最終話
「ごめんなさい、直也さん。もうどうしようもないんです」
「嘘だろ。君が死神とか言うのはもちろん嘘なんだろ。どうしてそこまでふざけたことを言うんだ。手紙を見た程度で人が死ぬわけは無いんだ」
「違いますよ」
そう言う理恵の顔からは表情が消えたままで、声の抑揚まで先ほど孕んでいた悲しみと共に無くなっていった。
「人間が自発的に死ぬのではなく、私達が無理矢理に殺すのです。死刑執行人と例えれば納得していただけますか」
そんなの納得できるわけなど無い。
まともに取り合っていたらこちらもおかしくなってしまう。
「分かっているか、もう時間が無い。話は手短に」
濁りの無い低音が響く。
「僕は今、殺されるのか?」
「ええ、本当はすぐにでも殺して差し上げねばならなくてはいけないのですが、桜木さんに我儘を聞いてもらっているんです。誤解されたままで死なれるのは良くありませんから」
勘違いというと、この期に及んで僕は妻から言い訳を聞かされねばならないのか。
「分かってないと言いたいような顔ですね。この子の事も貴方の命のことも、分かってからのの方が良いはずだと思うのです」
「せめてもの同情だとでも言うのか」
「直也さんの妻としての自己満足をしておきたいのです」
僕は愛してもらっていたと自惚れても言いという事なのだろうか。
なら、少しは希望も残っているという事なのではないか。
何か返そうと口を開きかけるとまずは目で、そして口で塞がれた。
少しの間を置いただけで離れていく。
呆然としている僕をそのままに理恵は彼女の言う自己満足を始める。
「もう分かっていると思いますが、直也さんは本当は死人です。それを私が無理矢理に引き止めました。代償が私の仕事量の増加でした」
「つまり、より多くの魂を狩ったとでも言うのかな?」
「そうです。直也さんを失いたくないために働くしかありませんでした。最近は私の子供の為にも」
「どうして、子供の為に仕事を増やさないといけないんだ。僕が生きてく為というのはどうにか理解できたけど、子供は僕達の子供なのに人の魂など不要だろ?」
桜木が何らかの思惑で重労働を課しているとしか思えない。
それに私のではなく、私達の子供だと言うべきではないか。
「私は死人です、それに未熟ですが死神です。その子供もまた人とはなり得ません」
視線を僕に合わせようとするも、下を向いてしまうのか、理恵は俯き加減のままだった。
「これで不可解なことは分かっていただけましたか?」
もう嘆息しかしたくはなかった。
けれど、理恵が答えを求めるかのように見つめてくる。
「もう、分かったよ」
「直也さん。大好きです」
名前で一区切りを付けられ、それに反応して顔を上げたところに言われた。
こんな状況だというのにはにかんでしまいそうになった。
「僕もだよ、理恵」
声が届いたのか、理恵はまるで無表情に戻っていて、もう戻るような気すら失せた。
「有難う、直也さん。残念ですけどもうさよならです」
死ぬのか、こんな馬鹿げたようなことで。
ふと、思った。
どうせ死ぬのだとしたら、この世への未練を全て掘り起こしてみたい。
「止めろ。たすけてくれ」
僕はまだまだ理恵と共に暮らしたい。
さらに望めば僕達の子供と一緒にも。
僕はまだ死ねない、死にたくない。
だから、どうか。
「助けてくれ」
「もう手遅れです」
いつの間にか理恵の手に握られている何かがそこら辺の空間を黒くゆがませている。
大きく広がりながらそれが僕に向かって振り下ろされた。
一瞬でついさっきまでそこに在ったものが消え去った。
と、同時に理恵が掴むようにしていた黒い何かも消えたようだった。
それを確認すると今まで一言も発さず、動きもしなかった桜木が壁から背を離す。
「送るのは、今は無理か。では、俺が行ってくる」
うっとりするほどの澄んだ低音で言った後、桜木は暗闇へと歩を進める。
「辛くなったら、もう人間などでいようとしないことだ」
わずかに慈しむ低音が暗闇から響いくと、音は何も無くなる。
人の通りもなく、桜木が去った今は俯いている理恵を街灯が照らしているだけとなった。
その顔は無表情で、何を考えているのか悲しんでいるのかさえも全く分からない。
数刻後、おもむろに顔をあげゆっくりと理恵の住むマンションへと足を向ける。
彼の荷物も、思い出も残っているだろうに彼女の顔はやはり無表情であった。
唯一の人間であった名残はお腹の子供で、その子を手放す事はない。
死神と人間の子が人の形をしているとも限らないのだから、何も彼女の邪魔にはならない。