅っこにジワリと染みこんでいた。それは音楽に携わる『人間の業』のようなものだろう。
どんなに綺麗事を言ったって、自分を超える才能に触れたらぶつかってみたくなる。そういう人間がシノギを削る、そういう物事の際でしか成り立たないやり取りでしか出せない音は確かにある。
ドッケンでドンとジョージの確執が初期のバンドの動きを鈍らせたのは確かだろうが、あの『殺気』を隠そうともしない鬼気迫る演奏に繋がっているのも事実だ。
まずドッケンを有紀が知っているはずがないだろうが。
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「はい、挨拶をして」
1日遅れの同級生は黒板の前で二人続けて自己紹介をした。クラスメイトはTVやネットで見る有名人に一瞬騒ぎ立とうとしたが、島が教員用机に出席簿がひん曲がるほどに叩きつければ一瞬で止んだ。たった1日だが生徒は把握できたらしい
「この担任を怒らせたらヤバい」と。
「あんたら、他のクラスに行って安田さんの噂話をしたりしないこと。まだマスコミうろついてますから」
そう釘を刺して朝のホームルームを終えた島は職員室へ去っていく。そうすると1時限が始まるまでの5分間がお祭りだ。
「ねぇねぇ、安田さんめっちゃかわいいね!」
「私もピアノ弾くんだよ~」
女子が取り囲んで包囲網を築き上げる。男子が近寄れない聖域。
それでもそこに突っ込んでいける男子はいるのだ。
「安田さんさ、こっち来て困ってることない?」
女子も思わず道を開けてしまうその男子はいわゆるイケメン。
「俺もバイオリン習ってたからクラシック好きなんだ。実習でお世話になるかもしれないね」
爽やかにイケメンは聞いてもいない未来のプランをペラペラと喋る。
有紀は取り囲まれてそこから逃げるのは慣れてはいるが、さすがに座っている状態で逃げ道がないのは初めてだ。しかも自分の教室だから逃げるわけにもいかない。これが続くとしたら音楽、勉学の前に何かが切れてしまいそうだ。
「あ、あの・・・・」
「ややややめるのだ!」
精一杯声を上げたその人は茜。
「有紀ちゃんは放課後に大切な約束があるからそのへんにしたほうがいいにょ」
涙目でイケメンを睨み付ける。
「そういうの手伝ったりとかさ・・・・」
「真剣な話だから首を突っ込まない方がいいんだにょ!」
はぁはぁ
小さい。声は小さいが茜は息切れを起こすほどに腹に力を入れて発した言葉。
それは朝の約束。
有紀が自分を試すことに本気で立ち向かおうとしていること。
私、少し謝りたいかもしれない。
この子は本当に私と真剣な試し合いがしたいんだ。だとしたら、ただ私が今がピアノに集中したいと思うこの気持ちと変わらないんじゃないか。
有紀は音符の上でのたうち回ったことがある者にしかわからない気持ちを感じ取っていた。
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そして放課後。
休み時間や昼休みにはやはり他のクラスから見物人は来た。
私はパンダじゃないけど、でもそうやって仕事をさせてもらっているし、音楽やらせてもらっているんだからと割り切った。
そう思って堪えて堪えて放課後。
どうやって教室を抜け出したのかは不明だけれど2年生3人組はきっちり授業終わりに1年2組へお迎えに来た。
「あんたら部室行くの?」
島先生が煙草を取り出しながら声を掛ける。
「はい。安田さんが私たちを試験してくれるんです」
明日香がにっこり笑って答える。
「わかった。私が行くまでは始めるな。今日は予定がないから立ち会おう」
「はーい」
島がスタスタと職員室へ向かうのをお行儀よく見送る。
「では、先に部室へ行って準備をしておこうか」
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暗い部室の灯りを点ける。
昨日は見えなかったモノをしっかり視野に捉えながら有紀は部室を観察する。
ドラム。ギターとベースにそれぞれのアンプ。
そしてボーカルとそれぞれを拾っているミキサー。これで録音もしているようだ。簡単な機材だけだが必要十分、むしろ高校生のバンド活動には贅沢なくらいだ。
そして昨日は確認できなかったステージピアノもあった。
88鍵のかなり高級な代物。
それの電源を入れて明日香は有紀を誘う。
「自由に使っていいわ」
たくさんのコントロールノブとフェーダー、液晶画面。回転式のダイヤルがついたその機材は緑とオレンジと青の光を放ち血が通う入力を待っている。
咲もベースをチューニングしてアンプに火を入れる。
そして・・・・
頼りなく後をついて来た茜は誰構うことなくギターの前に行く。小さな体をよいしょっとストラップの下へ潜らせ、アンプのスタンバイをON。エフェクターへ電源を入れてチューナーが起動するまでしばらくのあいだ。
チューナーがオープニングの起動を終えたその時に『あのギタリスト』が現れる。
タンタンと軽くスネアを叩きながら陽子が
「いつもながら茜ちゃんが変身する時は空気が冷えるというか・・・・ざらつくよね」
咲は慣れた様子で
「でも同じ茜ちゃんだよぉ」
と笑いながらチョッパーで指を温める。
このリズム隊の2人はズレているようで息が合っている。明日香の面倒を見て支えているわけだから、想像よりもしっかりしているのかもしれない。
明らかに殺気立つ茜はチューニングを素早く済ませるとクリーントーンで軽くコードを鳴らす。
「で、どうやって試そうってんだ?」
クロマチックの運指練習を嘘みたいなスピードで弾きながら有紀のほうを睨み付ける茜。
「クラシックと二足の草鞋と明日香先輩に言われたから・・・・クラシックを弾いてほしい。曲はえーと・・・・これなんかでどう?」
有紀は考えた。動画サイトでクラシックをロックギターで弾く動画を見たことがある。その時に目にしたのは『幻想即興曲』と『月光第三楽章』。どちらかを選ぶつもりだった。
スマホで動画を見せてどっちがいいかを選んでもらう。
「月光でいいだろ、バンドでできるし・・・・・お前は原曲通りに弾けばいい。こっちも完璧に弾いてやる」
茜がシールドをシュッと払ってたわみと捻じれを取りながら背中を向ける。波を打つシールドとそのシルエットが王国を統べる覇者か何者か。息を飲むほどに強く。
「あたしらもこれなら何度か見てて頭に入ってるからきっと適当に合わせられると思うから。それでいーわ」
陽子もスティックで頭を背中をボリボリと掻きながら同意する。
「ルート追うくらいでいいなら」
咲も問題はないと親指を立ててみせる。
ふん、これくらい対応力高くないと困る。
「ただしテンポの伸び縮みはなしで。バンドで合わせるからそこは勘弁してほしい」
明日香がミキサーの録音機能を待機状態にする。ミキサー単体でSDカードへ録音できるお手軽さはこの狭い部室にちょうどいい。
それぞれ指を温めてフルスロットルのプレイに備える。その時、部室のドアをノックする音が響く。島だ。
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「それじゃ聴かせてもらいましょ。テンポはどれくらい?」
島が空気清浄機の真ん前で煙草を吸いながらパイプ椅子を広げ、背もたれを前に、そしてそこへ乱暴に肘を掛けてドカっと座る。
明日香がクリックを出す。迷彩柄のヘッドホンを装着して陽子がクルりとスティックを回したあとにハイハットを叩いて
「こんくらい」
「テンポ200よ、これでいい?」
明日香が有紀に確認を取る。
これでは試すと言いながら、相手の土俵じゃないか。
ドラムとベースが入ってその上に演奏を乗せる。しまった・・・・これじゃ杉原茜に試されるのは自分だ。
リラックスと、自分に言い聞かせる。
「いい・・・・いいですよ・・・・」
「はいよっ」
ずいぶん軽いノリで始めるものだ。息を整えて集中するとタイミングを揃えるなんてまったくない。メンバーが大丈夫かどうかもチラッと目線を流して確認しただけ。
それだけでまるで長年、繰り返し演奏してきた馴染みの曲のようにカウントを出す。
7弦から右手の中指と薬指のタッピングで上昇フレーズ1弦の16Fまで駆け上がる。
これはちょっと肩慣らししておけばよかったなと後悔してももう遅い。
ピリピリと、痛みを感じるほどの突進力、何かに憑りつかれているような切迫感。そして何よりどっしりと重く鋭く歪んだディスト―ションは理屈抜きに心臓をえぐり取ってくる。
そしてやかましい音の中でもしっかりと伝わってくる。
強弱の表現、ピックの当てる力加減だけではなく、角度や当てる速度まできめ細やかに使いこなしている。ただの疾走と剛力のみだけではない。
和音もアルペジオも完璧に有紀とシンクロしている。これが初めての手合わせ、しかも『エレキギター』の人間からすればアウェイのクラシック。
なのにこの子は有紀の領域へ土足で上がり込んでくる。遠慮なく蹂躙する。
音の暴力。
それも上質な、滑らかな肌触りで包み込み、温かい体温と鼓動を感じながら全身を締め付けられるような上等な暴力。
いつも以上に力が入っていることにも気が付かず、ただただ鍵盤を疾駆する己の指。
試す?
これはそんなものではない。
確実に公の場であれば殺し合いのようなものだ。こんなに月光第三楽章の難易度は高かったのだろうか?
技巧的な難易度なら『上級』である。だが、それは表現力などすべての総合的難易度であって単純に演奏するということなら有紀にとってはお手の物だ。
なぜなら幼い頃から大好きでまだ未熟な頃からこっそり弾いていた曲であるから。この曲を一番最初に覚えようと必死に弾いていることを当時知っていたのは亡くなった祖母だけだ。
勉強を片づけてから寝る時間を削って。フレーズを1小節、苦手なところは1拍単位で何時間も繰り返して弾いていた。
ピアノを触らせたの祖母。ピアノの教師だった祖母は自分の子供にもしたように有紀にもピアノを教えた。
父もみっちり教えられていたが18の時に
「お前は演奏家の道に進むべきではない」
と突然告げられたという。しかしピアノにどっぷり漬かっていた人間が足を洗えるほど18歳という年齢は若くない。
単身ヨーロッパへ渡り、ピアノ製造の修行を積んで帰国後、メーカーや個人工房を転々としていたが、中古ピアノの大手販売会社の娘を射止める。
そうして産まれた孫娘に才能は隔世遺伝したようで、祖母は基礎はよくある街のピアノ教室で習わせて、自宅では有紀の望むものを望むまま教えた。
だから物理的に指が届かないような場合じゃない限り、どんな曲でも弾かせてくれたし、怒ることもなくピアノを触らせてくれた。
その曲を、その思い出をあっさりと杉原茜という化け物はぶっ潰す。
なんという・・・・
郷愁や思い入れなどそういう小さな事すらとっくの昔に彼女は飲みこんでしまっている。
本人は気が付いていない、24時間レコーディングで世界中からメタラーが集まっている状態は素晴らしい反面、悲しいこともある。
音楽とは別に本業を持ち、その給料で機材と旅費を調達し、昇のところへやってきたバンドもいた。
それどころかスタジオの予約をしてから、日本で住み込みのバイトをし、数か月後、汚れた給料袋とくしゃくしゃの札をポケットから取り出して、レコーディングをしていったバンドもある。
昇は拘束される時間きっちり金は取った。だが金額の大小ではなく『対価として相応しい』と思えば他人からすればゴミのようなモノでも仕事を受けた。
おかげで杉原家は24時間満員御礼、レコーディングと宿泊で常に多国籍な人間がメタルで繋がり合う拠点となった。
昇は有名人が相手にしない無名やアマチュアですら分け隔てなく仕事をしたからバンドも結果出世することも多かった。
その時に、茜は苦労してレコード契約にありついたバンドや、血の滲む思いをして音楽にしがみつく人間の想いを技術とともに吸収して大きくなった。
悲惨な生き方に泥をすすった味、命すら失うような事が日常の国の人達の死生観、喘ぎみる曇り空と鉛の近似さなんてとっくに内包して稼ぎ出すのがこの音量とスピードなのだろう。
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「どうだった?」
島が新しく煙草に火をつけ、灰皿に置いていたフィルターまで燃えかかったさっきまでの煙草をもみ消す。
「・・・・すごかった・・・・です」
「そんだけか?」
魂を奪われてしまったような浮遊感が襲う有紀へさらなる追い打ちを茜がかます。
「え?」
「試すんだったろう?私は合格かって話だ」
「それは凄かったけど・・・・認めたらバンドをやるハメになっちゃうじゃない・・・・」
有紀はつい本音が声に出た。
「やれやれ・・・・じゃあ今度は立場をわからせてやる番だな。弾いても弾かなくてもいい。今度は『アレ』やろうぜ、陽子先輩」
茜が陽子へ目くばせをすると
「あれならあたしも咲も見せ場あるし!いいね!やる!やる!」
明日香が
「クリックは?」
「いらね、そんなもん。それよりストップウォッチだろさ。茜ちゃん目標は?」
陽子はヘッドホンを外して自由になる。
「今日こそ2分切る」
「りっちゃんに勝つまでやる」
茜はさっきまでと違い明らかに集中を高めている。集中力が殺気に変換されるのが怖いところだ。
2分切る?アスリートのような話をしているけれど今やるのは音楽演奏だよね?
カウントで始まった『アレ』とはまさにアレ。
「ショパン エチュード作品10 第4番 嬰ハ短調」
ああ・・・・スヴャトスラフ・リヒテルが1分32秒で弾いたのが世界記録のこの曲か。
りっちゃん?誰だろう・・・・・
もう弾けるのは当然、さらにそれ以上、とんでもないスピードを目指し疾走する茜。
さらにさっきと違うのはベースの咲もギターに負けないほどのスピードでユニゾンを決めている。
陽子はあいもかわらずまだまだ余裕の表情。
今日は人生で一番疲労を感じている。有紀はただ鍵盤の前に座って眺めているだけ。
島は見慣れた様子で煙で輪っかを作っている。
このスピードチャレンジは日常。
有紀にとっては非日常。
ピアノという楽器で上級者がやっているなら話は別だが、7本の弦を鳴らす女子がやっているとは世界中で知っているのはこの空間の人間のみ。
自分の月光と同じことのさらに上をやっているこの少女は怖い。
怖いが少し魅力的に思えてきた。
バンドをやること。少し考えてみよう。